8話 交易都市エッガ4
帝国首都。
雲一つない空から降り注ぐ光は容赦なく、石壁は焼けつくように白く、眩しく輝いていた。
本来であれば人の喧騒で満ちるはずの大路には、風が砂塵を運ぶ音だけが細く響いていた。
首都の門は開け放たれ、人類最大の都市は魔族の王を招く恥辱を強いられた。
魔王の乗る巨大な神輿が、下位魔族に担がれ中央大路を進む。
軋むような足並みと、鈍い呼吸だけが都市に響く。
人々は家屋に閉じ籠り、時折、魔族が押し入った家屋から押し殺された悲鳴が漏れ出たが、それすらすぐに途絶えた。
抵抗は、すでに終わっている。
魔王はゆったりと入城を果たす。
一人ひとりが彫像のように整った顔立ちをしたエルフによる親衛隊に身辺を囲われ、それを従えた醜く枯れ木のような老人ーー魔王は異質さを際立たせている。
城内の回廊を通り玉座の間に足を踏み入れると、薔薇が舞い散る室内に満ちた香水の匂いを、魔王は深く吸い込んだ。
「ふむ。趣味が良いな」
温もりの残りを求めるように、座面に指をつつと滑らせる。
磨き上げられた玉座は指先に吸い付くようで、そのまま魔王はゆったりと腰を下ろした。
「はぁああぁぁぁぁ……」
恍惚とした吐息が漏れる。
玉座に触れる肌を起点に、苔と枯れ蔓が走る。
それは生えるというより、滲み出るようであった。
緑は部屋を一瞬で覆い尽くし、城へ、城下へ、首都全体へと広がってゆく。
侵食は音もなく、しかし確実に、すべてを塗り替えていった。
「陛下、インラ川より汲み、急ぎ取り寄せました清水になります」
傍仕えのエルフがうやうやしく盆に載った木杯を差し出す。
魔王はそれを受け取り、ゆっくりと傾ける。わずかに喉を鳴らす音だけが、この場で最も生きている響きだった。
エルフの親衛隊を筆頭に、ぞろぞろと入室した臣下が膝を着いてゆく。エルフ、小鬼、蜥蜴人、虫人、鈍鬼、魚人、羽人、花人ーー様々な種族の王達が並び玉座の間をひしめき合う。
しかしエルフ以外の者たちは一様に目が虚ろであり、正気の光はない。
意思は削ぎ落とされ、ただ従うための器と化している。
「帝国陥落、おめでとうございます」
「万象を屈せしめる御威光、まさに天をも覆うものにございます」
「この地もまた、永遠に陛下の御庭と成りましょう」
賛辞は重なり合う。
だがそこに歓喜はなく、ただ命じられた通りに吐き出された言葉だけが並んでいた。
「ありがとう諸君。この勝利は諸君の献身のお陰であろう。今後とも一層に魔族のために尽くすことを約束する。……して、皇帝はいずこか」
その一言で、一部の者たちの空気が凍りつく。
皇帝の視線がわずかに揺れ、誰もが口を開くことを恐れていた。
「魔王様。皇帝の姿は見当られませんでした」
「どういうことか、ベルン将軍」
ただ一人この場で人間である将軍は、脂汗をかき床に額が触れるほどに頭を垂れている。
背筋は震え、歯の噛み合う音がかすかに響いた。
「……はっ、申し訳ありません。確かに地下牢に捕らえたはずが、女官たちに逃がされたようです」
「契約不履行だな」
静かな断罪だった。
それ以上の言葉は不要だった。
「女官は皆首を刎ねました! 親衛隊将軍の私でしたら、未だ抵抗を続ける正規軍にも諸侯にも取り入れます! まだお役に立てます、皇帝の首を刎ねてみせます! どうかお赦しを!」
魔王は何も言わず、杯を傾ける。
「あがッ?!」
将軍の身体が跳ねる。
白目を剥き、顔中から液体を垂らしたかと思えば、
次の瞬間、頭部が内側から破裂した。
魔王は崩れ落ちた肉塊を一瞥すらしない。
「魔王様。今後はどのようにいたしましょうか。改めて予言を頂戴できましたら」
「星辰の導きが歪み腐った。余の予言が外れたのだ」
ざわめきが走る。
「なにを」
「陛下は全能なる預言者であられるはずだが……」
誰もが信じていた絶対が、揺らいだ。
それでもなお、誰一人としてその事実を直視しようとはしない。否定と畏怖が入り混じり、場の空気は奇妙に歪んでいた。
「皇帝を朕の眼前に連れてくるのだ。必ず生かして余の眼前に差し出してみせよ」
静かに、しかし抗えぬ命令が下される。
「皇帝を捕らえた氏族は陞爵する。捉え献上した者の望みは何でも叶えてやろう。全土に通告せよ。何としても捕らえよ」
老いさらばえた腕が、ゆるやかに振られる。
ローブの隙間から覗く肉体は枯れ木のようでありながら、その一挙手一投足が世界を動かしていた。
「「「はっ」」」
歓喜の喜びはない。だが、その声には確かな熱があった。
忠義と報酬、その両方に突き動かされた熱だった。
「して、諸君らの領地はどうかね。報告したまえ」
玉座の間に、再び秩序だった声が戻る。
新たに恭順した種族の管轄調整、領地の完全制圧の報告、抵抗軍への戦勝報告。
淡々と、しかし確実に世界が塗り替えられていく朗報がそこにはあった。
「では、ショルター太守。お主の領地はどうであるか」
*
東部の管轄へと話が移る中で、エッガ太守ーーショルターへとお鉢が回ってきた。
「ーーはッ!」
魔法のレンズ越しに、虫の女王の身体を通して声を発する。
「万事順調に処理を――」
言葉は滑らかに出た。
だがその裏では、思考が焦げつくように回っている。
都市内部の抵抗軍は未だ健在。
突如出現した巨人により、麾下部隊は壊滅的損害。
胸を張って報告できるものなど、何一つない。
このままでは、ただ1人魔王様に無能を晒すことになってしまう。
『エッガは近隣諸侯との重要交易拠点である。近隣の動向はどうか』
「……問題は、ございません。斥候からも国境線上で特に軍の動きは確認されておりません」
わずかな間。
その沈黙が、やけに長く感じられた。
気を落ち着かせるように、視線を窓へと逸らす。
塩山と半ば融合した城塞都市の景観は美しく、幾何学的に整えられた街路と、堅牢な壁が陽光を反射していた。
ーーだが。
その全てを汚す様に、濁った黒煙が、幾筋も、空へと立ち上っていた。
「はぁッ!!?」
思わず声が漏れる。
『どうしたショルターよ』
玉座の間の視線が一斉に突き刺さる。
「い……いえ、失礼いたしました」
喉を押し殺し、頭を垂れる。
『では、念のため近隣の航空種族による国境線上の警戒網導入についてだが――』
その声を聞き流しながら、魔法のレンズを通じぬよう、側近の虫人へ低く囁く。
「……おい、どうなっている」
「すぐに確認いたします」
背筋に冷たいものが走る。




