最終話:狐白と僕と、ひと夏の。
最後です。
母の手術から一週間ほど経って、僕の帰る日が明日に迫っていた。
この日は今までの天気が嘘の様に雨が降っている。
「雨で滑るから、気をつけてねぇ。」
「うん、行ってきます!」
傘をさして、今日も僕はお供え物のお稲荷さん乗った皿を手に神社へと向かった。
「おぉ涼太、雨の中ご苦労じゃったな。」
狐白は神社の境内で僕を待っていた様だ。
今日は裏手の広縁の廊下も雨で濡れていて、初めて彼女が使っている部屋へ通された。
「いつも思ってたんだけど、お坊さん?はこの神社にいないの?」
夏休みの間神社に通い詰めたが、狐白以外に人の気配を一切感じなかった。もし居るとしたら、いつも広縁で狐白と話している時に見ていてもおかしくはないはず。
「あぁ、月に一度来るくらいじゃからなぁ、坊主と言うより管理人という感じかのう普段は無人なんじゃ。じゃから儂がここで見張っておるんじゃ。」
狐白がお膳に乗せたお茶と茶請けを僕に渡しながらそう言った。
「狐白は今までずっとこの神社から出た事ないの?」
狐白が僕の向かいに座る。
「うーむ、お主達が住む町に降りる位かのう。」
「じゃあさ...僕と一緒に僕の街に来ない...?」
狐白に聞いてみる。
「うーむ...その言葉はありがたいんじゃが...儂はこの土地の神となった以上この町から出る事は出来んのじゃ。」
「そっか...。」
「明日帰るんじゃったか?あっという間じゃのう...。ここでの日々は楽しかったか?」
「うん、お母さんの事もあったけど狐白と友達になれて楽しかったよ。」
「そうか、それは良かった。そうじゃ、いいものを見せよう。」
「いいもの?」
そう言って狐白は立ち上がると、古い棚の引き出しを開けて、これまた古い紙封筒を取り出した。
「ほれ、これが誰かわかるか?」
狐白から見せられたのは色褪せた白黒の古い写真。写っていたのは当時の僕と同じくらいの男の子と女の子だ。
「うーん?」
僕は首をかしげる。
「裏を見てみい。」
狐白にそう言われ、写真の裏を見ると"孜、千代"と書かれていた。
「これってもしかして...お爺ちゃんとお婆ちゃん?」
「そうじゃ、丁度今の涼太と同じくらいの歳の時じゃったかのう。」
紙封筒には亡くなった祖父と祖母の写真が入っていて、その中には狐白の姿もあった。
「狐白は変わって無いね。」
「失敬な!儂だって少しは成長しとる!」
ぺしっと頭を叩かれた。
「痛てて...でもどうして狐白がお爺ちゃんとお婆ちゃんの写真を持ってるの?」
「あー...実はのう涼太の祖父祖母、孜と千代は昔から儂の事が見えとるんじゃ。」
「えぇ!?」
「涼太の歳位の時から今のお主の様に、良く神社に来ては遊んでおった。」
「今でもお婆ちゃんは見えてるの...?狐白の事。」
「勿論、今町で儂の事が見えるのは涼太の祖母だけじゃ。」
「聞いてないよぉ〜...」
「すまんな、涼太が混乱すると思ってのう。あぁそうじゃ、明日帰るのなら、夏実や他の者に挨拶は済ませたのかえ?」
「うん、言ってきた。」
「夏実に男らしく告白してきたかえ〜?」
「だから夏実とはそういうんじゃ無いんだって...!」
「ふぅむ、ん、さては涼太もう既に好いておる女子がおるんか?」
ドキッとした。
「ま、まぁ...うん...。」
「ほほう...気になるのう...。」
僕はお茶をずずっと飲む、沈黙が部屋を包む。
外は相変わらずの天気だ。
「にしても...なんじゃ...お主が帰ってしまうと、少しつまらんのう...。」
そう言った狐白の顔を見ると、少し寂しげな表情だった。
「そんな悲しい顔しないでよ」
「そんな顔しとらん...!話し相手が減って...ただそう思っただけじゃ...。」
「また、来るよ。」
「うむ。」
暫くするとさっきの雨は嘘のように止んで、雲の切れ目から配置ものように刺すような太陽の日が差していた。
僕と狐白は雨で濡れた広縁を拭いて再びそこに腰掛けながら話をした。
すぐに時間は経って、夕暮れになる。
祖母の家に帰る時間だ。
「ねぇ...狐白。」
「うん?なんじゃ?」
帰る間際、僕はずっと思っていた事を狐白に言おうとした。
「......。」
でも言葉が出てこない意気地無しの僕。
「どうした?体調でも悪くなったか...?顔が赤いぞ?」
「ううん...やっぱりなんでも無い。」
「気になるのう...ほれ、婆様が心配するからはよ帰り。」
