神楽、琥珀の決意
水蓮寺琥珀と一条奏水、この数か月で一気に名を上げて神楽・神術共に非常に高い完成度を見せた二人の神楽ということで役人たちはそれはもうこぞって集まっていた。暑気払いという名目だが、正直暑さなどどうでもよく、大人気の二人の演奏が聴ければそれでよかった。
神楽堂は三百人ほどが着座で入る広い空間で、実は存在する二階席というものを含めると更に追加で百人ほど収容できる。そういうわけで着席キャパは四百人、スタンディングであればそれ以上が入る中々の規模。結成したてのロックバンドなんかからすれば当面の目標の会場という扱いになる。ここでワンマンライブが出来たら成長と人気の証になるだろう。
そんな会場が満員御礼。
ゆえに暗転して幕が開き、それと同時に会場へ響き渡った先鋭的でいて郷愁を讃える琵琶の音色に誰もが聴き入った。幕が上がるにつれて舞台の上が見えるようになる。その下手で見慣れない楽器を抱えた少女に注目が集まる。この国では誰も見たことのない特製のダブルネックギターを抱えて繊細かつ大胆な指遣いで琵琶を鳴らしているのは彼女だった。
その刺激的なリズムに龍笛の音色が乗っかってくる。
上手で鍵盤を弾く少女の動きに合わせて華麗に鳴り響く馴染みの音色がフレーズを奏で、リズムとフレーズが交互に絡み合う、そのままテンポが上がって期待感を掻き立て、しかし最後にテンポが下がって余韻を残して音が消え去っていく……が、それと入れ替えになるように奏水の指が新たなリズムを刻み始める。
そのリズムがやがて聴き覚えのある三味線と鳳笙と絡まり、巫女候補たちには聞き覚えのある旋律が鳴り出し― 今日の一曲目である『白雲花橘』にシームレスで繋がる。壮大なロングイントロから雪崩れ込んだ人気曲の登場にどよめきが起こる。
前回は二曲目に披露したシンセベース主体の未来感と先鋭性が溢れるナンバーの即投下に沸き上がる客席。奏水がそこそこ考えた決めた曲順は上手く機能したようだ。
琥珀はいつの間にかギターを下ろして歌に専念しており、その伸びやかな歌声で雅楽の持つ荘厳さと美しさを体現しながら奏水のポップセンスにも呼応する歌唱で聖俗両立という見事な離れ業を成し遂げていた。これはもうセンスと実力の賜物だ。
そのリズムの心地良さに客席は揺れていた。決してクラブやロックフェスというわけではないが、確実に会場の温度を上げて音楽に身を委ねる空気が生まれていた。奏水もそれを見て感じ取って満足げにシンベを弾き倒し、琥珀も余裕たっぷりに続ける。
そしてこの流れはしっかりと活かす。
二曲目である『紅灯恋歌』。奏水的には弦楽フォーク歌謡とカテゴライズしたその曲に一曲目の熱量を持ち込もうと試みる。といっても身体を揺らすことではない。その身体を揺らすという行為に使っていたエネルギーを今度は物語に没入するエネルギーに変換してもらう。
テンポは落とす。でも熱を保ちながら。
そのためのインターリュードが奏水のシンセソロだ。一曲目のシンセベースの音色を少々変えて叙情的な雰囲気を出しつつ、同期のバイオリンとチェロを混ぜる。リズムが四拍子から三拍子に、優雅なワルツのように移り変われば弦楽の情熱的な打ち込みが観客の感性に訴える。
それをもう一度四拍子に戻す。
この変拍子で自然にテンポを落とす。『白雲花橘』と『紅灯恋歌』のBPMの差はおよそ15だから、7~8ずつ落として無理なく繋ぐ。そして奏水のシンセがアコースティックピアノの音色に切り替わり、一度音が止んだところからピアノによるイントロが流れ出した。
奏水が考案した出来るだけ自然な繋ぎ。
少し不安はあったが、客席が目を見開いたりぎゅっと握り拳を作っている様子を見るに感情に訴えかけるという策は上手くいったようだ。そこに琥珀の歌が乗れば順風満帆。
セットリスト。それはとても面白くて難しい。
ただ人気のある曲を並べればいい? なんとなく似たような曲を並べればいい? 観客が好きそうな曲ばかり選べば曲順なんてどうでもいい? 否。奏水はそんなこと少しも思っていない。
