痛みへ変わる優しさは
そのあともミリシャは度々、具合を見に来てくれた。何か仕事をしているのか、少し忙しそうにしているので、申し訳なかったが嫌な顔せずにエイレーンの世話をしてくれた。
ずっと寝ているだけだと、暇だろうということで、本も数冊持ってきてくれた。この教会にはたくさんの本が貯蔵されているらしく、その中からお薦めの本を選んできてくれたらしい。
夕飯の時には一人だと寂しいからとエイレーンが世話になっている部屋に二人分の食事を運んできて、二人で他愛もない話をしながら、ゆっくりと食べた。
寝る前には腹部の傷に新しく薬を塗ってもらい、包帯まで巻き換えてもらったが、その手付きはとても手馴れていて、上手だと褒めるとこの町には医者がいないから、自分が代わりに町の人に傷の手当てをしたりしているのだと話してくれた。
「じゃあ、おやすみなさい、エイレーン」
ミリシャが扉の向こうへと行く前にエイレーンは引き留めた。
「あ、あの、ミリシャ……今日はありがとう」
そう告げるとミリシャはふわり、と笑った。その笑顔を見たのは今日一日で何度目だろう。
「うん。また、明日ね。おやすみなさい」
「おやすみなさい……」
扉が閉まり、静けさが戻ってくる。ミリシャの一つ一つの優しさで胸がいっぱいだ。今までずっと一人ぼっちだった自分に一生分の幸せが舞い込んだような、そんな気分だ。
嬉しくて、楽しくて、そして辛かった。
「…………っ」
薄い布団を両手で握りしめる。いつか、自分が魔女だと知られたら、彼女は何と言うだろう。
あの笑顔が曇ってしまわないだろうか。村の人々のように、自分を敵として石を投げてこないだろうかと、そればかり考えてしまう。
人の優しさに触れることは、こんなにも怖いことだったのか。嫌だ、嫌だ。彼女にだけは嫌われたくない。彼女の優しさを仇で返すようなことだけはしたくない。
「……傷が治ったら、もう……」
自分がここにいる理由はなくなる。それでも、これほど去り難くなるのは何故か。
エイレーンは着替える時に外されていたお守りを枕の下から取り出し、祈るように両手で握りしめた。頭の中では分かっていても、心が追いついてはくれなかった。
エイレーンがミリシャの世話になってから二日経った頃、腹部の傷も少しずつ良くなってきているのか、出血しなくなり、教会の外に出ないという条件で、歩き回ることも許された。
ミリシャは洗濯物を取り込んでくると言って、教会の裏手へと行ったため、今は一人である。
初めて部屋から出た時は緊張したが、廊下や窓には埃が付いておらず、ミリシャが常日頃から掃除を欠かさずに行っている姿が目に浮かんで、思わず笑みが零れてしまう。
どうやら自分が使わせてもらっている部屋は二階だったらしく、螺旋状になった石階段を上った所には同じような部屋がいくつもあった。
壁に手を当てながらゆっくりと階段を下りて行くとそこには小さな広間のような場所があり、更に奥へと続く大きな扉、そして教会への入口である木製の扉があった。
どちらから行こうか迷ったが、奥へ続く扉の方へと歩みを進めた。木製だが、取っ手の部分だけ鉄製である。それにそっと触れて、力を入れながら扉をゆっくりと開けていく。
その瞬間、風と一緒に爽やかで花のように甘い香りがするりと鼻の先をかすめていった。その場所は思っていた通り、祈りを捧げる場所のようだ。
人は一人も居らず、ただ静けさだけがその場に流れる。長椅子の数は数えられるほどだが、綺麗に真正面に向かって整列しており、床も塵一つ落ちていない。
一歩ずつ踏み出し、聖堂の中へと入っていく。その場所がいかに神聖な場所で、自分が入ってはいけない場所だと認識はしている。
だが、それでも、圧倒される空気がそこにはあった。真正面に堂々と、光る破片を合わせたものは、太陽の光を遮り、床に色鮮やかなその模様を映し出す。何が描かれているかは分からないが、自然と息が詰るその光景に時間を忘れてしまいそうだった。
「エイレーン?」
様子を見にきたのか、ミリシャが扉から顔を出している。
「……すごいわね、これ」
「あぁ、ステンドグラスって言うの。私も気に入っているのよ」
ミリシャはエイレーンの手を取って、ステンドグラスが反射した場所へと連れて行く。
「昔はこのステンドグラスをよく手入れしていたのだけれど……。今は人が居ないし、高い場所にあるから、手が届かなくて掃除が出来ないのよねぇ」
「……でも、凄いわ。ミリシャはこの教会の全部を一人で掃除しているのね」
改めて見渡す場所は汚れも無いし、塵も落ちていない。そして、頻繁に空気が入れ替えられているのか、とても空気が澄んでいる。
「えぇ。時間だけはあるもの。それに掃除だけをしているわけではないわ」
「そうなの?」
「こっちへ来てみて」
ミリシャは無理をさせないように、だが少しだけ早足でエイレーンの手を引っ張りながら、聖堂の端っこの方にある小さな扉を開けて進んでいく。
そこは教会の庭で、先ほどまで洗濯物が掛かっていたのか、物干し竿が置かれていた。
先を歩くミリシャの顔をそっと覗き込むとどことなく楽しそうな顔をしている。彼女が楽しいなら、それは嬉しいが手を握られるのは少しだけ恥ずかしい気もする。
「ここよ」
連れて来られたのは教会の敷地の裏手にある野菜畑で、綺麗に盛られた畝が並んでいる。
「ここで作物を育てているの。週に一度、教会で町の人に炊き出しをしていて、それに使う野菜なのよ」
育てている野菜は葉から見て、人参や蕪のようだ。これなら、自分も作ったことがある。
「でも、あまり上手く育たなくって……。やっぱり、肥料とか必要なのかなぁ」
「……簡単な肥料だったら、作ったことあるけど」
エイレーンがそう呟くとミリシャは勢いよく振り返った。
「本当!?」
「えっ? え、えぇ。私も自分で畑を管理していたから……」
すると、ミリシャの目は急にきらきらと光りだした。
「ねぇ、良かったら、肥料を作ってくれない? ううん、作り方を教えて!」
ぐいぐいっと顔を近づけてくるミリシャにエイレーンはたじろぐ。
「い、いいけど……」
「いいの!? ありがとう!」
ミリシャは再びエイレーンの両手を取り、嬉しそうにはしゃいでいる。無理なお願いではないが、その前には材料も必要だ。今、自分が持っているものは薬草の種しかない。
「あの、薬草の材料が必要なの……。私、何も持っていないから一から揃えないと……」
「そうなの? じゃあ、今度一緒に森へ行きましょう? 体の調子が良いなら明日にでも」
楽しそうに笑うミリシャにエイレーンも笑みを浮かべながら頷く。助けてもらった上に、お世話になったのだ。彼女が行おうとしている事に対して役立ちたいと思う。
だが、その一方で何か罪悪感のようなものが込み上げてくる。自分が魔女にも関わらず、人らしいことをしているからだろうか。それとも、彼女の笑顔に中てられたからか。
エイレーンはミリシャが見ていない時に頭を横に振り、まるで痛みを思い出すように自分の腹部に力を込めて、手を当てていた。