Mάσκα - 〝仮面〟 -
因劉は倒れた扉を直しながら、エスに言った。
「おい」
エスはその後に紡がれる言葉は何かと、息を呑んで待ち構えた。
彼の言葉とも言えない呟きは何か核心に触れたかのような、そんな重たい意味合いを含んでエスに伝わってきた。
何か大切なことを話そうとしている。そんな確信をエスは抱いて、ゴクリと唾を飲んだ。
「......いや、なんでもない」
因劉のその台詞を聞いて、エスはすっかり脱力してしまって地べたに突っ伏した。
こういう時全く動じず充電し続けていたアドを見習いたいものだ、とエスは心の中で呟く。とにかくもう夜だ。睡眠は失敗の予防の一つだ。ドラゴン討伐は少し失敗しただけであっさりと命を落とす。
色々と考えつつ、エスはその脱力を保ったまま、ベッドへと入り込んだ。
この部屋にはベッドが二つ付いているが、アドはベッドを使わないので、そこで因劉は寝るらしい。
「寝るのか。おやすみ」
「おやすみなさい」
エスはそんな平和なやりとりをしながら、ゆっくりと目を瞑った。
出来るだけ何も考えないように、と念じながら。
ガシャガシャと鎧の擦れる音が下の方から聞こえてきて、あのうるさい奴がこの宿に来るのか、とエスはクスリと笑って眠りに落ちた。
◇
その日、エスは夢を見た。久し振りの人を殺す以外の夢。
見たこともない物質で構成されている涯のない場所で、一人エスは佇んでいた。
地面はすべすべとした白に近い灰色の素材で出来ている。質感は石に近いのだが、石とは触り心地がかなり違って、その素材がなんという名前なのか、エスには分からなかった。
エスがそこを彷徨っていると、遠目に”顔”が見えた。エスの体の二倍もある、大きな顔面。その顔はエスの方を向いておらず、どこか遠くを見つめていた。エスから見える裏面は、仮面の裏側のようにあらゆる所が凹んでいた。
エスはそれを見て、全力で駆け出した。
追いつけ、追いつけ、と念じながら、離れていく顔をつかもうと、ひたすらに走った。
しかし、どれだけ走ろうと道が無限に伸び続けて追いつかない。疲れ切ったエスが地面に膝をついた瞬間、仮面は突如としてエスの目の前まで後ろ向きのままやってきて、そこで静止した。
その瞬間、仮面の裏から、幾つもの顔が現れた。その顔は、エスの顔と全く同じものだった。一つ一つが苦悶の表情を浮かべている。中には血涙を流している顔もあった。
エスはそれをみて、泣き出した。その姿に恐怖して、ひたすらに逃げ回った。
そして、顔を置き去りにして逃げながら、その姿を確認しようと後ろを振り向いた。
遠目に見える顔が、ニヤリと笑ったような気がした。
◇
彼女は悪夢にうなされていた。
寝巻きが汗でびっしょりなので、エスはタオルを借りて拭いてから、もう一度眠る気にはなれなかったので、顔を洗いに井戸へと向かうことにした。
夜風がエスの皮膚を撫でる。街外れのこの宿の近くにポツンと置かれた井戸には人気がなく、都市伝説が絶えないのも納得の不気味さを纏っていた。
井戸桶に汲んだ水は澄んでいる。
澄んだ水は月光に照らされるエスの暗い顔を映していた。
(今、自分はどんな顔をしているだろうか)
ペレストロイカの組員、エスの顔だろうか。
タウバッハに住んでいた娘、シェリー・ウェスターの顔だろうか。
もしかすると、彼女の中に潜む誰かの顔かも知れない。
彼女にはどうしても理解出来なかった。
(不気味だ)
エスはただ単純にそう感じる。
自分は二つの顔、二つの仮面を持っていた。エスの仮面、シェリーの仮面の二つだ。それだけだったはずなのに、いつの間にかもう一つ仮面が増えていた。
不気味でしかなかった。それに、何だか自分が殺していった人々に申し訳ないような気がして、その仮面の正体を突き止めようと焦っている。
結局、顔を洗ってもその疑問は晴れなかったので、宿へと戻ることにした。
◇
宿へと戻ると、一階に見覚えのある巨大な鎧が置かれていた。
ピッカピカの金色に、幾つもの宝石が埋め込まれている。攻撃を受けやすい胴部分には宝石が数個しかついていないあたり、一応考えて配置はしているらしい。
エスは面倒な奴がいるな、程度にしか考えずに二階にある自分の部屋へ向かおうとした。
その時だった。
「お前は彼女のことを何も知らないだろう!」
ラスティンの声がした。いつものおちゃらけた声とは違う、聞いたこともないような大声。誰かと話していたらしい。その瞬間、エスの抱いていた疑念は確信へと変わってしまった。
(間違いなく、私は私ではない誰かだ)
ラスティンが知っていて、エスが知らないこと。それが何であるか、エスには分からない、ということがわかってしまった。間違いなくラスティンは、私の中の三つ目の仮面の正体を知っている。
疑問に対する確信を抱いてしまったエスは、気まずそうに歩いてくるラスティンを見て、こう尋ねた。
「......あなたが私の何を知っていると?」
「いや、なんでもねえ。忘れてくれ」
ラスティンはおちゃらけた声を作るのに失敗して変な声になりながら、去っていった。
その日は、まったく眠ることが出来なかった。
◇
その日は朝早くからアドとエスは出かけていた。まだ陽も昇っていない。辺りは真っ暗、魔物の目が光っている。
タウバッハから少し離れた山にはほとんど整備がされておらず、魔物が生き物を食い放題な状況となっていた。
今回討伐するのは山に住むタイプのドラゴン。ドラゴンは基本的に4種類存在し、それぞれ討伐方法も変わってくるのだが、今回は最も討伐方法が単純な四足鱗羽根有ドラゴン、通称山ドラゴンの討伐だ。このタイプのドラゴンは洞窟に住んでいるので、洞窟の前に落とし穴を掘るなどのトラップを仕掛けておく。羽を有するドラゴン種は落とし穴だけでは飛び去っていってしまう場合があるが、それの対策も既に練ってある。
あとは他の魔物に邪魔されぬよう、夜明けを待つだけである。
しばらくエスが身を隠して待ち構えていると、草を踏む音が聞こえてきた。アドは体重が重すぎるので木の陰に隠れている。
おそらくはこの辺りの人型魔物だろう、と木の上に身を隠して様子を伺っていたが、エスの予想は大きく外れた。
『連呼セヨ、母ノ帰リヲ待チ給エ』
胸部にはハオス、あの触手の怪物の物を彷彿とさせる黄色いゼリー状の球体が埋め込まれており、頭部は先端が丸まった長細い何かがくっ付いているだけの不気味な姿。金属でできた骨格の隙間から肉塊が覗いている人型の怪物。
それはまさしく、”ロボット”と呼ぶに相応しい姿だった。




