あなたの、舞台に
手帳の、最後の頁。
白紙のまま残された、その一文に。私は、そっと意識を集中させた。
これまで解いてきた暗号の言葉が、頭の中で繋がっていく。
——だから、あなたを呼んだ。生きて、ほしい。わたしの代わりに、この身体で。あなたにしか、できない。この世界を……。
その、先。最後の、一文。
(……でも。どうやって、解けばいいんだろう)
わたしは、湖を覗き込んだ。鏡のような水面に、私の顔が映る。最後の一文を読み解く鍵が、ここにあるはずなのに。何も、起こらない。
(……何か、足りない)
その、ときだった。
『……っ。みどり、これ……!』
肩の上のピピが、突然、ぴん、と身をこわばらせた。
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『なんだろう、これ……。湖の、底から。すっごく、大きな力を、感じる……!』
ピピの、探し物の力。失せ物を見つけ出す、その目が。湖の底の何かを、捉えていた。
『さっきまで、こんなの、感じなかったのに……。今、急に。すごく、強く。……ここに、何か。すごく大事なものが、沈んでる!』
(……大事な、もの?)
『探す! ぼくが、見つけるから……!』
ピピが、ふわりと湖の上へと舞い降りる。水面に触れるか、触れないか。その小さな身体が、淡く光り始めた。
すると、湖の底から。ゆっくりと。何かが——浮かび、上がってくる。
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水面を、割って、現れたのは——一つの、指輪だった。
(……あれは)
なぜか——見覚えが、ある、気がした。
いつ、どこで見たのか、思い出せない。それなのに。胸の奥が、ざわめく。とても大切なものだと、本能が告げているような。
(……なに、これ。どうして)
指輪は、きらきらと光を放ちながら。ふわふわと、私の方へ近づいてくる。そして、その光が、みるみる強さを増していく。
(……っ、これ)
まばゆい。目を、開けて、いられないほど。
光が——あふれ出す。湖から。指輪から。私の、全身を。包み込んで、いく。
その瞬間。
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光の、洪水だった。
あの日と、同じ。記憶を失くしたフリをした、あの朝。鏡の中に、引きずり込まれた、あのときと、同じ。
目を開けると、私には、身体がなかった。ただ、漂う視線だけになって。私は、流れ込んでくる光景を、見ていた。
(……これは)
夢じゃ、ない。誰かの、記憶だ。シルヴィアが、ずっと抱えてきた。決して誰にも語れなかった、その、すべて。
暗号の最後の一文が、言葉ではなく。映像となって、私の中に雪崩れ込んでくる。
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最初に、見えたのは——美しい、女性だった。
優しい面差し。シルヴィアと同じ、銀の髪。その人が、幼いシルヴィアを抱きしめて、笑っている。
(……お母、さん)
シルヴィアの、母。すぐに、わかった。その人の指には——美しい指輪が、嵌められていた。
(……あれは。さっき、湖で——)
間違いない。たった今、湖から現れた、あの指輪と——同じものだ。あの既視感の正体。これは、シルヴィアの母の指輪だったのだ。
でも、その光景は。すぐに——暗転する。
迫りくる、黒い靄。それは、幼いシルヴィアに襲いかかろうとしていた。
(……シルヴィアを、狙って!?)
