83 思っていたのと違いました
「料理長!!」
フォークナー伯爵家に戻った後、私は厨房に駆け込んだ。
「おやおや、お嬢様、どうされましたか?」
「今度、学院のハイキングでイチゴ狩りに行くことになったの。でね、アレを作って欲しいんだけど……」
「ああ、アレですね! お安い御用ですとも。いくらでもお作りいたしますよ」
「わあ、嬉しい! ありがとう、料理長!」
私がリクエストしたアレとは。
イチゴの永遠のベストパートナー。そう、練乳――コンデンスミルクである。
今世ではイチゴは露地栽培で、自然に近い形で栽培されている。
前世のようにビニールハウスで育てられているわけではない。
なので、毎年、出来不出来があった。
しかも、特に品種改良されているわけではないので、前世のものと比べると、若干酸っぱいイチゴが多かった。
そこで、練乳――コンデンスミルクの出番である。
コンデンスミルクは、今世でも普通にあった。
だが、その用途はコーヒーや紅茶に入れたりするくらいで、イチゴにかけて食べたりかき氷にかけたりという食べ方をする人は全くいなかったのだ。
今でも覚えている。
あれは、私がフォークナー伯爵家に引き取られてすぐの頃だった。
私の好物がイチゴだと知った料理長が、デザートにたくさんのイチゴを出してくれたことがあった。
大喜びでイチゴを口に放り込んだのだが、それはいつにも増して酸っぱいイチゴだった。
このまま食べるのは正直ちょっとキツイなと思った私は、料理長に言った。
『料理長、練乳ってある?』
『れんにゅうですか? はて、それは一体、どんなものなのでしょう?』
『えーと、練乳が通じないのね、だったら……コンデンスミルクはある?』
『ああ、コンデンスミルクですね。ございますよ。今すぐお持ち致しますね』
その後、料理長は、小さめの容器に入れたコンデンスミルクを持ってきてくれた。
私がそれを、紅茶ではなくイチゴに回しかけるのを見て驚いた料理長は、目を見開き口をポカンと開けたまま固まってしまった。
『うーん、甘酸っぱくて美味しい。……って、あれ? 料理長、どうしたの?』
初めは、料理長が何に対してそんなに驚いているのかがわからなくて焦った。
『お、お嬢様、イチゴにコンデンスミルクをかけるだなんて……」
『え? やったことないの? 美味しいのに!』
その後で強引に料理長に一つ食べさせてみたところ。『こ、これは……! 酸味と甘みの絶妙なハーモニー!』と大絶賛だった。
それ以来、フォークナー邸ではイチゴにコンデンスミルクをかけるのが定番となり、料理長は私が望めばいつでも大量のコンデンスミルクを作ってくれるようになった。
牛乳と砂糖と、料理長のたっぷりの愛情を煮詰めると、美味しいコンデンスミルクになるらしい。
これは本当に不思議なのだが、他の料理人が作るものと料理長が作るものとでは、味の違いが歴然なのだ。
料理人のパーシー曰く、『これが料理長の凄いところなんですよね。俺も、いつか料理長のようになりたいです!』だそうだ。
パーシーだけでなく、料理人達は皆、料理長を尊敬している。
そんな凄い人に、いつも気軽にアレコレ作ってくれとおねだりしてしまい、なんだか申し訳ない。
「あのね、今度のハイキングはウィンダミアに行くの」
「左様ですか。ウィンダミアのイチゴは美味いですぞ。他の産地の物より粒が大きくて甘いんです」
「そうなんだ! 皆にもお土産もってくるから期待しててね!」
「それはそれは。楽しみにしておりますね」
そう言って笑う料理長は、私には凄く優しく見えるのだが、料理人達が言うには結構厳しいらしい。
料理長は、お母様が子供の頃からフォークナー伯爵家に勤めていたそうで、『マーガレット様もこのグラタンがお好きでしたよ』とか『ヘンリー様は、いつもマーガレット様におやつを横取りされて泣いていらっしゃいました』とか、両親の子供の頃の話をしてくれる。
そのせいもあって、私にとって料理長は、フォークナー伯爵であるおじいさまに続く第二の祖父のような存在だった。
「イチゴ狩りの時に、料理長のコンデンスミルクを持っていくつもりなの。瓶か何かに入れてくれる?」
「えっ、コンデンスミルクを持って行くのですか?」
「そうよ。採ったイチゴにつけて食べるの!」
「えっ!?」
「えっ? なんでそんなに驚いてるの?」
採ったイチゴにコンデンスミルクをつけて食べたら、さぞかし美味しいだろう。
なのに何故、料理長はこんなに驚いているんだろう。
「お嬢様、あの、もしかしてですが……イチゴを摘んですぐに召し上がるおつもりですか?」
「ええ、そうよ!」
「摘んですぐ、ですか? その場で?」
「ええ」
摘みたての瑞々しいイチゴを口に運ぶところを想像して、思わずよだれが出そうになる。
「それは、ちょっと、無理なのでは……」
「えっ? 無理ってどういうこと?」
(だって、イチゴ狩りなんでしょう? 採ったイチゴを好きなだけ食べて良いんじゃないの?)
嫌な予感がしたので、料理長にイチゴ狩りについて詳しく聞いたところ――。
衝撃だった。
私の知ってるいちご狩りではなかった!!
今世ではイチゴは露地栽培。
つまり、屋根の無いところで育てている。
雨や土で汚れているかもしれないし、虫がついていたかもしれない。
なので、洗わずに食べることはしないのだそうだ。
そもそも、貴族令嬢が摘み採ったイチゴをそのままパクパク食べまくるのはNGらしい。
「そんな! じゃあ、イチゴ狩りって何なの? ただ採るだけ?」
「そうですね。収穫するだけです」
「嘘! 採ったらすぐ食べられるんだと思ってた!?」
「お嬢様、どこでそんなことを教わったのですか?」
――前世です。
とは言えないので、とりあえず黙った。
「普段、自分たちが食べているイチゴがどのように生っているのかを自分の目で確かめつつ、収穫の喜びを味わうのがイチゴ狩りですぞ」
料理長は、出来の悪い生徒に教え諭すような口調で言った。
「じゃあ、イチゴはいつ食べるの?」
「摘んだイチゴは、それぞれの家に持ち帰ってから食べるのが一般的ですな」
「そんなあ」
(目の前に美味しそうなイチゴがあるのに、食べられないってことよね? 何、それ、拷問?)
絶対に我慢できない。
できるはずがない。
だって、摘みたての瑞々しいイチゴなのだ。
香りだってさぞかし素晴らしいだろう。
1秒も待てる自信がない。
「でもでも、中には、採ってすぐ食べちゃう人も」
「いませんな。お嬢様、くれぐれもそんなはしたない真似をなさいませんように。……まあ、お嬢様がそんなことをしようとしたら、リチャード様が慌てて止めに入ると思いますがね」
(ああ、目に浮かぶ……)
イチゴを手にして血の涙を流しながら、食べるのを必死に我慢している私の横で、リチャードが目を光らせている光景が。
そうなのだ。
うっかり忘れてしまうことが多いが、私は貴族令嬢なのだ。
前世では許されたことも、今世では駄目だと言われることがある。
気をつけているつもりだが、時々こうして前世の常識に足をすくわれることがあるので注意しなければならない。
それにしても。
そんな拷問のようなイチゴ狩りなんて、行っても辛いだけなのではないだろうか。
(よし、決めた!)
私は決心した。
(ウィンダミアには行かない! ハイキングは欠席する!)




