1. 地下室の住人
地下室で飼育される白い生き物の様子が描写されます。また、「彼」の来歴が語られます
男は夢を見ている。地下室の真ん中でひとり椅子に腰かけて、目を開けたまま夢を見ている。彼の前には水槽がある。鉄製の黒い四脚の台の上に乗せられた、さいころ型の大きな水槽。天井に設置されたライトが水槽を青白く照らしている。粗い珊瑚砂が敷き詰められ、水草がゆらめいていた。地下室はがらんとしていてその水槽のほかに何もない。
白い生き物が水の中を泳いでいた。ひたすらに白く滑らかなその皮膚は、青白いライトに照らされて妖しく不思議な色をまとっている。目や口といった器官は見当たらない。えらも手足も呼吸器もない。それは白い風船のようにも見える。
生き物は自由に泳ぎながら、水の中に文字を書こうとしていた。少なくとも彼にはそんな風に見えた。急速な動きによって何本かの直線を書き、それからしなやかに旋回して曲線を書いた。
でももちろん彼にはその文字は読めない。
いつしか地下室には雨の匂いが立ち込めている。ずっと昔にどこか遠い場所で降った雨の匂い。白い生き物を眺めるときにはよくそういうことが起こる。古い記憶がよみがえるのだ。正確に言うとよみがえるような気がするのだった。そうした記憶はあまりにおぼろげだからほとんど夢と見分けがつかない。しかし彼にとってはどちらも同じようなものだった。現実から隔絶された暗い地下室で彼はそうして過去をめぐった。
数分前までは風船のようだった生き物は、今は台形に近い形状に変わっている。先ほどよりもやや大きくなっている気もした。それからさらに長い時間が経過して、男は夢から覚めた。生き物はとっくに泳ぐのをやめて水草の陰にうずくまっている。体は丸めたティッシュペーパーのように縮んでいた。
もう夜になっていた。地下室には窓はもちろん時計さえない。それでも夜の訪れを感じることはできる。
彼は下関市の西部の小さな町にひとりで住んでいる。かつては祖父母や両親も一緒に暮らしていたのだがみんな死んでしまった。家は築70年を越えた一階建ての一軒家で、部屋の数は少なく、老朽化も激しい。台所と狭い居間、縁側のある仏間と浴室とトイレ、あとは部屋が2つ。北側の一室を彼は自室として使用していたが、めったにその部屋で長く時間を過ごすことはない。普段彼はたいてい地下室にいる。
地下室は彼の父が生前に作ったものだった。父は一種の地下愛好家だった。地下街や地下道といったものに幼いころから心ひかれていて、自宅にも地下室がほしいという夢を抱いていたのだ。祖父母が世を去って家を相続したとき、父はすぐさま建築業者に依頼して地下室を作らせた。そうやって彼はついに夢を実現させたのだった。休みの日などには、父は地下室にこもって長い時間閉じこもっていたものである。その間、入り口のドアには鍵がかかっていて誰も出入りできなかった。父がそこで何をしていたのかは知らない。
息子である彼にとっても地下室はお気に入りの場所だった。昼間、父が仕事に出かけているときなどには地下室に自由に出入りすることができた。その部屋にはほとんど何もなかった。いくつかのがらくたがあるばかりのただの四角い箱型の空間だった。普通の子供はそんな場所に魅力を覚えることはない。それでも彼はことあるごとに地下に潜った。壁にもたれて何もせずぼんやりしながら、いろんなことを思い浮かべるだけでも、十分に満足な時間を過ごすことができた。それは宇宙船の中にいるような気分にさせた。
縁側のある仏間は彼が地下室に次いで好きな場所だった。南西を向いた部屋は家の中で最も日当たりがよく、彼は縁側に寝そべって読書することを好んだ。彼はもっぱら小説か漫画か絵本を読む。実用書や専門書を手に取ることはない。彼は物語の形をとっている書物だけを欲した。
狭い庭はがらくたで埋め尽くされている。かつて彼の母はごみやがらくたの類は庭に置くものだと決めていた。それがそのまままになっているのだった。壊れた椅子、壊れた扇風機、壊れたオーヴン・トースター、古本や古雑誌。どういうわけかドアまである。これは母がかつて、トイレのドアを交換修理してもらった際に残った古いものである。そうした捨てるべきものを母は捨てずに必ず庭に運んだ。そして彼女にしか理解できないある法則に基づいて注意深く配置した。
彼や彼の父が、少しは庭を整理するべきではないかと提案したことは一度や二度ではない。そのたびに母は怒りだし、がらくたで埋め尽くされた庭の魅力について語るのだった。
がらくたのおかげで庭は彩り豊かなものになっている。遊園地やテーマパークみたいに賑やかに活気づいている。と母は主張した。
「見てみいね」と母は言ったものである。「ああやって鳥が集まって来る。ほら、猫も。みんなこの庭が好きなんよ。楽しいからよ」
母は庭についてはそんな風にとてもかたくなだった。あるとき父が勝手に庭のがらくたを捨てようとしたことがあったが、そのとき母は手が付けられないほど怒り、いつになく強い口調で父を非難した。
「私が父さん(彼の父のこと)の趣味にけちつけたことないやろ❓CDとか勝手に捨てたら怒るやろ❓それと同じ。手出しせんで」
母が父に対してそれほど強気になるのは、庭に関するときだけだった。
