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第七話

東日本フィギュアスケート大会 関東ブロック 二日目。

フリープログラムの予定日。

空は晴れわたり雲は大きい塊がゆっくりと流れている。

10月も終わりだというのに妙に暖かい朝だ。

スケート場にはとなりの公園まで花壇が続いており、沢山のパンジーがゆるい風に揺れている。


会場は昨日に引き続き、選手とコーチ、クラブや応援にかけつけた家族、友人たちでザワザワとごった返している。


「おはようございます!! 」


真珠は会場に入り松山コーチら所属するクラブの面々を見つけるやいなや、ズンズンと近づきいきなり大きな挨拶をした。そしてそのまま、会場に入る。どこか鼻息が荒い感じだ。


「お、おはよう・・・」


松山は迫力ある真珠の気合で無意識に道をあけた。


「まだ、あきらめてないみたいだよ・・・金メダル級の負けず嫌いだね。あの子は」


真珠の来た方角から蒼井がまだ眠気から覚めない楓を脇に抱えながらやってくる。

楓は寝息まで立てている。昨日、鈴原宅に一晩止めてもらったので、会場まで真珠と一緒に来たのだ。


「・・・そうですか・・・」


松山は複雑な顔をした。蒼井は会場の前に沢山のクラブの塊がいることで、避けて会場に入らなければならない事を思い軽くため息をつき、どこから入るか辺りを見渡しながら言った。


「ま。 大丈夫だろ」


ちらっと松山は蒼井を見た。


「あーゆー子は思い知れば勝手にあきらめるさ・・・」


そう言うと蒼井も松山たちを後にして会場の入り口に向かう。


「起きろ! サル!! 」


入り際、楓の頭をグリグリすると、楓は足をバタバタさせた。


会場の中もスタッフや選手、家族、コーチが沢山いる。

昨日のショートを思い通りの成績を取れなかったものの、一応トップで通った真珠は

何人もの選手たコーチに見られた。


試合の直前まで選手と動向したり、もしくは近くにいるコーチが多いが、真珠と松山コーチは、あまりギリギリまで一緒にいる事が少ない。真珠が話しかけられる事を嫌うのと、試合直前は何も言わない方が良いという松山の考え方の一致である。


更衣室に入ると真珠はすばやく着替えの準備に取りかかるべく、ロッカーを確保しバッグを開けた。そこには真珠の母親は作ってくれた衣装、化粧道具など色々なものが入っていた。真珠は上着を脱ぎ始める。


『とにかく勝つ。』


ロッカーに上着やスカートを入れ衣装を頭から着始める。手早い。


『この冬に技術面をもっと向上させ7級を取り、そして一年後に、シニアの代表として世界大会に出る。』


腰のあたりのシワをのばす。終わるとロッカーに鍵をかけ、大きな鏡張りになっている化粧席の椅子に座り舞台化粧用の箱を取り出し広げた。


『そのためには、このブロック予選、次の東日本大会を抜け、全日本ジュニアでなんとか表彰台に上り・・・全日本の強化選手に入らなければ・・・』


すこし力が入ってアイメイクを失敗した。ティッシュでふき取る。そこは14歳だ真珠はあまりこの舞台化粧が得意ではない。他の選手もほとんどが親やコーチにやってもらっている子が多い。


『かなり険しいルートだけど、可能性はゼロじゃない・・・』


薄いオレンジがかったリップクリームを塗りながら、じっと鏡の自分を見つめる。

自然と拳に力が入った。

すると鏡の中で更衣室のドアがまた開いた。


「お・・・おはよコブタちゃん・・・」


楓の声だ。真珠は振り返った


「おはよう! やっと起きたの楓・・・キャーーーーー!!! 」


思わず真珠は悲鳴を上げた。楓は昨日あれから何も食べさせてもらえず、げっそりとしていた。さの様があまりにミイラのようで肌がカピカピで怖い。

辺りの人たちの視線が真珠と楓に集まった。


「な・・・なにか食べるものを・・・」

「あ、あんた昨日から何も食べてないの?」


ヒューヒューと化け物のような息使いの楓の後ろから蒼井が更衣室に入ってきた。


「蒼井さん! これじゃいくら何でも・・・」

「あー。 忘れてた。」


蒼井は持っていたバッグの中からバナナの房を取り出した。


「はい。サル バナナよ」


蒼井がバナナを楓に近づけるとまるで獣のようにバナナを奪い取り誰にも取られないように唸りながらムシャムシャとガッついて食べだした。


「け・・けだもの・・・」


真珠は異様な光景に呟いた。


「ほら! メイクするから!!! 楓、シッダウン!! 」


その号令に楓は一瞬ビクッと体を硬直させ、すぐに正座した。


「おハンド! 」


楓は右手を差し出された蒼井の左手にのせた。ハァハァ言っている。


「よーしよし。」


楓の頭をワシャワシャした。


「サルというより・・・ドッグ・・・」


真珠は引きつった笑いをして2人を見ていた。


真珠は全ての準備を整えていたが、滑走順は一番最後だったが、準備は一番最初に終わったようだ。楓は衣装に着替えていた。”楓”の名にふさわしい赤い生地が主体でオレンジや黄色のカエデの葉がスパンコールでいくつも形作られた秋を感じさせる衣装だ。