その、瞬間。母が——娘を、庇った。
自らの身を盾にして、シルヴィアを抱きしめて。黒い靄から、かばうように。
悲鳴。崩れ落ちる、母。そして——その庇った、ほんの一瞬に。黒い靄のひとかけらが、シルヴィアの小さな身体に。すうっと——こびりついた。
(……あの、黒いかけら)
その瞬間、映像が教えてくれる。あのひとかけらこそが、シルヴィアの命を、ずっと蝕んできた正体なのだと。
わたしが、ずっと「病」だと思っていた、シルヴィアの儚さ。同じ運命を背負っていると、聞かされた、あれ。その始まりが——これ、だったのだ。
(……お母さんは。あなたを、守ろうとしただけ、なのに)
母が、娘を庇って、命を落とした。なのに——遺されたシルヴィアは。その身に宿ってしまったもののせいで、ずっと、ずっと苦しめられてきた。
(……シルヴィア。あなたは。こんなにも、哀しいものを。たった一人で、抱えて。生きてきたんだね)
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そして、その惨劇を。すぐそばで、見ていた人が、いた。
一人の、女性。シルヴィアの母の——親友。
(……この人は)
親友が、目の前で。無惨に、命を、奪われた。
彼女は——崩れ落ちた母にすがりついて、泣き叫んでいた。喉が張り裂けそうな声で、何度も、何度も。亡き親友の名を、呼びながら。その姿は——見ているこちらの胸まで抉るほど、深い悲しみに満ちていた。
(……この人も。大切な人を、失って)
そして——その慟哭で、ぽっかりと引き裂かれた、心の隙間に。あの黒い靄が、するりと——入り込んだ。悲しみに暮れる人ほど、闇はつけ込みやすいのだと。言わんばかりに。
泣き崩れていた、その人の瞳から。すうっと、光が消えていく。
(……まさか。この人が——王妃!?)
優しかった、その人が。闇に呑まれて、今の、あの——底なしの瞳の王妃に。変わってしまった、瞬間だった。
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そして、その変わり果てた妻を。見ていることしかできなかった、王様。
愛する人が、別の何かになっていく。その絶望に、王様の心も、少しずつ砕けていった。やがて、その王様の身体にも。さらに深い闇が、忍び寄って——。
(……ああ)
この国を蝕む、闇。その、すべての始まり。それは、こんなにも哀しい出来事から、生まれていたのだ。
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映像は、移り変わる。
幼い、三人の子供たち。シルヴィア。赤い髪の、イザベラ。そして、青い瞳の、ユリウス。仲良く、笑い合っている。
(……三人は。こんなに、仲が、良かったんだ)
でも、その幸せな光景にも。影が、差す。
あの、夜会。壊れた調度品。真っ青な顔の、イザベラ。そして、そのそばに立つシルヴィアの背後に。あの、黒い靄をまとった王妃が——囁いていた。
『イザベラのせいに、なさい。
……できない? ふふ。
子供なんて、いくらでも産んで道具にできるのよ?
あの子を消して、新しく作って。
その子が世界を憎むように、育ててあげる。
あなたが逆らうなら——ね』
(……っ、そんな)
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シルヴィアは——震えて、いた。
青ざめた顔で、唇を噛んで、涙をこらえて。そして——親友を守るために。自分が憎まれることを——選んだ。
『いいえ。一緒には、いません。イザベラが、壊すのを、見ました』
その一言一言が、シルヴィアの心を引き裂いていく。大好きな親友を、自分の手で突き放す。それしか、イザベラを生かす道が、なかったから。
『ユリウスも、信じないわよ。あなたから、離れていく』
それも——王妃に、言わされた、言葉。イザベラを、孤立させ。さらに、深く、傷つけるための。毒の、一言。
去っていく、シルヴィアの青ざめた横顔。その瞳からこぼれた涙を、誰も見ていなかった。
(……シルヴィア。あなたは、ずっと。こんなものを、一人で)
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そして、映像は。最後の、真実へと辿り着く。
あの日、母から移った——黒い、かけら。それは、静かに。けれど、確実に。シルヴィアの命を、蝕んでいた。