そんなわけで庭はがらくたに埋め尽くされた。彼も、彼の父も、母が庭に作り出したと信じている小世界の美的価値を認めることができない。しかし確かに母の言葉の通り、野鳥や野良猫は実に頻繁に庭を訪れた。母が建造した「テーマパーク」は実際に結構な集客力を備えていたのである。鳥は木に集まるものとばかり思っていた彼は、鳥たちが、庭に一本だけある細い木に見向きもせず、ガラクタ群の上に好んで舞い降りることを意外に思った。庭を眺めるたびに何かしらの鳥が目についた。鳥たちは積み上げられたがらくたの上を跳ねるように歩いたり、あちこち飛び移ったりした。そして不思議なほど長くその場にとどまった。おかげで彼はいくつかの野鳥の名前を覚えるまでになった。
常連のように庭にやって来る年老いた野良猫もいた。猫はがらくたの隙間の狭い場所でじっとしていることが多かった。猫が来ると鳥たちは飛び去ってしまう。
近所の人がこの荒廃した庭を見たらどう思うか、という考えも母にはなかった。
母は特に頑固な性格というわけでもないのに庭に関してだけは誰が何を言っても一歩も譲らず、がらくたを積み上げることをやめなかった。母は好きなことであればとことんまで突き詰める性格をしていた。母はもともと手先が器用で、手芸や押し花が得意だったし、何より絵が上手で、その作品が下関の地域情報誌に掲載されたこともあった。つまりそれなりに芸術家的な傾向を有していたのである。
母の死後も彼は庭に手をつけなかった。彼はその庭を芸術家として母が残した作品であるとみなした。
母が死んだのは彼が15歳のときである。6月のある朝、目を覚まして台所に入ったとき彼は血の匂いを嗅いだ。朝食の用意はされていなくて、両親の姿もない。彼は家中を探しまわったが、どの部屋も無人だった。庭にもいなかった。最後に彼は地下室へ向かった。階段を降りる途中、入り口のドアがわずかに開いているに気づいた。隙間から明かりが漏れている。ドアノブに血のような赤い液体が付着している。
彼はドアを押して地下室の中を覗いた。すぐにむせ返るような血の匂いが鼻を突いた。床一面に血が広がり、その真ん中にひとりの人間がうつぶせに倒れていた。母であることはすぐにわかった。
彼はもつれる脚で階段を駆け上がり地上に戻った。そしてしばらくの間意味もなく庭や、家の中を歩き回った。彼は混乱していた。父のことを思い出したのはそれから10分ほど過ぎてからのことだった。そう、父の姿はどこにもなかった。車庫には車もなかった。仕事に出かけたのだろうか❓いや、それにしては時間がまだ早すぎる。彼は台所の椅子に腰かけて物思いにふけった。父はおそらく車で警察か救急隊を呼びに行ったのだ。彼はそう信じて待った。そのまま30分ほどが経過した。その30分間、彼はまるで朝食が出来上がるのを待つときのように、台所のテーブルに向かっていたのだった。
よく考えてみれば警察を呼ぶのにしても車で行く必要はない、と思い当たったのはその後のことだった。電話をかければいい。車で行く必要などない。思考能力が麻痺していて、そんな当たり前のことにそれまで気がつかなかった。それなら父はどこにいるのか❓
とにかく救急車や警察を呼ばなければならない。そのこともまたずいぶん時間が経つまで彼は思いつかなかった。電話をかけるとすぐに救急車がやってきた。警察官もやがて到着して、母の死亡が確認された。腹部をナイフのような刃物で刺されており、死因はその負傷による出血多量だった。母が死亡したのは真夜中だと推定された。凶器は見つからず、父親は姿を消している。車だけでなく、父の財布や通帳や免許証といったものが紛失していた。地下室の階段や、玄関や車庫に足跡が残っていた。それは父の足跡であるとほぼ断定された。
彼は警察官に事情を聞かれたが、話すべきことはほとんど何もなかった。事件の前日の夜、両親に普段と違う様子はなかった。いつも通りの平穏な夜だった。彼は11時過ぎに眠り、朝まで目覚めなかった。夜中に物音や声によって眠りを破られたりすることもなかった。
父の捜索が開始された。3週間後、200キロほど離れたある街で父の車が発見された。濃い緑色のゴルフは山の入り口の雑木林のようなところに乗り捨てられていた。運転席のシートには手で拭ったような血の跡があった。鑑定の結果それは母の血液と一致した。しかし父の行方は依然知れないままだった。
彼はそのようにして両親を失った。身を寄せられる親族がいないことはなかったが、彼はそれまで住んでいた家に住み続けることを選んだ。父親が姿を消したままだったので、母親の死亡保険金は彼が代理人となって受け取った。母方の伯母がその手続きを手伝ってくれた。それに加えて母が残したわずかな預金が彼のものになった。彼は高校1年生になったばかりだった。
伯母はときどき彼の家を訪れて身の回りの世話をしてくれたりした。わずかながら経済的な援助もしてくれた。彼はそうした環境のもとで高校に通い卒業した。卒業後は市内の印刷工場に就職した。別に印刷工になりたかったわけではなかったが、能力や境遇のために、職業選択の自由などないに等しかった。
収入は多くはなかったが、一人でつつましく暮らすぶんには特に不自由はなかった。彼は私生活においてめったにお金を使わない。服もろくに買わないしお金のかかる趣味や道楽もない。そのようにして数年が経過した。彼の暮らしは単調で規則正しいものだった。週に5日か6日の労働のほかにはめったに外出することもない。多くの時間を彼は家の地下室にこもって一人で過ごした。今でも地下室は彼にとって重要な場所だった。両親がいなくてもこの家に一人で住み続けることを選択したのは、あるいはこの地下室のためだったのかもしれないと彼は思う。床のコンクリートには血の跡が染みとなって生々しく残っている。
自分を置いてどこかに消えた父に対して、彼は不思議なほど怒りや怨みのような感情を覚えていない。いつか帰ってくるだろうという漠然とした予感を抱いてさえいる。




