56.ハッピーエンドです!
あれから数か月の時が過ぎた。やっと社交界も落ち着いて、日常が完全に戻った。しかしいくつか変わったことがある。
まずは私に対する貴族からの視線。卑しい庶子と蔑みの目で見ていたクラスメイトがいっせいに手のひらを返して、私と友達になりたいと言ってきた。そりゃあ聖女と友達になったらケガや病気になった時優先的に治してもらえるから、仲良くなっておいた方がいい。私はその気持ちがわかるから、最初は最低限の交流をもとうと思った。
しかし途中でやめた。私と友達になりたいと声をかけてくる子は、二言目には絶対にこう言った。
「偽物の聖女に力を奪われていただなんておかわいそう」
彼女たちの中では、姉は悪役だった。同じクラスの子達は私が姉から逃げているのを見ている。だから私の前で姉を徹底的にこき下ろしたのだ。前まで姉を持ち上げて私をけなしていたくせに、それが完全に逆転した形だ。
だから馬鹿らしくなってしまったのだ。そんな人たちと付き合ったところで、私の立場が悪くなったら再び手のひらを返されるだけ。
私はすでにシリア・ミューズと名を改めていたから、フィストリア家の庶子だった頃とは違い、この国の貴族にとっては他国からの賓客だ。今は陰口を叩かれることもなく、キャンディたちや新たにお昼ごはんグループに加わったヴィズレッドくんと楽しい学校生活をおくっている。
今日は姉のパン屋のプレオープンだ。姉はフワリン指導の下、美味しいパンを焼けるようになった。姉は神官として暮らすと言っていたが、あの後神殿に掛け合って、なんとパン屋を開業することにしたのだ。身分的には神官だけど、姉の発案でガーデンの子供たちが働ける、神殿あずかりのパン屋の責任者になることが決まった。
私とフワリンは、そのパン屋の初めてのお客さんになってほしいと姉に懇願された。とっておきのワンピースを着て、左手にフワリンを抱えて右手はジュリー先生とつなぐ。家を出ようとすると、両親が見送りに来てくれた。
「行ってらっしゃい。シリア」
二人に手を振って、行ってきますと言って出かける。心配性の両親は私にたくさんの護衛をつけている。また誘拐されることを心配して、移動も大きな馬車だ。歩いて外出するときは、兄が付き添ってくれる。
「……やはり慣れませんか?」
馬車に乗り込んで、開口一番ジュリー先生が言った。
「はい。……でもジュリー先生がいてくれるから大丈夫です」
先生は私の抱く複雑な感情も理解してくれている。私はまだ本当の両親とはギクシャクしている。兄とはだいぶ慣れたけど、いまだに両親にどう接していいのかわからない。
「それに愛してくれているのはわかるから、きっといつかは親だと思えるようになると思います」
私の言葉を聞いた先生は、穏やかに笑っている。私にとって先生は母のような存在なのだと言ったら、困らせてしまうだろうか。
神殿内のロータリーで馬車から降りようとすると、兄が私に手を差し伸べた。兄は今日、姉に頼まれて儀式をしていた。朝早くに家を出て、先に神殿に来ていたのだ。
儀式とはソレイル神へのお供えである。これは平民でも誰でも申し込めばやってもらえる。新商品を作ったらソレイル神にお披露目することでよく売れるようになるというジンクスがあるので、みんなこぞって申し込む。普段は神官がやる儀式だけど、兄は自分から立候補して進行役をかって出た。普通の神官より聖人の言葉の方がソレイル神に届くと言われているから、兄なりの優しさだ。
「儀式はうまくいったの?」
「ふふ、面白いことになったよ。祭壇にフワリンパンを捧げたら、天から光が降り注いだ。やけに騒がしくなったから神官に聞いたら、この国ではここ数十年なかったことなんだって。聖地であるアール国では一年に一度くらいはあるんだけどね」
兄は面白そうに笑っている。きっとこの噂は瞬く間に広がるだろう。そうしたら姉はきっと大忙しになるはずだ。ソレイル神が祝福したパンなんて、信者にとってはごちそうだもの。
「お姉様、頑張りすぎて倒れなきゃいいけど……」
「大丈夫だよ。神殿が目を光らせてるし、アンネマリーの役割は酵母……だっけ? パンを膨らます元をつくることだから」
実はパンを売り出すと決めた時、困ったことになったのだ。姉はこのパンの製造方法を広く伝えたいと訴え、神殿は資金源となるパンの作り方をしばらくは独占したかった。口論になったところで、このパンの発案者であるフワリンが言ったのだ。
「なら酵母だけ売ればいい。完成したパンとその元である酵母とレシピを売って、酵母の製造方法だけは秘匿する。そうすれば、街のパン屋もそれを買って商品をつくることができる」
