01-01
ある日、俺は勇者に選ばれた。
今から約百五十年前に封印された魔王が復活し、魔王城が出現したのが二週間ほど前。
代々勇者を排出し、魔王を倒してきたこの国では、魔王が復活すると勇者選定の儀を行う。
「……矢が家に刺さっただけで勇者ってのは、なんだか現実味がないけどな」
軽くぼやいて肩をすくめた。——今日は、出発の日だ。
長年使ってきた作業台を軽く撫で、立ち上がる。
普段、狩りに使う道具や薬を作り続けた作業台には、細かな傷や薬品の染みがあちこちについていた。
工具をしまいこむと、その下から見知らぬ傷跡とインクが見えた。
『アル兄ちゃんより強くなれますように』
赤毛の男を打ち倒す子供の絵と共に、そんな字が書かれていて、「あいつ!」と思わず舌打ちする。
「作業台は危ないから近づくなって言ったのに……ったく」
一体いつの間に入り込んだのか。
俺が普段この工具を動かすことがないのを知って、ここに書き込んだのだろう。
苦笑した。
「ほんと、悪ガキが」
少し考えてから、ペンで「せいぜい頑張れ」と書き加えた。
***
部屋を出て、台所に向かうと母が朝食を作ってくれていた。――嫌な予感がした。
「あ、おはよう。アル。もうすぐご飯できるから」
「え? あ、う、うん。ありがとう、母さん」
温かいスープとパン。サラダ。目玉焼きにベーコンがテーブルに並ぶ。
手を合わせてから食べ始める。——食べて、顔に力が入る。
「母さん……塩と砂糖間違えてない?」
目玉焼きが甘かった。予感があたった。
「え? うそ……! あら、ほんとねー。私ったら……うふふ」
「うふふじゃないって……はぁ。
だから、俺が作るっていつも言ってるのに」
母さんはよくこういうドジをする。料理が上手くいくかの可能性は半々だ。
そしてよりにもよって、旅立ちの日に失敗を引いてしまったらしい。
「あなたに元気で出発してもらおうと気合い入れたんだけど、入れすぎちゃったみたい」
「うん……ある意味気合入ったよ」
「大丈夫よ! アルは父さんと母さんの自慢の子だもの。魔王なんて目じゃないわ」
母は、反省する素振りなく笑った。目の奥に心配そうな輝きが見えたけれど、彼女の言葉に嘘もなかった。
「次は、美味しいご飯を作ってあげるから」
たしかに、確率が半々ならば次は成功する可能性が高い。
苦笑した。
「出来れば、これから『ずっと』美味しいご飯を作ってくれると嬉しいんだけど」
「努力はするわ!」
「……バーのマスターに料理頼んでおくよ」
「まぁっ! 母さんを信じてないの? ……でも、たしかにマスターのご飯は美味しいのよねぇ」
文句を言っているのか、納得しているのか分からない母親に笑った。
「じゃあ……行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
***
「おっ、アルオニー! おはよう、ついに出発か?」
「わぁっ狩人の……勇者の兄ちゃんだ!」
「あら、アルくん。おはよう。ご飯はちゃんと食べたかい?」
「ひゅーひゅー! 勇者様のお通りだ!」
街を歩くと、みんなからそんな声がかかる。いつもと変わらない笑顔で返事をしつつ、からかう声には「そうだぜ、勇者様に道を開けろ」と胸を張れば、どっと笑い声が響いた。
「しっかしお前が勇者に選ばれるなんてな。
残念だったぜ。
もう少し風が強ければ俺の家に矢が刺さっただろうに」
「何言ってやがる。お前の面のどこが勇者だよ」
「でもこれでアルも歴代勇者のリストに載るのねぇ。まさか生きている間に勇者を見られるなんて」
「ほっほっほ。お前さんなら納得じゃな」
「兄ちゃん! 魔王やっつけたら、どんなやつだったか教えてくれよな!」
好き勝手言われ、バシバシと身体を叩かれる。
「うるせー! さぼってねーで、仕事しろ、お前ら!
