95 学生の本分とは
「学生の本分とは何か」
授業の開始と同時にやってきたブルック先生が、突然、大きな声で言った。
皆、何事かと注目する。
「勉強だよ」
いきなり何を言い出すのか。
教室の中は緊張感で静まり返った。
「入学式から今までの間、結構色んな行事があったからね。皆、忘れちゃってるんじゃない? すごく気が緩んでるように見えるんだけど」
銀縁メガネをクイッと持ち上げながら、精一杯つんとした態度でそう言うブルック先生だが。
小柄で童顔、儚げな美少年風の彼がそんなことを言っても、ツンデレ美少女にしか見えない。
「これからは毎回、授業の初めに15分間、小テストをするからね。前回の授業の内容が頭に入ってるかどうかの確認だから、難しいものじゃないよ。赤点2回続けて取ったら放課後に補習ね」
ええーっと不満の声が挙がる。
こういうの、前世でもあった。何だか懐かしい。
「うるさいよ! 僕だって暇じゃないのに、親切に補習に付き合ってやるって言ってるんだよ? 感謝されるならまだしも、文句を言われる筋合いなんてないんだからね!」
確かにそうだ。
他の教師はそんなことしていない。
改めてよく考えると、ブルック先生はかなり面倒見がいい。
前世で社会人だった私は、もう既に一回、学生時代を経験している。
だからこそわかる。
世の中には、一生懸命に生徒に教えてくれている教師と、仕事だからと適当にやっている教師とがいることを。
ブルック先生は間違いなく前者だ。
この学院の教師は、主に二種類いる。
学院に正式に勤めている教師と、国からの要請で、各種研究所から数年間だけ学院に出向している教師。
ブルック先生は後者で、王都にあるアカデミーと呼ばれる研究機関から出向してきている。
本職は、「フォートラン建国記」という古典文学の研究者で、古語と呼ばれる言語の第一人者らしい。
余談だが、この「フォートラン建国記」というのは、初代の王エドワードが、大魔法使いエレイン・ルルーシュ・グレイスと、その使い魔であるフェンリルのヴィクターと共に、様々な困難を乗り越えフォートラン王国を立ち上げるまでが記された壮大な叙事詩だ。
どんな内容か気になったので図書館で借りて現代語訳を読んでみたのだが、妖精や魔法が出てくるファンタジーで、結構面白かった。
なので、あっという間に全7巻を一気に読み切ってしまった。
不満の声が続く中、先生、と手を挙げて質問する生徒がいた。
彼は確か、チャールズ・ウィラー。ウィラー伯爵家の子息だったはず。
こんがりトースト色の短髪に、黒に近い焦げ茶色の瞳。
ちょっと柴犬っぽい印象。
「補習って、一体どんなことをやるんですか?」
「間違えたところをわかるようにするだけだよ。一通り復習した後で、僕が口頭で問題を出すから。それに正解したら終わり」
「それを間違えたらどうなるんですか?」
「は? 君は馬鹿なの? そこまでやってもまだ間違える気なの? まあ、間違えたら、また僕の説明を受けて、出された問題に答えるんだよ」
「そこでまた間違えたら」
「は? 有り得ないんだけど。正解するまでずっと繰り返すんだよ! わかった!?」
「はい!」
口では面倒だと言いつつも、そこまでやってくれようとしているのか。
やっぱり面倒見良いな、この人。
それにしても、チャールズ・ウィラー。
あっけらかんとしていて無邪気というか何というか。
ブルック先生がキレ気味に叫んでも、ニコニコ笑って返事をしている。
ある意味大物だ。
そして、午前中の授業が終わり、昼食の時間になった。
マーガレット達と連れ立って食堂に向かう。
今日のメニューは何だろうとか、なごやかに話しながら廊下を進んでいると。
「エリザベス嬢!」
不意に後ろから声をかけられた。
「ギルバート殿下……」
振り返ると、ギルバート殿下が何やらトロフィーのような物、いや違う、確実にトロフィーにしか見えない――を、両手で持って立っていた。
大きい、しかもかなり重そうだ。
そして、その後ろにはカイルもいた。
「あの、だな。先日、アルドラとフォートランのチェスの試合があったのだが」
(知ってる。なんなら、あなたが何故その試合に出る羽目になったのかも知ってる)
そんなことは口が裂けても言えないので、とりあえず無言で首をちょっとだけ傾げてみる。
すると、ギルバート殿下の顔が真っ赤になった。
「エ、エリザベス嬢は、チェスが強い男性が好きだと聞いたのだが」
(は? 何それ、誰から聞いたの?)
