久しぶりね
私は、絶望の底に、沈んでいた。
そして——それは。私だけでは、なかった。
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ぐらぐらと、揺れる、意識の、どこかで。
声が——聞こえた、気がした。
……ふぇぇ。みどりぃ。
泣いている。ちいさな、声。探している。誰かを。必死に。でも——届かない。だんだん、遠く。
……ざわ、ざわ。
うねる、気配。何かが、膨れ上がって。誰かを、呑み込もうと——。
……生きられなかったのに。あなただけ。
ねっとりと、絡みつく、囁き。誰か、を。責めている。
……僕は、また。何も、守れないのか。
苦しげな、うめき。聞き覚えの、ある、声。
(……みんな……?)
ぼんやりと、した、頭で。思う。みんなも——苦しんでいる。私と、同じ。この、闇の中で。
助け、なきゃ。そう、思うのに。
指一本——動かない。声も、出ない。立ち上がる力も、とっくに——どこかへ、消えてしまった。
ただ。ずるずると。私も——闇の底へ。一緒に、沈んでいくしか、なかった。
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どれくらい。そうして、いたのか。
時間の感覚も。もう、わからない。私は、ただ。虚ろなまま——闇に、漂っていた。
何も、考えられない。考えたく、ない。考えれば——また、あのつらいことを。思い出して、しまうから。
(…………)
目の焦点も、合わない。ただ——闇を、見つめている。いや。何も、見ていない。
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『……あら』
すぐ、そばで。声が、した。
いつのまにか。王妃が、私のすぐ目の前に。佇んでいる。真っ黒な瞳で、こてり、と首を傾けて。
『いい顔ね』
その唇が。満足げに——弧を描く。
『さっきまでの、生意気な目。すっかり、消えてしまった。……ええ。その、何も映さない目。とても、好きよ』
王妃の手が、私の頬を。つう、と撫でる。氷のような、感触。でも——もう。それを振り払う気力すら、わたしには、なかった。
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ずる……。
王妃の足元から。闇が。ゆっくりと——溢れ出す。
ずるり……。
それは。私の足元へと、忍び寄り。じわじわと。脛を、膝を、這い上がってくる。
『さあ。もう、おやすみなさい。何もかも、忘れて。楽に、なって』
闇が。腰まで。胸まで。ゆっくりと——私を、包み込んで、いく。
(……うん。もう……いいや……)
抗う気力も。なく。私は——ただ、目を、閉じようと、して。
でも。
その、ときだった。
さっきの、悪夢の声が。まだ、胸の奥を——抉っている。
『お前の、居場所はない』
『偽物』
(……私は……偽物……)
ずぶり、と。心が、また——沈みかけた。
その、瞬間。
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ふいに。
あの、深い——青い、瞳が。脳裏に、浮かんだ。
『緑。……いい名前だ。君に——よく、似合う』
(——!)
ユリウスの、声。私を、まっすぐに見て。「緑」と呼んでくれた、あの声。
そして——。
『あなたの、好きに。生きて。あなたの、舞台を——作って』
優しく、微笑む。銀色の髪の——シルヴィアの、声。
次々と、よみがえる。私を、私として受け止めてくれた、人たちの。あたたかい、声が。
(……ああ。そうだ)
(私は——偽物なんかじゃ、ない)
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(私の……誰でもない、私の——)
ぐっと。閉じかけた、目を。見開く。
(私だけの、舞台だ——!!)
その、瞬間。
ぽぅ……。
暗闇の中に。ちいさな——光が、灯った。
(……?)
私の、指。そこにはめた、母の指輪。それが、ほのかに光を放っている。
ぽぅ……ぽぅ……。
まるで、心臓の鼓動のように。断続的に、あたたかな光が明滅する。
(……?!)
虚ろだった、意識の奥に。その光が、じんわりと染み込んでくる。冷えきった指先に、ほんのりとした温もりが。戻ってくるみたいに。
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ぴたり。
王妃の、動きが。止まった。
『……その、光は』
初めて。王妃の声に——戸惑いが、にじむ。あれほど、余裕に満ちていた、声が。わずかに——強張った。
そして。
光の中から——声が、響いた。
『……アデライド』
(……?!!!)
女の人の——声。優しくて。けれど、芯のある、声。誰の、ものでもない。指輪から——その声は、聞こえて、いた。
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その名を、聞いた、瞬間。
王妃の、真っ黒な瞳が。これ以上ないほど、大きく見開かれた。のっぺりとしていた、その顔に。初めて——はっきりとした感情が、浮かぶ。
それは——驚愕。そして、もしかしたら——おそれ。
『……っ、お前は……!』
王妃が。一歩——後ずさる。あの、王妃が。
(……アデライド? それって——まさか、王妃の)
虚ろだった、頭の片隅に。小さな、疑問が、灯る。アデライド。それは——もしかして。この、王妃の。本当の、名前——?
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指輪の光が。いっそう、強く——輝きを、増す。
そして、その光の中から。ゆっくりと——人影が、浮かび上がってきた。
すらりとした、立ち姿。優しい、面差し。シルヴィアと、同じ、銀色の髪。
(……この人は)
忘れもしない。あの、光の洪水の中で見た。幼いシルヴィアを庇って、その命を散らした——その人。
シルヴィアの、母が。指輪の光を、まとって。静かに——そこに、立っていた。
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母は。ゆっくりと。王妃の方へ——視線を、向ける。
その瞳に。憎しみは——なかった。ただ、深い、悲しみと。そして——どこか、懐かしむような。優しさだけが、宿っていた。
そして。
母は。かつての、親友へと。静かに——微笑みかけた。
『久しぶりね。……アデライド』
その、声が。闇に沈んだ草原に。優しく——響き、渡った。