まだバナナを食べながら鏡の前で蒼井に髪をセットしてもらっている。

真珠はカエデの隣に座って話しかけた。


「で・・・楓は今日のフリー、何を演るの?」


真珠の質問にバナナで口を頬張りながら不思議そうな顔をしている。楓は後ろの蒼井の方に振り向く。


「先生、今日何やるの? 」

「動くな!! 」


一生懸命楓の髪型をセットしている蒼井はイラっと言葉を返しながら、バッグの中からMP3の音楽プレーヤーを取り出した。


「これだよ」

「ありがとー」


楓はプレーヤーを受け取るとルンルンと鼻歌まじりで再生をする。


「わー いい曲だねー」


楓はじっくりと曲に聴き入っている。

その光景に真珠は青ざめる。


「ま、まさか 今日やる曲、初めて聴いてるわけ・・・・じゃないですよね?」


おそるおそる蒼井に聞く真珠。また手を止められた蒼井は不機嫌そうに真珠を見る。


「初めてだね・・・たぶん 」


蒼井は口に沢山の髪留めを加えながら言った。

真珠はハッとなり気づいた。


『そうか・・・楓は迷子状態で、ずっと買えってなかったんだった・・・』


再び、視線を楓に戻す。バナナも食べ終え曲を聴き入っている楓は極めて気分の良さそうな顔をしている。真珠は鏡ごしに蒼井を見た。


「あの・・・前から、ちょっと思ってたんですけど・・・蒼井さん、ちゃんと楓にフィギュア教えてるんですよね?」

「あ~ん・・・」


蒼井はムカッとした顔で真珠に顔を向けた。


「いや・・・ちゃんとしてるならいいんですけど・・・楓がブラジル行っただのライオンと戦っただの冗談ばっか言うから・・・」


楓に向き直った蒼井はほのかに笑った。


「全部、本当だよ。 この子と世界中観てまわってる・・・」

「な・・・・」


楓の冗談だと思っていたので、真珠はビックリして一瞬言葉を失った。


「何のために・・・! フィギュア教えてるなら まだ理解できるけど、要素も変な名前で覚えてるし直前まで曲も聞かせてないなんて・・・」


真珠は本気で楓が心配になってきた。小さい頃から変わらないと思っていた楓だったが、14歳の真珠と同じ歳にしてはあまりに常識が無さ過ぎる・・・

蒼井はやっと楓の髪のセットが終わったらしく満足そうに眺めた。


「なんでそんな無茶苦茶なことさせてるんですか! この子 九九も言えないんですよ・・・」


まるで聞いてないような表情の蒼井に真珠は若干、怒った。


「この子の人生潰す気ですか!! 」


思わず大きな声で口走っていた。だが真珠にとって本気で楓を心配した本音の言葉だった。蒼井は腰に手をやり、うつむき加減で大きくため息をつく。


「余計なお世話。」


表情のない顔で冷たく言った。


「蒼井さん!! 」

「うるさい子だねー 」


頭をかきながら蒼井は余った髪留めやブラシをバッグにしまう。


「あんたさぁ・・・人の心配してる場合? 」

「え?」


蒼井はジーっとバッグのチャックを閉めた。


「たぶん、そのままじゃ 優勝なんて出来ないよ」

「・・・・え・・・・」


突然のその言葉に真珠は反応できない。僅差ではあるがショートでは1位だった。

今日のフリーだって優勝に一番近い位置にいることは明らかだ。


「なんで・・・それいったいどういう・・・」

「ほら! この子 今日一番手なんだから 邪魔! 」


蒼井は何回も繰り返し曲を聴いている楓を立たせ更衣室から出る。

楓は曲を聴いたまま真珠に笑顔で手をふり出て行った。


『何? なんのこと? 私の計算に狂いでも? 何か弱点でもあるの? それとも・・・』


ふと、思いつく。3トリプルアクセルだ。 巻き足と言われ、フラツキも目立ち、とても完成しているとは言い難いのは確かだった。しかし失点されようが、どう思われようが、3回転半回って転ばなければ認定はされる。真珠は今日も3Aを飛ぶ気でいた。それを見透かされたのかもしれない・・・と思った。

