北の国へ7
広間の人々の間をすり抜け、廊下への扉へ向かう途中、クロフは見知った顔を目にし、立ち止まった。
テーブルのわき、人々に囲まれて、南の国で会った奴隷の老人が立っていたのだ。
クロフは目を奪われ、改めてその人影を見返す。
するとそれは老人とは似ても似つかない、若い男だった。
年こそ違うものの、声や仕草、雰囲気から、見れば見るほど南の国の老人にそっくりだった。
南の国を出るとき、クロフはその老人に言伝を頼まれた。
クロフは無意識のうちに、その青年に近づき、声をかけていた。
「あの、君は」
しかしいざ実際に話しかけてみると、何を話して良いのかわからなかった。
青年は人なつっこい笑みを浮かべる。
「吟遊詩人さんから声をかけてもらえるなんて、嬉しいですね。おれはコナル。北東の地を治める、族長オルウェルの息子です」
コナルは手を差し出し、クロフと握手を交わす。
「ところで、さっきおれの方を見ていたようですが、何かいい詩でも思い浮かんだんですか?」
クロフはわずかに考え込み、正直に南の国で会った老人のことを話すことにした。
コナルは真剣な顔付きでクロフの話に相槌を打っていた。
話が終わると、コナルは後ろにいた中年の男に目配せし、男は人混みの中に紛れていった。
「それは恐らく、おれの祖父でしょう。南との戦いの折、戦場で行方不明になったと父から聞いたことがあります。しかしまさか南の地で敵の手に落ち、奴隷として働かされていようとは」
穏やかだったコナルの雰囲気が急に険しくなる。
クロフは必死に訳を話す。
「彼らとて、好きで奴隷の身でいるわけではありません。彼らは彼らなりに何か理由があって留まっているようでしたし。それに彼らの助けがあったからこそ、ぼくはこの北の地にたどり着くことが出来たのです」
クロフの話を途中で遮り、コナルは激高した。
「彼らは戦士として誇り高く戦って死ぬことも許されず、意味のない苦痛の日々を送っている。こんなことは、たとえ太陽の女神様であろうとも、お許しにならないはずだ」
青年は広間の中央へ進み出ると、部屋中に響き渡るほどの大声を張り上げた。
「我らの先の族長ジェルデは、数年前の戦争の折、南の国の捕虜となった。族長の部下であったホルガンやグラントもそうだ。彼らは南の国で見せしめとして、奴隷として過酷な日々を送っている。このような辱めを受けて、果たして我々は黙っていていいのだろうか?」
広間は水を打ったように静まりかえる。
酒杯を掲げていた男達も、給仕をしていた女達も、一様にコナルを見つめている。
「いいや、平気でいられるものか!」
どこからか声が上がった。
その声につられるように、人々は大声を上げる。
「そうだ。そんなことは許されないぞ」
「族長、お可哀想に」
「くそっ、南の国の奴等め!」
クロフは眉をひそめ、人々を見つめる。
始めに声の上がった方を見ると、コナルと目配せをしていた中年の男が、涼しい顔で蜜酒を飲んでいた。
北の国の王は炉ばたの側から、鷹の目でじっとコナルの様子を伺っている。
「そうだ。こんな辱めを受けて、平気なはずはない」
コナルは高らかに腕を振り上げる。
「憎むべきは南の奴等だ! 我々の領土を踏みにじり、畑や家を焼き払い、家畜や人々を襲うあいつらだ! 断じて彼らを許すことは出来ない!」
「そうだ、そうだ!」
広間の人々は一斉に腕を振り上げる。
クロフはこれ以上コナルと話すのを諦め、広間を後にした。
次の日、クロフはディリーアの部屋を訪ねた。
窓からは明るい日差しが差し込み、寝台を照らしている。
ディリーアは朝の光の中で寝台から起きあがっていた。
「昨夜の宴は、上手くやったようだな」
開口一番、ディリーアは誇らしげにそう言った。
「宮廷内の使用人達が話していたぞ。王の気持ちをとてもよく表現した詩だったと」
ディリーアの笑顔を見て、クロフの暗い顔にも光が差し込む。
昨夜、あんなことがあった後だったので、城中険悪な空気に包まれ、クロフも気の休まる暇がなかった。
「よかった」
ディリーアは笑みを浮かべ、寝台から身を乗り出す。
「お前のそういう顔、素直に笑っている顔、初めて見たような気がするぞ」
「そ、そうかな?」
照れているクロフに、ディリーアは自信たっぷりに答える。
「そうだぞ。いつも作り笑顔ばかりでは、顔が引きつるだろう? たまには思いっきり心の底から笑ったらどうだ?」
そこでふとクロフの顔に再び影が落ちる。
「どうした?」
ディリーアが心配そうにのぞき込んでくる。
「南の国を出るとき、見送ってくれた奴隷達のことを覚えているかい? その中で、族長と呼ばれていた老人がいただろう? 昨夜、彼の孫に会ったんだ」
「ああ、確かにいたな。それでどうした? そいつに老人の言葉は伝えたのか?」
「それが」
クロフは昨夜の宴の出来事をかいつまんでディリーアに話した。
クロフが話し終えると、ディリーアは長いため息を吐いた。
「やはり、そうなったか」
ディリーアの相槌を打つように、炉の薪がぱちんとはぜる。
「どうせお前のことだ。そうなることがわからなかった訳でもあるまい。それを心得た上で話したのなら、後は彼らの問題だ。あまり気に病むな」
クロフは沈んだ顔で答える。
「それは、そうだけど」
ディリーアは青い目を細め、窓の外を眺める。
「近いうちに、南と北の間で、また戦争が起こるな」
そしてうつむいているクロフの顔を見つめる。
「そう気に病むなと言っただろう? もしかしたら、老人はこうなることも見越して、わたし達に言伝を頼んだのかも知れないぞ」
その意味をクロフもすぐに理解したらしい。
赤金色の瞳が驚愕に見開かれる。
「まさか、老人の真意は最初から南と北の戦争を起こすことだったのか?」
「さあな。それはわからない」
ディリーアは興味もなさそうに、窓の外から視線を戻す。
「ここに留まり、戦争を見届けるも、離れて、旅を続けるも、お前の自由だ。お前がどんな選択をしても、わたしはお前に付いていく。これだけは確かだ」
朝の光を受けて、ディリーアの青い瞳は雨上がりの泉のように光り輝いていた。