第32話 魔術の女神イシスとサマエル
「何だこれは」
緑の生い茂るナイル川河畔を進んで行くアイダたち。その先に木々の間から忽然と現れたのは、巨大な石灰岩に彫られた像である。但し顔だけなのだが、その高さは二十メートルを優に超えるものだった。
「見上げるほど巨大な顔だけを彫ってあるってどういうことだ?」
「ちょっと、この顔、どこかで見たような……」
「サマエルじゃないか」
「まさか」
その石像の顔は細く開けた目に特徴がある。人の顔は目で印象が変わる事は良く知られている。
「この目はサマエルにそっくりだろ」
「確かにそうだな」
「…………」
エジプトに現れたサマエルはホルスを祭る巨大な彫像を見て、自分の顔が民の信仰する神に特徴が似ている事に気づき利用する事を思いついた。顔の特徴に加えて呪文を駆使すれば、エジプトの民を惑わす事などサマエルには造作もない事である。
「儂の像があのように放置されているのはどういうことなのだ」
「…………」
サマエルは出会った民に難癖をつけた。
「ホルスを祭るのは飽きたのか」
「…………!」
サマエルは出会った目の不自由な者の病を治してやろうと呪文をかけた。その男は目が見えるようになったと狂喜乱舞したが、それはサマエルが操っているに過ぎない、ただの錯覚である。サマエル自身は視力に難を抱えていた。それでも他人には「見える」と思い込ませる幻惑を与えることなど造作もなかった。そして奇跡だと信じた者たちは驚き、その厳かな声を聞いたエジプトの民は驚愕した。伝説の神ホルスが目の前に現れたのである。瞬く間にエジプト中が大変な騒ぎとなり、時の為政者であるファラオにまで知らせが行った。
「なに、ホルスが現れただと」
「何を馬鹿な事を言っている」
本当にホルス神が民の前に現れたとなれば、その化身だと名乗っている自分の存在はどうなるんだ。そんな話を信じられるわけがないだろう。だがそのように狼狽する半信半疑のファラオと違い、即座に別な反応を示したのは、傍らでファラオを補佐しているイシスであった。
「その現れたホルスとやらは今どこに居るの?」
イシスは周囲を取り巻く神官に聞いた。
「民に話し掛けながら、こちらに向かっているとの事で御座います」
「目の不自由な者を直ぐに治したと、大変な騒ぎです」
「…………」
イシスは宮殿を出ると単独でホルス(サマエル)と出会ったが、サマエルの邪悪な気を感じ取り、即座に偽者であると見抜く。だが事を荒立てず慎重にサマエルと話を進めた。この男は利用できるのではないか。うまくやれば自分がファラオにとって代わるチャンスであると。ファラオは太陽神ラーの地上における代理として崇められていた。
「ふん、あんたがホルスなの」
「…………」
「うまく民を信じ込ませたわね」
「……どうやらお前は騙せないようだな」
「あなたがホルスだろうと何だろうと、そんな事はどうでもいいわ」
「…………」
「私から提案があるの」
イシスとサマエルは、互いの事情を知った上で共闘する事に同意する。サマエルにとってはファラオの地位などどうでもよく、興味もないものである。ただ神に復讐して好き勝手に世の中をかき乱せばそれでよかったのだ。
サマエルは、計略を用いて毒蛇をファラオの居室である太陽の船へと潜り込ませる。それを実行したのがサマエルと組んだ女神イシスであった。毒に苦しむファラオは、助かりたい一心で、自ら真の名を口にしてしまった。その後ファラオから聞き出したサマエルはイシスに伝えた。
「これでお前の望みは叶うであろう」
「ふっふっふっ」
真の名前により言霊でファラオを操り、強大な魔法の力を得たイシスはファラオと同等の力を行使できるようになった。ファラオを守っていた軍神セトも仲間に引き入れた。ファラオに不満があったセトもイシスに騙された。
アイダたちの敵としてサマエル以外に、邪悪な女神のイシスと軍神セトが加わったのであった。
「アイダ、面倒な事態になってます」
「どうしたの」
風の悪魔少女レイラが深刻な表情でアイダに話している。
「サマエルはやはりここエジプトに来ているようですが、まずい事にイシスと共闘を始めるようです」
「イシスですって」
「はい、邪悪な魔女の起源とも伝わる女神で、その上軍神のセトも加わっているようです。三者が敵となれば恐ろしい状況です」
「…………」
風の悪魔少女レイラは、風の便りによる情報収集能力に優れている。早くもサマエルの近況を察知して皆に話して聞かせた。アイダ以下全員が神妙に聞いているのだが、その中に熾天使のセラムが居た。
「セラム、貴方はこの事態をどう思うか聞かせて」
アイダの問いかけである。しかし聞かれたセラムの口からは、皆が思ってもみなかった発言が飛び出した。
「今回の戦闘に私は参加出来ないかもしれません」
「えっ!」
「サマエルが本当にイシスやセトと共に向かって来るのであれば、私は神を相手にする事になります」
「…………」
「たとえ土着の神といえども、神は神です」
世界が違い信仰が違っても神は神であるだろう。そのエジプトの民が慕う神々に熾天使であるセラムが戦いを挑む事には抵抗を感じるというのある。相手がサマエルひとりなら戦う事に躊躇はしないが、エジプトで女神とされ、軍神とされるセトには矛先を向けられないと言うのである。
「…………」
セラムの話を聞いていた皆は黙ってしまう。あの魔王ベリアルとさえ対等に戦えたほどの強力なパワーを秘めたセラムである。そのセラムがここで共同戦線から離脱するという事は、アイダ側の戦力がほぼ半減するという事に等しいではないか。だが、
「セラムさんのおっしゃる事はもっともだわね……」
そのような事情なら加勢のお願いは出来ない、と言うアイダの発言を聞き、レイラも言葉が出なくなってしまった。確かに相手は邪悪だろうと何だろうと神なのだ。熾天使のセラムが神と戦うわけにはいかないのである。