「それで、だな。その……これを受け取って欲しい!」
ギルバート殿下はそう言うと、手に持っていた重そうなトロフィーを私に手渡そうとしてきた。
だが、それは叶わなかった。
何故ならリチャードが、私とギルバート殿下の間にさっと体を滑り込ませてきたからだ。
「どういうことでしょうか、ギルバート殿下。こんな大きな物を貴族の令嬢に持たせようとするなんて。頭がおかしくなったとしか思えませんよ、さもなくば、嫌がらせですか?」
「……なっ!? そんなはずがないだろう! 俺はただ、優勝した証のこのトロフィーを、エリザベス嬢に捧げようとしただけだ!」
「それがおかしいって言ってるんです。普通の令嬢なら、婚約者でもない男からこんな大きな物を渡されても困るだけですよ。いや、婚約者からもらったとしても迷惑だ。荷物になって困るし、家に持って帰って部屋に置いておくのも邪魔だし」
「なんだと? 貴様、不敬だぞ!」
ギルバート殿下がリチャードに向かって怒鳴る。
トロフィーを持っていなければ、そのまま掴みかかっていきそうな剣幕だ。
「よせ、ギル。落ち着くんだ。……リチャード・ベルク、ギルバート殿下は今、エリザベス嬢と話をしているんだ。お願いだから邪魔しないでやってくれ」
見かねたカイルが二人の間に割って入った。
作り笑顔で丁寧に話しているように見えるが、リチャードに対する敵意がそこはかとなく見て取れる。
「……あらあら、過保護なこと」
「なんだと? ……君は、あの時の……」
私の背後で事の成り行きを見守っていたシャーロットが、突然前に出てきた。
と同時に、カイルの作り笑顔が剥がれ、眉間に皺を寄せた不機嫌な表情になった。
「ギルバート殿下は、従者に手伝ってもらわないとまともに会話もできないのかしら」
「なんだと! 生意気な!」
「よすんだ、ギル。……部外者は黙っていて下さい。こんな時までしゃしゃり出てくるとは」
「しゃしゃり出てきたのは貴方のほうでしょう?」
「俺はギルの従者で友人です」
「あら、私だってエリザベスの友人よ」
(うわあ! またもや二人の後ろに、虎と龍が見える……!)
――その時。
「うふふ、それでは勝負で決めるのはいかが?」
場違いなくらい明るく朗らかな声が響き渡った。
「マーガレット……? 勝負って、一体何を言い出すの?」
「エリザベス、このままじゃ、いつまでたってもランチが食べられないでしょう?」
確かに。お腹も空いていることだし、なんとか早く事を収めたい。
「ギルバート殿下、チェスで勝負をいたしませんか? 殿下が勝ったら、エリザベスはトロフィーを受け取る。私が勝ったら、殿下はトロフィーを持って帰る。いかがですか?」
「何故、俺がお前と勝負しなければならないんだ!」
(おっ、正論来た! まずい。このままだと収拾がつかない。……よし!)
「わー、それ、いいアイデアねー」
マーガレットに加勢しようと頑張って同意してみたが。
焦って妙な片言風になってしまった! しかもどことなく棒読み!
「そうですね、マーガレットとギルバート殿下の勝負、見てみたいです」
「どちらが強いのかしら」
「そんなの……わかりきってますわ」
「……マーガレットは、チェス強いから……」
アメリア、ビアンカ、シャーロット、ハイジ! 援護射撃ありがとう!
「……いいだろう。だが、俺は強いぞ? いいのか?」
よし! ギルバート殿下が乗って来た!
「もちろんですわ! では、放課後にA組の教室でお待ちしております」
「承知した。……エリザベス嬢、ではまた、放課後に」
ギルバート殿下はそう言って軽くお辞儀をすると、カイルと共に去って行く。
両手に大きなトロフィーを持っているので、すれ違う生徒達から不思議そうな視線を向けられている。
その後ろ姿を見ながら、アレは絶対に欲しくないとしみじみ思った。