爺さんも、そこの悪ガキ連れて帰れ。そいつまた俺の作業台に忍び込みやがったぞ」
「なんじゃとっ?」
「うげっ、バレた!」
イラッとし、追い払う。蜘蛛の子を散るように去っていく姿を「まったく」と呆れつつ見送った。
「あはははっ、相変わらずモテモテね、アル」
振り返ると、ピンク色の長い髪を揺らしたネールがいた。肩をすくめる。
「見てたなら助けろよ」
「えー? 助ける必要あった? 嬉しかったくせに」
「嬉しいわけあるかよ」
息を吐き出して、ネールが持っている籠を見た。
「配達か?」
「うん。もう終わったけどね」
自然と、並んで歩き出した。ネールの実家がやっている酒場は、港に近いので同じ方向だ。
「そうだ。親父さんに言っておいてくれないか? 母さんの飯お願いするって」
「あー……おばさんの料理って、博打だもんね。
うん、分かった!」
頷いてくれたことにホッとする。
「おやおや、お二人さん。朝からラブラブだね?」
と、からかう声にジト目を向けた。
そこには想像通り、金の長髪を風になびかせる男がいた。眼鏡のレンズの向こうにある目は細くて、いつも通り感情が読み取りにくい。
「イ、イディっ? なななっ、何言ってるの! らっラブラブなんて!」
ネールが顔を真っ赤にしていた。
俺は、今日何度目か分からないため息を吐き出した。
「あんまりからかいすぎると嫌われるぞ」
「あはははは、ごめんごめん。ネールの反応が可愛くてさ」
「可愛っ」
さらりと言ったイデアルに、ネールはますます真っ赤になった。昔からの変わらないやり取り。
「で、どうした?
引きこもりなお前が、こんな時間に外にいるなんて珍しい」
いつもなら実家の本屋で、売り物の本を読み漁っているだろう。
聞けば、イデアルは「心外だね」と眼鏡の縁に触れた。
「親友が魔王討伐なんて誉れある旅に出るんだよ? そりゃ見送りくらいするさ」
ふふんっと胸を張るイデアルに、
「あんたが?」「お前が?」
と、ネールと二人、言葉が被った。
「ひどい! なんてひどい幼馴染なんだ! ショックすぎて今日は本が一冊しか読めなさそうだ」
「あら、いつも通りね。良かったわ」
「そうだな。いつものイデアルだな」
騒いでいるイデアルを放って歩き出すと、イデアルは「待って! え? 本当に置いてくつもり?」と慌てて走ってきた。
「って、そうだった。アル、船長さんがいつもの発作出てたよ? 出発できるの?」
追いついたイデアルの言葉に「ぅげ」と声を出す。
「またかよ。師匠、そんなに陸地にいたっけ?」
「前回帰港したのが15日前で、魔王復活やら何やらで海に出れてないみたい。
ほら、一応あの人、海軍大将だし」
一応の部分を強調して言っているように聞こえたが、深くは突っ込まない。
陸地に長いこといると発狂する赤毛の大男の姿を思い出し、なんとも言えない気分になる。
「一応、頼りにはなるしな」
「そうだね。いざという時は頼りにはなるね」
イデアルはなんとも言えない顔で同意した。
そう。頼りにはなるのだが……発作のように発狂しだすと、周囲の声がまったく聞こえなくなり、雄叫び上げながら国中を走り回り、三日後くらいに疲れて眠り込み、発作がおさまる。
しかし、出発は今日だ。
俺とイデアルの目線がネールに向いた。
ネールは待ってましたと言わんばかりに胸を張った。発作を起こした師匠を止められるのは、ネール一家だけ。
そして、酒場で忙しいマスターを一々呼ぶのは忍びない。
お願いを口にしようとした時、地響きがした。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
噂をすればなんとやら。
上半身裸でその筋肉を見せつけながら、こちらに突進してくる男がいた。
——これが、俺の師匠か。
何度目か分からない複雑な心境になりつつ、空を見上げた。
耳は、聞いちゃいけない音を拾っているが、すべて右から左に聞き流した。
「そこに、お座りしなさい!」
「きゃふんっ!」
野太い悲鳴など、俺は聞いてない。