見事な折衷案に拍手をしたくなったものだ。結局そうすることに落ち着いて、姉は酵母を作ることに集中することになった。本当はパン自体も姉が焼きたかったようだけど、あきらかにオーバーワークだから、パンを焼くのはガーデンの子供たちの仕事になった。
「シリア! いらっしゃい!」
兄と談笑しながら神殿内の広場に行くと、前には無かった建物がたっていた。赤い屋根の可愛らしい店だ。看板に「フワリンパン」と白い毛玉の絵が書いてある。フワリンが「へっぷー!」と看板の所まで飛んでいって嬉しそうに左右に揺れている。姉が今日までパン屋の準備を手伝わせてくれなかったのは、きっとフワリンにサプライズがしたかったからだろう。
「お姉様。素敵な店ですね!」
エプロン姿のまま走って店から出てきた姉は、見たことのないほど明るい顔をしていた。抱き着いてきた姉と目を合わせて二人で笑いあう。すると店の入り口のベルの音がして、出てきたのは見知った顔だった。
「……ミスティア様?」
姉とおそろいのエプロンを着ているミスティア様は、気まずそうに私から目を反らす。
「今は、ただのミスティアです」
小さく呟かれたその声に、前のような高慢さは感じられない。ミスティアの父は処刑され、貴族ではなくなった。王子が尽力して、毒を飲ませたミスティアは利用されただけということで刑を免れたと聞いたけど、まさか姉のパン屋にいるとは思っていなかった。
「幼馴染だもの。今度はちゃんと友達になりたかったの」
姉がミスティアに笑顔を向ける。姉とミスティア様の間には、距離があった。お互い政治的な思惑で「お友達」をやっていたけど、そんなしがらみは無くなった。今度は二人でまた新しく関係を築いてゆくのだろう。
「さあ、この「フワリンパン」の最初のお客様! お席へどうぞ!」
姉に促されて、ジュリー先生と共にテラスにある席につく。姉自らパンとジュースを運んでくれたけど、その動きはぎこちない。つい最近まで公爵令嬢だったのだからそうだろう。
パンを口に含むと、ほんのり甘い小麦の風味が口いっぱいに広がっておいしい。いくらでも食べられそうだ。フワリンも「へぷへぷ」鳴いて姉を褒めているようだ。お腹いっぱい食べようね、とフワリンに言うと、姉が追加のパンを運んでくれた。
「シリアー!」
三十分もすると、遠くから私を呼ぶ声がした。瞬間、足元にカピバラが突進してくる。ショコラの高速移動は時々心臓に悪い。
「キャンディ、モニーク、レヴィー! それにウィズレッドくんも!」
こちらに駆けてくる四人に、私も手を振り返した。どうやら私だけ三十分早く呼ばれていたみたい。今日は記念すべきプレオープン。後からたくさんのお客さんが来るのだろう。
姉が店の裏からガーデンの子供たちを連れてきた。子供たちは緊張した様子でみんなを席に案内する。明日からは子供たちが接客を任せられるのだ。拙い動きで給仕をする子供たちに、心の中で頑張れと念じる。
「……幸せだね。フワリン」
なんとなく、思ったことを口に出した。自分の言葉を起点にして思い出がよみがえってくる。この一年ちょっとはあっという間だった。不思議な使い魔を召喚して、初めての友達ができて、家族が見つかった。
フワリンは「へっぷい」と鳴いて私を見つめる。その大きな目はいつの間にか私を安心させてくれるものになった。
「ねえねえ、フワリン。最近米料理ばっかりだったでしょ。そろそろパンに合う新作も食べたいなぁ」
キャンディが隣の席からフワリンに呼びかける。トットがにゃーんと鳴いてフワリンの上に乗った。確かにしょうゆを作ってからは、米料理が多かった。フワリンはしょうゆに並々ならぬ執着があるので好きにさせていたけど、確かにパンに合う料理も食べたいな。
「まあ、パンに合う料理なら、食べてみたいわ」
姉も加わって、みんなでどの料理がおいしかったか話し合っている。レヴィーもモニークも楽しそうだ。ウィズレッドくんも最近はあたりがきつく無くなって、穏やかになった。
「へっぷい」
しょうがないなと言う顔でテレパシーをおくるフワリンのおかげで、みんな食いしん坊になってしまった。これからもきっとこの気持ちだけは変わらない。
「もっとおいしいもの、食べたいな」
料理が繋いでくれた私たちの縁は、これからも切れることはないだろう。だっておいしいものが食べたいという欲望は限りないものだから。
フワリンのおかげで私たちは今日も幸せいっぱいだ。
お付き合いくださりありがとうございました!
これにて完結です!




