おまけ話◆新しい王妃(サイドB)◆
陛下視点です。
王妃誕生を前に王宮中、いや、王都中が浮き足立っていた。
祝いのムードは遅れて地方にも広がっていくだろう。
母が亡くなり十数年の時を経て、不在だった王妃の座が埋まる時がきた。
新しい王妃誕生の発表が出れば、王都は祝いの宴一色になる。
人々が今か今かと王宮外でその告示を待ちかまえていた。
正式な祝賀は出産を終えてからとなる予定だが、今日の式典に各国から急使が祝辞を持って訪れている。
そのため儀式の後、来客に少しだけ新王妃ナファフィステアを披露する予定だった。
今日の為にと取り寄せた『真珠』という宝石が彼女の胸元を飾る様を、カルダン・ガウ国の使者に見せるには絶好の機会だ。
彼女は宝飾品を贈ってもその首元に飾ることはなかったが、彼女が『真珠』と呼ぶ宝石なら身につけるのではないかと思い、ずいぶん探した。
『真珠』は海で採れる珍しい宝石であり、カルダン・ガウを越えた、海に面する国で産出されたものだった。
カルダン・ガウ国とは、しばらく前にナファフィステアがその国の王族と同格の地位を得、それと同時に友好関係を築くことを約したが。
カルダン・ガウ国を挟む海の国と、我が国に友好な交流があると知らしめることは、カルダン・ガウに対する牽制であった。
友好と脅威は匙加減が難しい。
カルダン・ガウ国出身の王妃だからといって、かの国と手を結ぶが、従うわけではないと各国に宣伝も必要だった。
そういった意味で、ナファフィステアに贈った首飾りは無理にでも身につけさせる予定だったが。やはり『真珠』が気に入ったらしい。
儀式の間に現れた彼女の胸で虹色の輝きを放ち、よく似合っていた。
もう少し取り寄せて黒髪や耳元に飾れば、とても映えるに違いない。あの国に今後も要請するとしよう。
王妃の儀式を終え、今は使者達の祝辞を受ける迎賓の間に移っていた。
使者達は祝いの言葉を口にしつつ新王妃へ興味深く視線を浴びせてくる。
あまり他者の視線に晒したくないが、これも公務の一部であるため仕方がない。
「ねぇ、あそこに私の椅子があるじゃない? どうして私はこうしてるの?」
ナファフィステアが小声で問いかけてきた。
彼女が示す先、新たに設えられた王妃の席は隣にある。
だが、それでは彼女の様子がわからない。
こうして膝に座らせていれば、突然気分が悪くなろうとすぐに対処できる。
そういう意味でなくとも、彼女が膝にいれば退屈な社交辞令を聞く時間も無駄ではない。
「そなたを一人にするのは危険だからだ」
一人って、隣じゃないのよ、とブツブツ文句を呟いていたが、嫌がる様子はないのでそれは聞き流した。
それよりも気にかかっていたことを尋ねた。
「儀式の時、顔色が悪いようだったが。気分が悪かったのか?」
儀式の部屋に入った時、ナファフィステアは蒼白だった。
顔も引きつった笑みで足取りは重く。
最近は安定していたが、急に体調が悪くなったのかと危惧した。
一瞬、王妃になりたくないのではという考えも頭を過ぎったが。それはないと即座に否定した。
王妃になりたくなければそう告げる。そうでなければ、王妃にならないよう何らかの行動を起こすだろう。そのくらいには彼女の性格を理解していた。
体調が悪いのか、他に思い悩むことがあるのか。
神官達の前を進む彼女の様子は、ひどく緊張しているようだった。
王の前に出る者達の中にそうした様子の者をよく目にする。それと彼女の様子は似通っていた。
緊張とは無縁の無神経さを持っていると思っていただけに、にわかには信じられなかった。
ナファフィステアが王の前に出ることくらいで緊張するはずはない。
神官達がいるためか?
腹に子を宿していると感情の起伏が変わると聞いたので、そのせいなのか。
平静を保とうとしているようなので歩み寄りはしなかったが、歩ききった彼女の前に膝を付き、その顔を覗き込んだ。
どうしたと問うても返事はなく。
視線をあわせたナファフィステアは、何度も深い息を繰り返し落ち着こうとしていた。
何を緊張しているのか?
と、再び尋ねようとした時。
彼女が軽くキスをした。
ナファフィステアはふっと表情を緩め、その震える指先は平常を取り戻そうとしていた。
緊張を解くため、か?