音楽は簡単なことで化ける。一曲が持つ力を何倍にも何十倍にも出来る。それは例えば前後の曲との並び、演奏の繋ぎ方、歌詞の内容、メロディの性質、アレンジの方向性、ありとあらゆる文脈で音楽は繋がることができる。そして思いもよらぬ繋ぎが生まれることで曲の力は、観客の心を打つ力を持ち、それが膨れ上がり、忘れられないものを心に残す。
奏水はそんなにコンサート文化・ライブ文化に詳しい方ではない。
実際に会場に足を運んだ回数も決して多くない。子供が一人で行けるほど安全かつ健康的な空間は思うほど多くない。けれど数少ないその経験でも奏水の心には大きく残るものがあった。
あまり好きではなかった曲が別の曲との繋ぎのお陰で面白く思えて好きになった。前の曲との対比である曲を違う見方で捉えるようになった。アレンジばかりに目を向けていた曲の歌詞に興味が湧いたらとても出来が良くて感激した。そんな経験を何度もした。
だからセットリストは生半可な気持ちでは作れない。
音楽を生かすも殺すも曲順次第。その重みを奏水は理解しているつもりだ。
ゆえにこうして自分の考えた構成が上手く機能していることが嬉しい。演奏にも思わず力が入る。激情を歌い上げるラスサビの琥珀の歌声と呼応する。音楽にのめり込む。夢中になる。
だからアウトロの最後の一音まで曲の世界に入れ込みながら弾く。
最後の最後のわずかな響きまで神経を研ぎ澄ませて捉える。
そして演奏が― 止まった。
音が止まった。舞台上の二人とも動かなくなった。客席がどよめく。これまで演奏中に二人が音を止めたことはなかった。それは神楽を見た巫女候補も、料亭に足を運んだ役人も知っている。
やがて一度消えた灯りがついた時、再びギターを抱えてマイクスタンドの前に立っていた琥珀に注目が集まった。口を開く。音楽ではないただの人間の喋りが始まる。
「今日はわたしたちの神楽にお越しいただきありがとうございます。わたしたちは普段様々な場所で演奏して、たくさんの方に音楽を聴いてもらっていますが……今日は、少しだけ喋りたいと思います」
琥珀のMC。
奏水は目を瞑って腕を組んで静かに聞いている。
「わたしは、とても自信のない人間でした。こうして今神楽堂に立っていることなんて、昔のわたしではあり得ませんでした」
奏水はMCがあまり好きではない。
誤解を恐れずに言うならば嫌いだ。
音楽の世界をぶち壊すから。
自分の好きな物語の世界を現実に侵食されるから。
「ですが今こうして神楽を披露することができています。それは番のおかげでもありますが、それ以上にわたしの心が強くなったことが大事だと思っています」
だが、今日はそれを許した。
むしろ自分から琥珀に喋るように促した。
「わたしには、幼馴染がいます。とても優しくて、聡明で、たくさんの人に期待されている子です。小さい頃からずっと一緒にいました。わたしを見ていてくれました」
もちろん理由がある。
MCで自分の書いた曲を邪魔されても構わないと思える理由が。
「ですがわたしは彼女に甘えていました。彼女はわたしを慰めてくれました。失敗しても仕方ないと、人間だからできないこともあるのだと。でも、それに甘えていたわたしは間違いでした」
それはもちろん―
「わたしは彼女の言葉に盲目で、自分のできないことばかり見てしまいました。自分ができたことを軽視しました。優秀な親や学院に相応しくない人間だと思い込んでしまいました。彼女はきっと、わたしをそうやって見下そうとしていたのです。わたしの欠点を見出して、それに安堵して、劣等感を覆い隠そうとしていたのです。……そんな彼女との関係はずっと続いていました。わたしはその真意に気付けなかったのです」
印南千寿、大事な番の心に傷を残した張本人の断罪である。
「ですが、大洲宮に来て彼女と離れ、今の番と出会ってから、わたしは気付きました。わたしにはできることがたくさんある。人に褒めてもらえるものがたくさんある。自分を卑下することなんてないのだと。自分で自分の道を狭めてしまっていたのだと」
琥珀の心はもう大丈夫。前を向いている。
「だからこの神楽は、そんな弱かった自分と、そして彼女との決別の場です。そんな大事な場所で、皆さんに神楽をご覧いただけることを嬉しく思います。……最後の一曲は、わたしも楽器を演奏します。わたしたちの音楽を、最後まで楽しんでいってください」
