第48話 パンドーラーの瓶
泥から作られた女性パンドーラーが開けてしまった瓶からは、四匹の災厄の竜が飛び出したという伝説がある。疫病、飢餓、憎悪、毒。そして最後まで瓶の中に残ったのは、希望を意味する白い竜だったという。
「アイダ、此処から少し東に行った村々で疫病が流行っているから、助けて欲しいと訴えが有りました」
「疫病が?」
虹の精霊アイダは、話しかけて来る風の悪魔少女レイラを見つめた。レイラは風の便りから、村人たちの苦境を知ったのである。
「はい」
「でも、それは私たちの力が及ぶ問題ではないでしょう」
「ですが……」
村人の話によると、疫病が流行る前に多くの者が青い竜の存在を噂しあっていたと言うのである。不気味な青い竜を目撃したと多くの者が囁き合った。この疫病はあの竜がもたらしたのではないかと。
「青い竜ですって?」
「はい、そのようです」
「……分かりました、では行ってみましょう」
アイダたちが村に入ると、そこかしこに倒れている村人の多さから、これがただの疫病ではないと、同行するジャガーのワイナやゴリラのトゥパックも直感した。
「ひでえな」
「このままだと村は全滅するんじゃないか」
「その青い竜を見たと言う方の話を聞かせて下さいませんか」
アイダが村の長に申し出ると、数人の男が恐る恐る話し始めた。
「彼奴はそりゃあ気味の悪い竜でした」
「…………」
「彼奴に睨まれた時は……もう生きた心地が……」
話は聞いたが、結局何処にいつ出るのか分かる事は無かった。相手が出てこない事には手の打ちようがない。
「アイダ、今度は別の村です」
「また青い竜が?」
「いえ、西の方角にある村なんですが、青ではなく黄色い竜だそうです」
「…………!」
「食料が次々に腐って、村人が飢え始めたそうです」
アイダたちは直ぐその村にも行ったのだが、やはり竜の存在は確認できず、なすすべがなかった。
「アイダ」
「まさか」
「別な村で今度は赤い竜だそうです」
「…………」
「村人同士が些細な事から殺し合いを始めて収拾がつかなくなっているとの事です」
「すぐ行きましょう」
アイダたちが駆け付けると、確かに殺気立った村人同士が刃物で互いを傷つけ合い、大変な事態になっている。
「アラカシャスヴァー」
アイダは呪文で殺気立つ村人を落ち着かせ、何とか殺戮は止めさせた。
「アイダ、また現れました」
「今度は何?」
「別な村なんですが、黒い竜で現れたばかりだそうです」
「すぐ行きましょう」
アイダたちはレイラの起こした風に乗り、その村に駆け付けた。
「竜は何処に居るの?」
「あっ!」
村人に尋ねるまでもなく、黒い竜はうねうねととぐろを巻いてアイダたちの前に現れた。明らかに他の竜の仲間だろう。
「お前達はー体……」
アイダが問い掛ける間もなく、
「カッーー!」
黒竜がその口を大きく開けると、生臭い臭気が辺りに漂い始めた。
「うっ、これは!」
「アイダ、毒よ」
「アラカザーー、トシャザムスヴァーハー」
「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァー」
アイダとレイラはすかさず呪文攻撃を繰り出す。
「トウッーー」
ワイナとトゥパックが剣を抜き切り付けようとしたその時、黒々とうねる竜の姿がすっと消えた。
「っくそ、何処に行った」
剛剣を振り回そうとしたトゥパックが辺りを見回したが、もう竜の姿は何処にも無かった。
「あの竜は只の魔物や怪物では無いわね」
アイダが呟いた。
「と言うと……」
「私たちの呪文を嫌がるというよりも、ワイナの剣を避けようとしていたみたいなの」
「…………」
黒竜はヌアザの剣を見た瞬間、明らかな変化を見せた。
「その剣は……!」
竜は身をよじるように後退すると、黒い霧となって消えたのだ。
ワイナは女神ダヌから授けられた神剣ヌアザを抜いて構えると、それを見た瞬間竜が怯み、そして消えてしまったのである。
「もしかすると」
レイラが話し出した。
「太古の神々がこの世を支配していた時代に、ヘーパイストスという神が創り出したパンドーラーという人類最初の女性がいます。その女性が人間界に持参した瓶に入っていたという竜かもしれません」
「ちょっとまてよ、神が人間界に災厄をまき散らそうとそんな竜を送り込んだと?」
「そうなの」
「一体なぜ」
「神が人間を教え導くような存在であるというのは、人間が勝手に思い描いている幻想でしかないわ」
「…………」
「実際はもっと生々しい現実があるのよ」
相手が神の使いであるとすると、精霊であるアイダやレイラの呪文は効かないだろう。ましてやトゥパックの剛剣も歯が立たないはずである。だがその竜がワイナの手にした神剣を見て怯んだのだ。
「この剣のせいで彼奴は消えてしまったのか」
ワイナが手にした剣を見つめると、キイロアナコンダが話し出した。
「だけど、神ってどの神が人間界に災いをもたらす竜なんか送り込んだんだ?」
「実を言うと多くの神々は人間にとってとても厳しい存在なの、特にゼウスはね」
「人間の味方になる神もいるんじゃないか?」
「確かにそんな神もいるけど、あの竜は人類に災いをもたらす事しかしない厄介な存在、それは確かだわ」
レイラは説明を続けた。
「青竜は疫病を、黄色い竜は飢餓や腐敗をもたらします」
「…………」
「そして赤い竜は憎悪と殺戮、黒い竜は毒を吐き、人間を獣に変えてしまうと言われているんです」
「…………」
皆は黙り込んでしまった。今回の相手は只の魔物ではなかったのである。神の使い相手に呪文は通用しない、ましてや剣を振るっても無駄だろう。
「でも救いは有るかもしれません」
「えっ」
レイラが話し出した。
「確かパンドーラーが持参した瓶には希望を示唆する白い竜も入っていたはずです」
「…………」
「じゃあその白い竜を探し出せばいいというわけか」
だがここで皆は考え込んでしまった。そんな白い竜など何処を探せばいいというのか。ここで皆の視線は、情報のルーツであるレイラに注がれた。
しかし、
「…………」
「レイラ」
「その白い竜は何処に――」
「ごめんなさい、それは私にも分からないんです」
風の便りを操る情報通のレイラにも分からないという事では、どうしようもない。
「ぶひっ、しかしなあ」
「あん、お前、なんて声出すん……」
トゥパックがキイロアナコンダを振り返ったその時、
「おまえ!」
「あっ」
キイロアナコンダもトゥパックを見て声を上げた。
二人が豚に変身してゆくではないか。豚の姿になっていくのはワイナも同じで、今ではすっかり人間らしくなっていたドラゴン・バーブガンまでもが丸々と太った四つ足になってしまった。変わらないのはアイダとレイラ、ノラ、そしてトゥパックをご主人様と呼ぶカラスだけだった。
村中から聞こえてくるのは、人の悲鳴ではなく豚の鳴き声ばかりである。アイダは呆然と立ち尽くした。今やこの村で人の姿を保っているのは、自分とレイラだけだった。
「アイダ、これは大変な事になったわね」
「精霊の私たちと、同じ精霊であるノラ、そして空を飛んでいたカラスだけが変身を免れたと言う事は、きっと皆消えたあの黒い竜が吐き出した毒を地上で吸ったせいだわ」
周囲の村人も全員豚の姿になっていた。




