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北の国へ9



 王妃の部屋の扉の前には、昨日とは違い、いかめしい顔付きの兵士が何人も立っている。

 クロフが兵士に取り次ぎを頼むと、すぐに部屋の中から王妃本人が姿を現した。

「どうぞ、お入りになって」

 王妃に招き入れられ、クロフは薄暗い部屋に足を踏み入れた。

 おとといのような甘い花の蜜の香りはどこにもなく、暗い部屋の中央の炉には赤い炎が燃えているだけだ。

 老婆の姿も、大釜もどこかに消えていた。

「そちらにお座りになって」

 クロフは炉の側の椅子を勧められたが、立ったまま首を横に振った。

「いえ、結構です。今日は王妃様にお話があって来ただけですので。すぐに済みます」

「まあ、そうなの?」

 王妃は部屋の中の使用人達に目配せして、彼女らを下がらせた。

 誰もいなくなったのを見て取って、王妃は長椅子に横になった。

「それで?」

 王妃は長椅子にもたれかかりながら、嫣然と微笑んだ。

「あなたはわたしのために、力を貸してくれるのでしょう?」

 クロフは立ったまま王妃を見下ろし、首を横に振る。

「残念ながら、それは出来ません」

 王妃の顔から微笑みが消える。

「ぼくはあなたのために力を貸すことも、この国のために力を貸すことも出来ません」

 王妃は長椅子から起きあがり、クロフをにらみつける。

「望みは何なの? わたしに出来ることなら、何でもしてあげるわよ?」

 クロフはうつむき、黙り込んだ。

「わたしに力を貸してはいけないと、王の家臣に言われたの? それとも、あの頭の固い族長どもかしら?」

 王妃は長椅子から立ち上がり、大股でクロフに歩み寄る。

 王妃の美しい顔は怒りのために赤く染まっている。

「昨夜の宴で何を吹き込まれたの? あいつらがわたしのことを悪く言っていたのね!」

 王妃は血走った目でクロフを見据える。

「そうではありません。確かに、あなたの生い立ちについては、他の人々から聞きましたが」

 クロフが言い淀むと、王妃は彼の胸ぐらを乱暴につかんだ。

「わたしが口やかましい女とでも、薄汚い女奴隷とでも言われたのね! そっちこそ戦いしか頭にない野蛮な連中のくせに!」

 王妃はありったけの罵詈雑言を並べ立て、王の家臣や族長達をののしった。

 クロフは哀れみの目で王妃を見つめている。

 王妃の怒りが収まるのを待って、口を開く。

「ぼくは、誰かに言われたために、あなたの申し出を断るわけではありません」

 クロフは胸ぐらをつかんでいた王妃の手をゆっくりと離す。

「これは自分の意志です」

 王妃は肩で息をしながら、なおも怒りの目でクロフをにらみつける。

「協力を拒むというのなら、あなたが火の神の生まれ変わりであることを、城中に知らせるわ。それでもいいの?」

 クロフは王妃から体を離し、一歩後ろに下がる。

「どうぞ、ご自由に」

 王妃は憤慨して言いつのる。

「どうしてそのような強力な力を持ちながら、国や人々のために使わないの? あなたは選ばれた存在でしょう? あなたは世界の王にだってなれるはずなのに」

 クロフは寂しげに笑う。

「その台詞なら、神殿で嫌と言うほど聞きましたよ。でも、だから何だというのです? ぼくには特別な力があるから、それを使って世界に戦争を仕掛けなさいとでも、あなたは言うのですか?」

 馬鹿にされたと感じたのか、王妃の顔に再び怒りが宿る。

「お前も、族長どものように、頭の固い連中だったようね。お前の力を借りようと思ったわたしが馬鹿だったわ」

 クロフは長いため息をついた。

「一つ教えてください。もしぼくがあなたに協力していたら、あなたはぼくの力を使って、何をしようと思っていたのですか? 南の国との戦争に勝つことですか? それともこの北の国を滅ぼすことですか?」

 王妃は勝ち誇ったように笑う。

「はははっ、わたしが南の国に未練があると、本気で思っていたの? わたしを戦利品として差し出したあの国に!」

 笑いを引っ込めたその一瞬、王妃の顔に泣き笑いのような表情が浮かんだのを、クロフは見逃さなかった。

 その表情の意味を、クロフは瞬時に理解した。

 そう言えば、王妃は家臣や族長の悪口は並べ立てていたが、王の悪く言ったことは一度も聞かなかった。

 つまり、そう言うことなのだ。

「あなたは、王を愛しているのですね?」

 王妃は答えなかった。

「誰か、こいつを引っ捕らえろ!」

 部屋の外に控えていた兵士達が一斉に部屋になだれ込んでくる。

 クロフは抵抗する間もなく十数人に両脇を固められ、床に押しつけられた。

「もう一度聞くわ。本当にわたしに協力する気は無いの?」

 クロフは顔だけを動かして、王妃を見上げる。

「お断りします」

 王妃の形の良い眉がわずかに動く。

「そう。それなら、あなたは妹の命が惜しくないというのね?」

 思いもよらない言葉に、クロフの赤金色の瞳が驚愕に見開かれる。

「わたしの指示一つあれば、彼女の薬に毒を混ぜることが出来るわ。それでもわたしに逆らうというの?」

 王妃は不敵な笑みを浮かべ、クロフを見下ろしている。

「さあ、どうするの? 協力するか、しないか、はっきりしなさい」

 無意識のうちに体が動いていた。

 両脇を固めていた兵士をはね除け、兵士の槍を奪い、王妃にその槍を向ける。

 槍の穂先は王妃の首元に届くか届かないかのところでぴたりと止まる。

「彼女には、手を出さないでください」

 クロフは怒りに震える手で槍を構えている。

「王は、ぼくに約束してくださいました。妹の命を助けてくれると。王妃であるあなたが、その約束をやぶるのですか?」

 王妃は諦めたように、息を吐き出した。

「愚かね。そんな小さな約束にこだわるから、お前は他人に足元をすくわれるのよ? そんな気持ちは、さっさと捨てた方がいい。わたしは知っている。いくら地位や名誉、気高い心をもっていたとしても、一度戦争が起これば、そんなもの簡単に踏みにじられてしまう。戦争で頼れるのは自分自身。自分の力だけが唯一確かなものなのよ。他人を信用せず、蹴落としていってこそ、真の高みに登ることが出来るのに」

 王妃はクロフを蔑んだ目で見つめる。

「それでも、ぼくは」

 クロフは王妃の首元から槍を引き、振り向き様になぎ払った。

 槍の柄に当たった兵士達は床に倒れ、クロフは部屋の外に走り出た。

「お前に、平穏など、永遠に訪れないわ」

 部屋を去る間際、クロフの背に王妃の呪いの言葉がかけられる。

 クロフは振り返らず、前だけを見てディリーアの部屋へと走り続けた。


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