「うん...色々とありがとうね狐白。」
「あぁ、また来い何時でも待っとるぞ。」
僕は彼女に大きく手を振って祖母の家に帰った。これが狐白と話した最後だった。
次の日、父親が朝早くに迎えに来るということで朝食を済ませると、僕は昨日の夜に計画した事を実行に移すことにした。
僕は狐白に手紙と絵、そしてプレゼントを用意した。
これを朝早くの神社の祠に置いてくる。
直接渡すのは恥ずかしくて、こんな形になってしまった。幸か不幸か、狐白に出会うことなくそれを祠に置くことができた。
それから祖母の家に帰り暫く経つと、父が車で迎えに来た。
僕が今日東京に帰ることを知っていた夏実が祖母の家に来て、別れの挨拶をしてくれた。
荷物をまとめて車に詰め込み、僕も車に乗り込む。
狐白の姿は無い。意気地無しの僕にはこれで良かったんだと思いつつ、僕は車の窓ガラスを開けて祖母と、一緒に見送る夏実に手を振った。車は動き出し、僕は祖母と夏実が見えなくなるまで手を振った。どんどん小さくなって、それが見えなくなり窓ガラスを閉めようと思うと、不意に何度か行ったひまわり畑が目に止まった。
一面を覆い尽くすほどに咲いたひまわり緑色しか無いこの町の一片を黄色く染めていた。
ふとひまわり畑を区切る石垣の上に、小さな人影があるのに気づいた。その人影は獣の様な耳と、尻尾があった。
僕は咄嗟に、閉めかけた窓ガラスを再び開けて車から身を乗り出した。
父が「危ないぞ」と言った気がしたが、それは僕の頭には届いていなかった。
石垣を通り過ぎると手前、その人影がくっきりと見えた。
「狐白...!」
まぎれも無い、狐白だった。
僕が祠に置いた手紙と絵、そしてプレゼントとして一緒に置いた赤い二つのリボンを手に持って、僕に大きく手を振っている。
僕は目頭が熱くなるのを感じたが、それに構わず、しかし父に気づかれない様に手を振り返した。
車はそのままひまわり畑を通り過ぎ、狐白の姿がどんどんとまた一つ、また一つ小さくなって、木の陰に隠れて見えなくなった。
彼女の目に、今まで見せなかった涙があった様に感じた。
僕は乗り出した身を戻し、窓ガラスを閉めて座席に戻った。
僕の頬をゆっくりと、大粒の涙が滑り落ちた。
それから暫くして、母が無事退院し再発も無く、今まで通りの生活を送れる様になった。
僕が高校に上がって、少し経った後に祖母がこの世を去った。遺書に葬式などを行わず、祖父と同じ墓に骨を入れるだけで良いと書かれてあったためそうした。
墓参りには何度か行ったが、僕はすっかりあそこであった事を忘れていて、狐白に会う事はなかった。
僕はそのまま高校を出た後一人暮らしアルバイトをしつつ大学に進んだが、自分に合わず中退して、狐白に言われてからなんと無く趣味で続けていた絵を生かせないかと思いフリーのイラストレーターにでもなろうと決めた。そして、たまたま貰った小説原作の人気作の漫画化を任され、いざ発売されると中々の好評でそれのお陰か次々と仕事が入り今では絵だけで暮らせる様になっていた。
そんな、とある夏の日。僕宛に1通の封筒が届いた。
差出人は不明。恐る恐る中を開けると、古びた手紙と一枚の絵が入っていた。
それは、僕が15年前のあの日に狐白に描いた絵と手紙だった。
「懐かしいなぁ...。ん、という事は...。」
送ってきたのは大方、彼女だろうと思いつつ、あの夏にあった事を思い出し"コレ"を書いた次第である。
今、書き終えた僕はカレンダーを見る。
カレンダーは8月、あの時と同じ夏真っ盛りだ。
手帳を見て、運良く予定が空いているのを確認すると、いくつか荷物をまとめて家を出た。
今年の夏は、15年前と変わらず僕を照らしている。
以下、狐白に綴った手紙
こ白へ
短い間だったけど、いろいろありがとう。
初めてこ白に会った時はびっくりしたけど、ぼくがお母さんの事で白にひどい事言った時もやさしくしてくれたよね。
はずかしくて、ずっと言えなかったからこの手紙で書きます。
ぼくはこ白の事が大好きです。
こ白はぼくが夏実の事が好きだと思っていたんだと思うけど、ぼくはこ白の事が好きでした。
帰る前の日に言おうとしたんだけど、やっぱりはずかしくて言えませんでした。
ごめんなさい。
こんな形になっちゃったけど一緒に絵と、こ白に似合うかなと思って買った二つの赤いリボンをプレゼントします。
また会える日を楽しみにしています。
りょう太
同封、僕と狐白が神社で遊んでいる絵
END