しかし、大事な試合の前でこんなに不安になるようなことを言うなんて・・・

確かに教え子である楓は真珠の弁当のせいで食べすぎてしまい、ショートを棄権という最悪の結果で、この大会に成績は求められない状況になってしまった。


『でも、蒼井さんはこの世界のトップレベルで戦っていた人・・・上の世界ではもっとシビアでデリケートな精神的な戦いも当然あるのかもしれない・・・』


心の中でそう思いながらも真珠は蒼井のことをあまり良く思わなくなりはじめていた。



会場は昨日よりも観客が多くなっていた。今日は日曜で昨日よりこれる家族も増えているのかもしれない。リンクでは楓を含む最初のグループ六人の公式練習をしていた。

だが楓は人が滑るリンクで一緒に滑ること自体、かなり久しぶりなのに比べ、大会自体も初めてなのでマゴマゴしている間に時間が終わってしまう。

選手が次々にリンクから出ていくので慌てて帰ってきた。


「今の・・・何?・・・なんでみんなで滑ったの? 」


楓は不思議そうに蒼井に聞く。


「お前さぁ 教えたろ。演技前に最後のチェックでジャンプとかステップとかするって

ったく何もしないで終わらせちゃって・・・ 」


少し乱れた楓の髪を直す蒼井。されるがままで楓は沢山の人が入っている観曲席を見つめていた。


{ただいまより、東日本大会ブロック予選、関東大会 二日目 フリープログラムを始めます}


アナウンスが会場全体に流れる。

楓はラジオ体操のような準備運動をしはじめた。


「楓! 」


真珠が声をかける。


「コブタちゃん☆」

「いい? 気楽にいきなよ? 失敗したって棄権したって何にも恥ずかしくないからね。 昨日だってしてるんだし、当日に初めての曲聴かせる方がすっごく非常識なんだから・・」


真珠は心底、楓を心配していた。


『大会を経験させるにしても酷だよ・・・いくら変人の楓だって、こんな大舞台で笑い者にされたら絶対トラウマになる・・・・ 』


蒼井は聞こえていたが何も言わずリンクの壁に手をつき観客席の方をぼーっと見ていた。

楓はじーっと真珠の顔を見る。

そしてニッコリと笑った。

真珠に声をかけられた事がうれしかったようだ。

楓の顔にすこし赤みが出る。


「ありがとう! コブタちゃんのために頑張ってやるから、見ててね! 」


{エントリー1 中山 楓 さん }


楓の出番を知らせるアナウンスが流れた。


「ほら、出番だよ 楓! 」


蒼井がアゴで指図すると楓はスケート靴のブレードカバーを外し勢いよく出て行く。


『楓 』


その後ろ姿をじっと真珠は見つめた。


「あ あの子 昨日突然棄権してモドシちゃった子だよ」

「へー 今日は出るんだ・・・ハハハ」

「ガンバレー」


観客席から同情の声と笑い声がチラホラ聞こえる。

後に控える選手達も更衣室のモニターなどで楓の演技を見ている。

昨日、あれだけ失敗した子、今日は何をやらかすか・・・こういうデリケートな戦いの中で人の失敗ほど、安心し自信をつける材料はない。

楓の次の出番の選手までリンクに近づき見ていた。


ザワつくムードの中、みんなの視線を楓はリンクの中央で止まり、ゆっくりと目を閉じた。


会場に曲が流れ始める。

真珠はすぐにその曲名がわかる。それは世界の大舞台で自分がやりたかった・・・

幼い頃テレビで見た冬季オリンピック、楓のコーチ蒼井桜の演技・・・・


ショパン”ノクターン(夜想曲)” 第二番変ホ長調


楓はゆっくりと瞼を開けた。

曲調にぴったりのゆったりした動きで背後に滑り出す。

腕を優雅に羽ばたかせ胸にもってくると何かを訴えるかのように両手を下から天に仰ぐように持ってくる。その自然な指先までの動きが見るものに楓の表情を注目させ

その楓の切ない表情に沈黙をもたらす、同時に引き込まれる。


楓は背後の滑りから前方に向かう滑りにスイッチし左足に体重をのせた。

しかしそれは、枯葉のような重さしかないのではないかという楓の体の印象から

ただ左足を曲げ一瞬かがんだようにしか見えない。


次の瞬間、左足つま先で踏み切り跳んだ!!


空中で美しく楓が3回転半し優雅に着地した。

トリプルアクセルだ。

だがその超難易度のジャンプより、切なさをを増した楓の表情。

真っ白なリンクの中の優雅で切ない表情の少女の行く末に観客は一気に魅入った。


『あっさり・・・・』


真珠は青ざめた。


『・・・・・上手い・・・・・』


蒼井は楓の出だしを妖艶ともとれる微笑で見つめていた。





「コブタの真珠」第七話を読んで頂きありがとうございます。

この物語は全11話です。是非最後まで読んでくださいね!!

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