北の国へ8
クロフは王妃の部屋へ向かう途中、彼女の言った言葉を思い出していた。
――あなたの力を借りたいの。
その真意がどこにあるのか、三日経った今もクロフはわからないでいた。
おおよその見当は付けることが出来たが、はっきりした確証を得るには至っていない。
王妃の言葉の一つ一つが、クロフの頭に過去の記憶を蘇らせた。
――火の神の生まれ変わり。
最初にそうささやかれたのは、いつのことだっただろう。
クロフが神殿に引き取られてから、間もなくのことだっただろうか。
――あなたは選ばれた存在なのよ。
親身に彼の面倒を看てくれた女神官はそう言った。
本来は貴族の子息が大半を占める神殿に、貧しい平民の少年が入ることは異例の出来事だった。
最初にクロフが神殿を訪れたのは、収穫祭の日、母親に手を引かれ連れてこられたのだった。
神殿にお参りに来たクロフは、太陽の女神の像に手を合わせ、神官に祝福を受けて帰ろうとした。
神殿内は同じようなお参りの人々で溢れ、初めて連れてこられたクロフは、その神殿の壮麗さに目を奪われた。
母親と一緒に女神像にお祈りしていると、神官達が大勢慌てたように部屋に駆け込んできた。
大人の神官達は少年だったクロフを取り囲み、話しかけた。
――怖がらなくていい。わたし達はあなたに危害を加える者ではない。
大人達は母親と二言三言言葉を交わし、母親の影に隠れていたクロフを見下ろす。
――大丈夫よ、クロフ。
母親の手に促され、クロフはおずおずと大人達の前に進み出た。
大人達の一人が、クロフの小さな腕をきつくつかむ。
――きみには、これからこの神殿で生活してもらう。いいね?
クロフはすぐには意味がわからず、小首を傾げる。
――それは、いいことなの?
クロフが尋ねると、大人の大きな手が彼の頭を撫でる。
――いいことだよ。
――いいことなのよ。
母親がクロフに優しく諭す。
神殿に入れば、毎日飢えることも、物に困ることも無くなり、その上読み書きや勉強も教えてくれると言うこと。
将来は神官として、豊かな生活を送ることが説明された。
――お母さんも、毎日おいしいものが食べれるようになるの?
大人達が顔を見合わせる。
大人達の一人が腰をかがめ、クロフと目線を同じくする。
――ああ、そうだよ。
クロフは喜んでうなずいた。
――それなら入る。
大人達に手を引かれ、クロフは神殿の奥に連れて行かれた。
クロフが振り返った母親は、神官の一人と何事か話をしている途中だった。
それがクロフの見た母親の最後の姿になろうとは、その時の彼には知る由もなかった。
それからのクロフは、貴族の子息に混じって、神官になる勉強をすることになった。
太陽の女神の神託のこと、クロフが火の神の生まれ変わりであることは、表向き伏せられていた。
しかし子供達の間に、彼が特別であるという認識は、自然に芽生えていった。
――あいつは特別だ。
学友達がクロフを避ける中、ただ一人の少年だけは、彼のことを区別しなかった。
――特別? 特別だから何だ?
少年は鋭い目でクロフを見据える。
――特別だったら、勉強で負けていいのか? 特別だったら、術で負けていいのか? そんなこと、負けた言い訳にしか聞こえないぞ。
神官同士の対抗試合の時も、少年はクロフに突っかかってきた。
――手加減はするなよ。本気でこい。
試合でクロフが勝っても、少年は落ち込むこともなくこう言い続けるだけだった。
――おれの努力が足りなかっただけだ。
少年は何年もそう言い続け、五年後、風の術で彼を追い越すことになる。
しかし周囲は少年の実力を認めようとはしなかった。
――きっとクロフが手加減して、わざと負けてやったんだ。
――何年も負け続けていれば、ロキウスにも一度くらい勝たせてやりたいと思うよな。
クロフは次第にロキウスを避けるようになった。
ロキウスが実力で勝ったことくらいは、クロフにはよくわかっていた。
ちょうどその頃、クロフは母親の死を知ることになる。
母親が生きていると信じ、何不自由なく暮らしていると信じ、一生懸命やってきたクロフにとって、それは大きな衝撃だった。
神殿は母親にクロフとは望めばいつでも会えると言って、わずかな手切れ金を渡し、追い返したのだ。
母親は息子と会いたいがため、毎日神殿に通い詰めていた。
しかし約束が果たされることは無かった。
冬の寒空の下、母親は神殿に続く石畳の上で亡くなった。
クロフはそれを知って愕然とした。
今まで信じていたものが崩れ去り、何を信じればいいのか、わからなくなった。
クロフは少ない荷物をまとめ、逃げるように神殿を去った。
周囲の反対も、ロキウスの言葉も、何一つ聞こうとはせずに。
太陽の女神の神託を信じ、森にたどり着いたクロフは、ディリーアと出会い、話をするうちに、ようやく自分の信じるものを見つけたような気がした。
――ほんの少し、あなたがこの国のために力を貸してくれるだけでいいの。
王妃の言葉がクロフの胸に蘇る。
クロフには、火の神の生まれ変わりとしての自覚も、その力の使い方も、何一つわからなかった。
ディリーアと出会う前は、そんな力が自分にあることさえ気付かなかった。
ディリーアはその力について何か知っている様子だったが、説明を受けても恐らく理解することは出来ないだろうと、クロフは考えた。
それに、これが自分の問題である以上、自分で解決するのが筋であるように思われた。
クロフは廊下を歩き続け、気が付けば王妃の部屋の前にたどり着いていた。




