第63話 女神イシュタル
アイダと共に歩く者たちがいる。
ジャガーのワイナ、ゴリラのトゥパック、レイラとノラ、見守る守護天使セラム、キイロアナコンダとドラゴン・バーブガンそして空を飛ぶカラス。
「アイダ、またこの先の村人から要請が有りました」
風の悪魔少女レイラの報告である。
「数えきれないほどの魔物達に何度も襲われ難儀をしていると言う事です」
「分かったわ、行ってみましょう」
やって来た此処は山里の静かな村で、人気のない細い道が家々の間を縫っている。谷あいの緑は芽吹き、暑さも寒さも感じない。緩やかな風の中に、花の妖精が放つかすかな香りが混じっている季節である。
「あれは……」
アイダたちの前で空気が変る。
気配を察した鳥はさえずる事を忘れ、ただ柔らかな風だけが流れている。
皆が声をひそめ、静まり返った瞬間、花が揺れ、川面ではアユが跳ね、銀色の光を放つ。だが前方に現れたその気配は物の怪などではない。
誰かが……現れ、来る。
レイラがそう理解した時、すでにアイダはひざまずき首を垂れていた。
アイダたちに歩み寄るその姿は人に似ているが、純白の衣が優雅な肢体を覆っている。そして口を開いた。
「恐れる必要はありません」
「…………」
「ワイナ、久しぶりだわね」
「…………」
その名はイシュタル。愛と美、さらには戦闘をも司る女神である。視線がジャガーのワイナに注がれているのは明かであった。
イシュタルとワイナ、二人の間には特別な空間が生まれている。
それを見たアイダたちはいつの間にか姿を消し、後にはワイナと女神イシュタル、トゥパックとレイラしか残っていない 。
「トゥパック、私たちも行くのよ」
「はぁ、何処に?」
「何処にじゃないの!」
レイラはトゥパックの腕を強く引っ張ると、ワイナたち二人を残し離れて行く。 ワイナを見つめるイシュタルは笑みを浮かべ、静かに声を掛けた。
「ワイナ」
「はい」
ある意味人間界でも笑みは最強の武器だと言える。ましてやイシュタルは美と愛の女神であり、その微笑みの類まれなる美しさは、洋の東西を問わず最強であるに違いない。しかし、ひとたび敵対すると分かれば、そんな相手は残忍な方法で殺す事もいとわない。躊躇なく引き金を引く恐ろしい一面も持っているのだ。
「そんなに身構えなくてもいいのよ」
「…………」
「少し歩きましょう」
「…………」
ワイナはイシュタルの少し後ろを歩いている。
「一騎打ちで貴方の闘いぶりは見事だったわ」
「申し訳ありませんでした」
イシュタルが振り向くと、ワイナがつぶやく。
「あの者の顎を……」
「ライオンの顎は既に回復しております。それに、貴方は堂々と闘い勝ったのですから、何も謝る必要などありませんよ」
再び歩き始めたイシュタルが歩調をゆるめると、並ぶ女神の腕がワイナに軽く触れていた――
「アイダ、現れたわ」
レイラの報告通りに村の外れ辺り、魔物達が地の底からどろどろと這い出るように現れたのである。
ただただ破壊を繰り返す半獣戦士、
牙を鳴らす骨だけの大蛇、
飢え、人の絶望を喰らうように死肉をあさる妖怪、
あたりの大気は濁り、
空は血のように赤黒く染まり、村人はひたすら逃げ惑った。
魔物たちは斧を振り回し笑っている。
アイダとレイラが前に出る。
「アラカーー、シャザムァーハースヴァーハー」
問答無用である。先にアイダの呪文がさく裂、次いでレイラも呪文を投げかけた。
「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァー」
しかし、呪文の直撃を受けた者が倒れると、新たな魔物が次々と出て来る。
「腐れ魔物ども、今度はおれが相手だ」
声を上げたトゥパックの剛剣が白骨大蛇を粉々に打ち砕くと、返す剣で二体の魔物をまとめて一刀両断にした。次々と襲ってくる妖怪がトゥパックの脇腹にかみつく。
「このやろう!」
剣を持たない手で掴むと、引き剥がし、地に叩きつける。
隣ではキイロアナコンダが巧みな剣さばきを振るい、邪鬼の首を落としている。切っても切っても現れ出てくる物の怪に、アナコンダの剣が風車となり血飛沫が飛ぶ。
「よし、では儂もやってやろう」
今度はドラゴン・バーブガンが飛び立ち、空から火炎攻撃である。
無数の異形戦士が炎に包まれてゆく。赤黒く燃え上がる怪物の首ががくっと前に落ちる。
犬のノラも巨大な猛犬に変身、くねくねと揺らぐ首を持つ妖怪に食らいつく。さらにキイロアナコンダが怪物と対峙する。
その時である、
「フン!」
「ギャーー」
辺りの空気を震わす衝撃が走ると、キイロアナコンダに後ろから斧を振り下ろそうとしていた魔物が絶叫を上げた。
その気配に、キイロアナコンダが振り返る。
「鬼神――」
「はっはっはっ、勇者を背後から襲う外道に儂の楽しみを奪われたくないのでな」
なおも襲ってくる二体の怪物を一撃で倒した鬼神は、前に伸ばしていた手を下ろした。
だが魔物の群れは一向に減らない。
「これではきりがないわね」
呪文攻撃の合間に、アイダがため息をついた次の瞬間、
天空に一筋の光が走る—―
鞭や斧を手にした魔物たちが一瞬空を見上げたが、それはほんのかすかな異変であった。
気のせいか。
再び魔物たちは惨劇を始め、村人たちが逃げ惑うと、今度は一陣の風が吹いた。
更にかすかな、獣達が忌み嫌う教会の鐘のようにも聞こえる音色。 風の音がそのように聞こえたのか。
しかし、それだけで、魔物達の動きが止まった。単なる敵意ではない。本能に刻み込まれた恐怖だった。聖なる結界は魔を拒絶する。弱い魔物なら近づくだけで肉が裂けてしまう、恐ろしい存在なのだ。
まさかこの気配は……
魔物達は恐怖に震え始めた。
そして戦闘の場は静寂に包まれ、アイダたちの前にワイナと女神イシュタルが現れた。ワイナはイシュタルの左に、右にはいつの間にか聖獣のライオンが控えている。中央に立つイシュタルを見た妖怪野盗の群れは、即座に武器を投げ捨て、腕をたらして皆身体が固まってしまっている。
ワイナは数歩前に出ると、短く言った。
「立ち去れ、二度と戻って来るな」
有象無象の半獣共らがわらわらと飛ぶように逃げて行ってしまうと、イシュタルはワイナに近づき、そっとつぶやく。
「またいつか会いましょう」
女神イシュタルはライオンを伴い消えて行った。
「アイダ」
風の悪魔少女レイラがアイダに話しかけた。
「実は、この先の村にまだ他の魔物がひそんでいるという噂です」
「……分かったわ。行きましょう。魔物が現れる限り、私たちは歩き続けるのよ、精霊界に平和が訪れる、その日までね」
アイダと共に皆はまた歩き出した。
ジャガーのワイナが先頭を歩き、
レイラにはノラが寄り添い、それをそっと見守る守護天使、
トゥパックは大剣を肩に担ぎ、カラスと共に、
キイロアナコンダは静かに後ろへ続き、
虹のかかる空には、ドラゴン・バーブガンが翼を広げて飛んでいる。
アイダはその虹を見上げ、静かに微笑んだ。
そして、何処からか聞き覚えのある笑い声が響いて来た。
「はっはっはっ」