小さく拍手が始まる。けれどその前に奏水が同期を流し、イントロをすぐさま神楽堂に鳴り響かせた。新曲『玻璃の国』は過去最速のBPM120、この国では全く馴染みのないハイテンポの一曲。しかし躊躇わない。
イントロから琥珀の三味線のリフが炸裂する。奏水のピアノを押しのけて、しかし同期のリズム隊と息を合わせて華麗な速弾き。Aメロに入ってもしっかりとコードを抑えながら時折オカズを加えてアクセントを残しながら歌っていく。ワンコーラス目は比較的暗い歌詞だが、その歌詞と暗めのコード、速いテンポが上手く噛み合う。生音の気持ちよさが倍増する。
Bメロで一旦テンポを落としてからのサビはもう勢いよく叩くくらいの感覚で弾く。緩急をつけてからの爆発力に奏水の手数多めなピアノフレーズが絡むと疾走感が生まれ、客席では明らかに大きめに身体を揺らしている観客の姿が見て取れた。初披露としては上々の出来だ。
2コーラス目は主旋律やBメロのリズムチェンジで客が飽きないように工夫し、琥珀の三味線も低いラインを弾いて落差を付けるなど趣向を凝らす。奏水はテンションコードなんかも割り当てながら不安定感も醸し出して、そこからサビへ突入すれば新鮮な感覚で楽しめる。
琥珀が書いた詞も聖俗の狭間で風景描写や心情描写を織り交ぜながら、しかし速いテンポに合わせて母音のハマり重視で進めたこともあって気持ちよく響いている。主旋律も平坦で発声が楽なので、琥珀が三味線の演奏に割くリソースが増える。策士奏水の采配は完璧だ。
そんな策士も間奏では自らコーラスに入る。やはり不安はあったものの、客席がこちらを見て「おおっ」と驚くような顔をしていたので決して悪くないと思い込むことにした。
そしてそこからのラスサビはもう弾いている二人ですら興奮が抑え切れなかった。楽しいという感覚に支配されて、もはや自分の演奏が正しいかもわからないのだが、客席の沸きっぷりを見るに問題ないと自信が持てた。手が勝手に動く、喉も勝手に開く。
アスリートが『ゾーンに入る』という表現を使うことがあるが、今の二人はまさにそれだった。完全にノっていた。無敵だった。
アウトロも華麗にそれぞれの楽器を弾き倒し、琥珀に至っては最後に地声ハイトーンのフェイクなんかもかまし、客席のボルテージは最高潮に達し―
最後の一音を同時に鳴らして見事にクライマックスを迎えた。
琥珀も奏水も思わず手を上げて客席にファンサービス。そして神楽堂は歓声と喝采で包まれた。二人とも初めてのスタンディングオベーションを受け、奏水は達成感に満たされ、そして琥珀は―
(わたしの演奏で……こんなにたくさんの人が熱くなってくれてる……すごいっ、わたしすごいですっ!! やりましたっ!!)
満面の笑みを浮かべていつまでも客席を見続けていた。
舞台の幕が下り切るその時まで、ずっと。
―――
「印南さん、さっきのあれ、本当なんですか?」
「ち、違いますっ……あれはっ……!」
「え? でもわたしも似たようなこと結構言われましたよ。あれってわたしを見下して安心してたんです?」
「違うっ、違うのっ……!」
神楽堂の裏、人通りのない廊下の端。
印南千寿とその番が人目につかぬように佇んでいた。
「いや、本当にそう言われると思い当たることばっかり。神術の時も神楽の時もわたしのできないことばっかり指摘してきましたよね。うわっ、酷い」
「…………」
「わたし、自分の未来を閉ざすような相手と番とか組みたくないんですよ。巫女にはなれませんけど、実は地元の学院から教師にならないかって言われてるんですよね」
「ちょっ、まっ……」
「はあ? 今さら改心とか遅いですよ。わたし、教師も夢のひとつだったんです。そっちの道を選ぶことにします。というわけで今までありがとうございました」
踵を返す番の着物の袖を握って涙目で縋る千寿。
だが、番はそれをあっさり振り払って―
「人を見下すような奴とかこちらからお断りです。ではお元気で」
「……まっ、てぇ……」
役人と巫女候補の前で己の浅ましい本心を暴かれ、番にも見捨てられた。
それは彼女が大洲宮を去ることが決まった瞬間だった。




