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Ψώνια - 〝買い物〟 -

 時はエスがタウバッハへと向かう少し前へと遡る。

 エスからタウバッハに向かうとの報告を聞いたボスは、一人ペレストロイカの事務所の窓から心配そうに外を覗いていた。誰にも見せない表情が事務所の窓に映り込み、ボスは慌てていつもの仏頂面に戻した。


「タウバッハ......エスはそんなに無計画に動くだろうか......いいや、それは無いな。だとすると」


 彼はいつもより独り言が増えている事に気がつかない。それほど、ある存在に意識が向いていた。

 ある存在の容姿を思い出す。ふざけた花冠を頭に乗せ、白い貫頭衣という服装。腹が立つニヤニヤとした笑い。


「トゥニカ......」


 ボスはそれだけ呟くと、チリチリと鳴り出したベルの蓋を開けた。


 ◇


「......アドさん! アドさん!」


 エスは急に倒れたアドを揺さぶっていた。

 100キロをゆうに超える彼の重量から、エスは彼を移動させることなど不可能だったので、彼は草原に倒れっぱなしだ。

 アドは揺さぶられているのに気づくと、ゆっくりと起き上がった。前のめりに倒れたらしい。

 自分の身に何があったかをシステムに尋ねると、システムは”充電不足”とだけ短く返してきた。

 充電不足。アドにとってそれは大問題であった。以前まで、彼には誰かが付き添ってはメンテナンスをしていた。それが無くなれば、異常を来す。


「すいません。充電が切れたようです」


 システムの言った言葉を鸚鵡返しして、アドが空を見上げる。日が少し傾いており、空は茜色。商店街から熱気がこちらにまで漂ってきている。

 映像を再生し終えた時からの記録が取れていないあたり、その時に充電が切れてしまった、と彼は判断し、立ち上がった。汚れてしまった服を直すことはせず、商店街の方へ歩いていくとエスに止められた。


「汚れた服のまま商店街に歩いてかないでくださいよ、変な目で見られるでしょ......よし」


 エスはある程度ついてしまった泥を払うと、どこからともなく取り出したハンカチで手を拭いてから商店街の方へ歩き出した。


 ◇


 そこは熱気に包まれていた。アドにとってはそれらは意味不明で、ただただ単純に大声を張り上げて自分の店を宣伝しているように見えた。もっと効率的な技術があるだろうに......と考え、ここは未来とはいえ文明が衰退した世界であることを思い出し、俯いた。これからエスとアドは別行動をとることになっている。

 アドはエスに買い物メモを渡されている。そこには『縄(長くて丈夫)』、『飯』とだけ手書きで書かれていた。ここは武器商人と漁師が目立つ。タウバッハが港町であり、漁も盛んであるためだ。二つとも調達には困らない。

 だが、一つ大きな問題があった。


「......どこで買えばいいのですか」


 アドにはどの縄がより丈夫なのか、どういったものを買えばいいか分からない。そもそもアドが目覚める前は、縄は考古学の研究室でしか目にできないようなものだった。資料で見たことがあるのと、実際に目にして強度を確かめたことがあるということは別だ。それに、別れる前にエスから詐欺について注意されていた。粗悪品を掴まされるな、と。それを防ぐために誰かに聞く、という発想はプロトコルに従い続けるアドにはない発想だ。


 アドが途方に暮れていると、後ろからなんとなくチャラい声がした。

 アドはその声に聞き覚えがある。

 後ろを振り向くと、夕陽が反射してアドのカメラを真っ赤に染め上げた。

 チャラい声の主はその様子に気がつくと、逆光の位置に立った。主の体が影で黒く染まるが、その程度ならアドには視認可能だ。


「お前、アドだろ?」


 立っていたのはラスティンだった。カラバイアの上級騎士、ラスティン・バイローム。無駄に大量に装飾が施された装備を着込んで歩いていたようで、夕陽に反射して奇麗だ。

 アドはラスティンに買い物メモを見せると、ラスティンはアドを小馬鹿にしたように笑い、飯屋の方向を指差しながら言った。


「はじめてのおつかいかよ、しゃあねえな」


 ラスティンはアドの手を引いて、商店街を駆け回った。


 ◇


「昔この辺に”ウェスター”って名前の家族が住んでたと思うんですけど」

「ウェスター......ああ、ウェスターさんね。覚えてるよ」


 アドと別れ自分の買い物を終えたエスは、商店街に居る人に片っ端から自身について尋ねていた。

 主にこの街に定住しているであろう農家などに聞いている。


「シェリーって女の子がいたと思うんですよ」

「ああ、確か可愛い子がいたよね......どんな顔だったかな、忘れちゃったけど」


 もう何も新しい情報がなさそうだったので、形だけ礼を言って、エスは疲れてきたので少し休憩することにした。

 これで十人目。その全員が、”シェリー・ウェスターの顔を覚えていない”という。ウェスター家を知っている知っていないに関わらず、だ。シェリー・ウェスター本人が目の前にいようと、彼らは思い出してくれなかった。

 エスの抱いている思いは不気味、という言葉で簡単に表現できた。そもそも、自分は本当に存在していたのかすら疑問になってくる。

 この問題を抱えたままでいると、そのうち仕事にすら支障が出るだろう。早めに解消しておきたい。

 エスが道の隅で考えに沈んでいると、遠くから聞き覚えのある陽気な声が聞こえてきて、エスは立ち上がった。


 ◇


 結局飯はラスティンのチョイスで干し肉となった。縄もかなり良質なものが手に入った。少々値が張ったが。

 先にドラゴン討伐と目的を伝えてあったがため、最善のものを選んだようだ。アドにはさっぱり分からないが、ラスティンは満足気だ。初心者冒険者を応援しているつもりなのだろう。

 飯を購入し終えた二人は手を振ってくるエスにその二つを渡すと、エスは満足気に頷いて宿の方へと向かった。

 途中でラスティンは別行動をとり、二人で帰っていく。

 宿に到着すると、まずアドは土をとれ、と命じられた。アドは宿屋の人に布を借りて、土をサッサと拭いていく。

 部屋に因劉は居なかったが、メモ書きに「少し出かけます」と日本語で書いてあった。エスはそれが読めなかったので、


 土を拭き終えるなり、アドはとってある部屋の窓際によって充電のポーズをした。

 明日はドラゴン討伐であると聞いて、先に十分に充電をしておく、とだけエスは聞いている。なんだかそれが遠出を楽しみにして早めに寝る子供のようで、エスはその様子を微笑ましく見つめていた。


 その時である。


 ドン、っと大きな音を立てて部屋の扉が開いた。

 立て付けの悪いドアが外れ、砂煙が舞う。掃除も整備も行き届いていないのをエスは気にせず、その砂煙の向こうを見た。

 そこには、因劉が眉間にしわを寄せて佇んでいた。

 因劉は外れてしまったドアを元に戻しながら、エスに低い声で言った。

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