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「うん……うん。それでね、その『忘れ物しぐれ堂』でアルバイトとして働かせていただくことになったの。そうそう。もちろん就活も続けとるよ。だから私の生活のことは心配しないで」
『忘れ物しぐれ堂』でアルバイトに採用された日の夜、金沢市内にある自宅のマンションから、九州の病院に入院している母に電話をかけた。
『アルバイト? あんたそんなことする暇あると? イラストの仕事はどうなったとよ』
母が私を心配する声が耳につんと響く。
母は、私が就活をすることよりアルバイトをすることよりも何よりも、夢だったイラストレーターの仕事をしてほしいと願っているのだ。それなのに、急に新しいアルバイト先を見つけたと伝えたところで、母が驚くのも無理はない。
「も、もちろんイラストの仕事も……続けとるよ。心配せんでいいって」
つい、迷いつつも強い口調で「心配しなくていいから」と念押ししてしまう。たぶん私は、母親に自分の将来のことを心配されるのが一番嫌なのだ。
『そう。イラストの仕事続けとるならお母さんはなんでもいいけど。純恋が元気にちゃんと自分の夢に向かって歩いとるならそれでよか』
「うん……」
いつどんな状況の中でも、母は私に夢を応援してくれている。就職先を探して奔走したり、イラストとは関係ない新しいアルバイトを始めたり、ちょっぴり後ろめたい気持ちになった。
母に「身体、気をつけてね」とだけ言い残し、電話を終えた。
母の声を聞くと、今すぐ九州に飛んで帰りたい衝動に駆られる。
でも、だめだ。
私はまだ、何者にもなっていないから。
イラストの仕事をしていない私に会ったら、母は失望してしまうだろう。
だから、母の希望通りに生きられるようになるまで、母に会えない。
そんなふうに考えている自分がいた。
「不束者ですが、今日からよろしくお願いします!」
「不束者って……たぶん使いどころ間違ってるけど、まあ、よろしく」
十一月一日、木枯らしがひゅうひゅうと吹く中、浅野川の河原で遊んでいる親子を横目に、『忘れ物しぐれ堂』に初出勤を果たした。
相変わらず昔懐かしい香りのする店内は、一歩中に足を踏み入れるだけでほっと心が安らいだ。
接客の経験はあるので、お客さんと接するのに抵抗があるわけでもなく、今すぐにでもお客さんが来てくれないかな、とわくわくしていた。
そんな私を、店主の多門さんは落ち着き払った瞳で見つめている。
いつどんなことが起きても、この人は動揺せずに泰然自若としていそうだな。
出会って二日目だけれど、多門さんの安定感には目を瞠るものがある。
「この間も説明した通り、警察に届けて引き取り手のなかった忘れ物を、一度『保管棚』に保管する。三ヶ月して元の持ち主が現れなければ値段をつけて『販売棚』に移動させる。『販売棚』に移動させたあとは、誰でも購入することができる。ここまではいいかね?」
多門さんの忘れ物販売についての説明を、メモを取りながら聞く。シンプルなルールではあるが、間違っていきなり忘れ物を『販売棚』に置くなどすれば、元の持ち主への敬意を踏み躙ることになるので、注意しなくちゃいけない。
「質問、いいですか?」
「ああ。なんだい?」
「『保管棚』に忘れ物を保管している時に、元の持ち主だと名乗る人が現れるとするじゃないですか。で、その人が『これは私が落としたものです!』と主張する。でも、嘘を言っている可能性もありません……? 『保管棚』に並んでいるものは高価なものだってあるでしょう? だから、あまり考えたくはないけど、そ
ういう悪いことを考える人もいるのかなぁって……」
実際、本当に考えたくはないことだが、世の中にはいろんな人がいる。自分のものではないのに、「自分が落としたものだ」と主張する人が現れてもおかしくはない。
多門さんは私の質問を聞いて、「うんうん」と頷いていた。どうやら、これまでそういう人が現れたことがあるようだ。経験がある、と彼の顔に書いてあるみたいだった。
「そうだね。小坂さんの言う通り、中には嘘をついて忘れ物を自分のものだと言い張る人がいる。だから、
『保管棚』の忘れ物を取り戻すにはあるルールがある」
「ルール?」
「ああ。自分の持ち物だと主張するものが、本当にその人のものなのか、証明をしてもらうんだ」
「証明……でも、どうやって」
その忘れ物が自分のものであると証明する——理屈はとてもよく分かるが、どうやって証明するのかいまいちピンとこず、首を傾げた。
「一番確実で分かりやすいのは、本人が忘れ物を身につけている写真を見せてもらうことだな。あとは、ネットで購入したものだったら購入完了メールなんかを見せてもらうのでもいい。そういった証拠がなければ……俺は、エピソードを語ってもらうことにしている」
「エピソードを語る?」
「ああ。思い入れのあるものなら、どこで手に入れたのか、どうやって使っていたのか、覚えているはずだろう? そのものと印象に残っているエピソードを語ってもらうんだ。あとはもう自己判断になるけど。納得できたら、忘れ物はその人の元に返すことにしているよ」
「なるほど」
確かに、その方法なら本当に忘れ物がその人のものなのか、大体見分けがつきそうだ。嘘のエピソードを語る人も出てくるかもしれないが、そこまでの悪人にはこれから天罰が下ると、多門さんは静かに語ってくれた。
「まあ今まで、あまりエピソードを語ってくれた人はいないな。たいていみんな写真を見せてくれる。一番手っ取り早い方法だからな」
「そうなんですね。写真があるならそれを見せてもらうのが客観的に見ても最適な方法ということですね」
「そういうことだ」
多門さんにルールを説明してもらって、疑問は消え去った。
『販売棚』に移動したものは普通の商品と同じように販売するだけ。覚えることはあまりないと感じた。
その後多門さんは、普段のアルバイトでしてほしいことや、商品の説明なんかをしてくれた。掃除、骨董品の整理、骨董品の埃取り、忘れ物の期限チェック、レジ打ちなどを任された。ほとんど多門さんがやっている仕事すべてということだ。
「忘れ物の期限は、それぞれの忘れ物にシールが貼ってある。ネックレスなんかはタグシールが貼ってあるだろ」
そう言われて、再び『保管棚』のほうをじっと見つめる。確かに、ネックレスにはタグシールに「2026/11/14」と書かれていた。このネックレスはもうすぐ保管期限を迎えるらしい。
「忘れ物のタグシールは毎日確認して、期限を迎えていたら『販売棚』に移動させる。その時に一緒に値段もつけるから、値段については俺に相談して」
「分かりました。覚えておきます」
『保管棚』にはざっと五十品以上忘れ物が保管されている。すべての期限を確認するのは手間ではあるが、その手間は惜しまないようにしよう。
「これで一通り教え終わったかな」
多門さんがふう、と息を吐いたところで、私はようやく仕事を始められると意気込んだ。
「ありがとうございます。これから頑張ります!」
気合いは十分。
さあ、お客さんよ、どんと来い!
とお店の扉を見つめて念を送るのだった。