(……病、なんかじゃ、なかった)
ずっと、「病」だと思っていた。シルヴィアの、儚さの理由を。でも——違った。あれは、母が命をかけて娘を守った、その代償。あの日から消えることなく、彼女を蝕み続けた、闇のかけら。
シルヴィアは——精霊王に、尋ねた。自分の、残された時間を。そして——知って、しまう。もう、長くは、ないことを。
そんな、彼女が。最後に、したことは——自分のためでは、なかった。
召喚で呼ばれる、見知らぬ誰か。その人が、この身体で、この世界で。困らないように、少しでも生きやすいように。シルヴィアは、せっせと準備をしていた。
映像が、切り替わる。
屋敷の、一室。シルヴィアが、ぼうっと虚ろな顔で。「ここは、どこ?」「わたしは、誰?」と。誰にともなく、つぶやいている。
(……あれは。記憶喪失の、フリだ)
すぐに、わかった。だって——わたしも、同じことをしたから。あの、不自然なほどの虚ろさ。あれは、演技だ。シルヴィアは、わざと「記憶が飛ぶ人」を演じている。やがて来るわたしが、記憶喪失のフリをしても。誰にも、怪しまれないように。
(……シルヴィア)
そして——わたしが、今、手にしている。この、手帳。少しずつ、解いてきた、暗号。
これも——シルヴィアが、遺してくれたものだ。来るべき「わたし」に、真実を伝えるために。たった一人で、こつこつと。すぐには解けないように。でも、いつか必ず、届くように。この暗号に、想いを、託して。
自分の命が、もう、長くないと。知りながら。残された、わずかな時間を。見知らぬ、誰かのために、使って。
(……シルヴィア。あなたは。自分が、消えていくのに。わたしのことばかり——)
胸が、熱くて。張り裂けそうだった。
(……これは)
鏡の、向こう。そこに、いたのは——私だった。
舞台の上で、照明を浴びて。役を演じている、池崎緑。いろんな人生を、喜びを、悲しみを。全身で演じる私の姿を——シルヴィアは、鏡越しに。じっと、見つめていた。
『……この子だ』
シルヴィアの、声。
『この子になら——託せる。きっと、この子は。わたしより、ずっと——強いから』
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そして、その隣には——荘厳な、光の気配が。あった。
時計台の、精霊王。あの、声と光だけの存在が。この、すべての計画に。手を貸して、いたのだ。
『たしかに。この娘は——精霊士としての、才を。誰よりも、宿している』
精霊王の、声が。静かに、響く。
『この者なら、闇に、立ち向かえるだろう。……いいのだな? シルヴィア。これを、最後に。お前は——』
『はい。覚悟は、できています』
シルヴィアの、声は。穏やかで。でも——どこか、寂しげで。それでも、確かな、決意に、満ちて、いた。
そして、湖のほとり。小さな水の精霊が、こくり、と頷く。
(……ピピ!?)
今より、ずっと大きく。凛々しい姿の——ピピ。その姿が、召喚の力の大半を、その身に引き受けて。
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まばゆい、光が、弾けた。
召喚の、術が——成った。私が、この世界に、呼ばれた、その、瞬間。
力を使い果たした、ピピが。小さく、小さくなって。その記憶ごと、零れ落ちていく。
(……ピピ。あなたは。わたしを、呼ぶために)
すべてが——繋がった。
シルヴィアが、なぜ私を選んだのか。なぜ、ピピがこの湖にいたのか。なぜ、この草原に答えがあったのか。なぜ——私が、ここにいるのか。
全部。全部、ここに、あったのだ。
そして。すべての、記憶が、流れ込んだ、その果てに。
最後の、一文が。ようやく——その姿を、現した。
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光の中に。シルヴィアの、声が。響く。
あの、暗号の。最後の、言葉。
『——この世界を、
あなたの舞台に!』
(……え?)
私は、戸惑った。
ずっと——「救って」だと思っていた。「この世界を、救って」と。そう続くのだと、ばかり。
なのに。
(……あなたの、舞台に? どういう、こと?)
その言葉の、意味を。私は——まだ、つかめないでいた。
光が、いっそう強く。私を、包み込んでいく。
そして、その、まばゆい光の中から。ゆっくりと、一つの人影が、歩み出てくるのが。見えた。