だが、ナファフィステアはキスの理由を語らなかった。
ただ微笑んで。
それ以降は順調に儀式をこなしたのだが。
結局、あの緊張の理由は何だったのか。
「緊張してただけ」
「なぜ緊張していたのだ?」
今日の儀式は書類に名前を記載するだけであることを、すでに彼女は知っていた。
この王宮へやってきた時、結婚の書類に名前を書いた手順とさしてかわらないのだから。
違いと言えば室内にいた者達くらいだ。
通常の妃との結婚の儀式は少人数で執り行われる。しかし、彼女の場合はカルダン・ガウ国関係者を含んでいたため同席者は多かった。
あの時のことはよく覚えていないが、年端もいかぬ娘が固くなっていた記憶はある。あの時のナファフィステアは、今思えば攫われたも同然の状態であり、ひどく警戒していたのかもしれない。
あの時と、見た目はあまり変わらないものの、ふっくらと丸みを帯び、固さはどこにもない。
膝に横向きに腰掛けているナファフィステアは、疲れてきたのか余の背中に片腕を回して、力を抜いた身体を持たせかけてきた。
「ナファフィステア?」
答えないつもりかと名を呼べば。
クスッと笑う気配が伝わる。
「今日はね、結婚式のつもり」
ゆっくりのんびり独り言のように呟いた。
小さな声で、聞き取れなくても構わないと思っているらしい。
前の結婚の儀式時には、言葉を知らぬナファフィステアには何もわからないうちに過ぎたのだ。だから、今日が結婚の儀式だと?
彼女を支えている左腕を彼女の手が撫でる。繰り返し。
「一生に一度のことだから、緊張しちゃった」
「そうか」
国王以外は、一人の相手としか結婚できない。だから、一般的に結婚は人生の節目であり、祝い事であるという。
だが、所詮は書類上の変更にすぎず、財産の変動など利益に関わらない理由で結婚を喜ぶことが理解できなかった。
今までは。
一生に一度、一人だけを選び選ばれる。
それは確かに喜ばしいと感じた。たかが書類上の変更といえど、これは自分だけのものだと断言できるのだから。
唐突に思われた彼女のキスにも意味があったに違いない。
落ち着かせるためだけでなく。
各国の使者が祝辞を述べ、ある者は祝いの品を差し出している。
それを宰相達が次々と対処していく。
王と王妃は玉座にいるだけ。
今回はあくまで非公式の場だからである。
宰相が何も言わず満足そうな表情でいるのは、王と王妃の仲睦まじい様子を見せることに賛成しているからだろう。
目の前の様子をナファフィステアがのんびりと眺めている。
このように王妃を膝にのせた王のことを使者達はどのように国に報告するか。その後の各国の反応が楽しみなことだ。
そう思っていると、ナファフィステアが欠伸を噛み殺していた。
「眠いのか、ナファフィステア?」
ゆるりと首をまわしてナファフィステアが見上げてきた。小さく口を開けとろんとした表情だった。
眠ってもいい? いいよね?
という無言の懇願を含んでいるらしく。眠い時特有の甘える仕草だった。
その唇に軽くキスを落とす。
「いっぱい、人が見てる」
と不満を呟かれた。口をとがらせて。
眠そうな彼女からはそれ以外の抵抗はない。
というよりも、その唇と瞳は催促でしかなかった。
「儀式の時は、そなたがしたのではないか」
耳元で囁き。
再び、唇をふさいだ。
眠気のため思考が鈍っているらしく、緩慢に、だが素直に応えてくる。
唇を解放すると、ほとんど落ちた瞼で見上げてきた。
瞳も口元も頬も幸せそうにゆるめて。
「あれはね。結婚の、誓いのキスなの。死が二人を別つまで、添い遂げることを、誓いますって」
彼女の国では、結婚の儀式にそういった行為があるのだろう。
こっそりと大事な秘密を打ち明けるかのように。告げられた内容は擽られるようだった。
あの時の彼女の緊張も、誓いのキスも、まどろみ眠りにつこうとしていることも。
全てが、この腕にある。
彼女へ誓いのキスを贈った。
しかし、彼女はすでに眠りの入口で。
「おやすみなさい。アルフレド」
「ああ、お休み。加奈」
ナファフィステアはしばらく頭を持たせかける位置や角度を探っていたが、やがて静かに寝息をたてはじめた。
嬉しそうな笑みを浮かべ、自分を支える腕に身体を預けて。
~The End~




