82 リチャードの作戦
今世において、チェスは単なるゲームではない。
貴族社会における権力闘争や、外交戦略の場においては、チェスの勝敗によって物事が決定されることすらある。
チェスの腕前が、貴族としての知性や教養を示す指標となるため、名門の貴族ほどチェスに精通しているのが当然であり、その力量は社交界での評価や縁談にも影響を与える。
ちなみに、市井ではチェスよりトランプの方が馴染み深いようだ。
道具の価格が安価で揃えやすいことと、酒場や旅先で気軽に遊べる携帯のしやすさが理由らしい。
そんな貴族に人気のチェスだが。
大小様々な規模の大会が、結構な頻度で開催されている。
なかでも『国別対抗戦』とも呼ばれる大会は、国の威信のかかった負けられない戦いとして重要視されている。
仲が良くないロトリア王国や、国交の無いシルヴェス王国との間でも、国別対抗戦は開かれているというのだから驚きだ。
国別対抗戦は団体戦だ。
代表5人が一対一の勝負を行い、チームとしての勝ち数を決める。
フォートランとアルドラは実力が非常に拮抗していて、今までの勝敗はお互いに99勝99敗。
つまり、次の大会は『名誉ある100勝目』をかけた負けられない戦いとなるため、お互いに闘志を燃やしているそうだ。
「ギルバート殿下には、次の国別対抗戦に出て頂きましょう」
リチャードが、冷ややかな笑みを浮かべながらさらりと言う。
「あの、ギルバート殿下って、先程のあの方ですよね? チェスがお強いのですか? そんな風には見えなかったのですが」
マリーがそう疑問に思うのも当然だ。
チェスが得意イコール、頭脳明晰というイメージがある。
けれども、『永遠の愛コンテスト』でのギルバート殿下は、ちょっと、というかかなり残念な雰囲気だったのだから。
だが、意外なことに、ギルバート王子はチェスの名手らしい。
なんと、グランドマスターというチェスの名手に与えられる称号も持っているのだとか。
「まあ、第三王子という身分にふさわしい箔付けを、ということで、不正に得た称号かもしれませんが」
「え? そんなことできるの?」
「王族ですからね。なんとでもなるでしょう」
リチャードはさらっと言ったけど、これは大分由々しき問題なのでは。
「次の大会は、偶然にも学院のピクニックと同じ日に開催されます」
ならば、これを利用しない手はないと、リチャードはにっこりと笑いながら言った。
「でも、代表ってもう決まっているんでしょう? ギルバート殿下が代表って決まっているわけではないのよね?」
ではどうやってギルバート殿下を代表にするのか。
「今度の大会には、うちの長兄のアーサーが出ることになっています。アルドラ側の代表には、兄の知人が何人かいますから。その中の一人に出場を辞退して頂きます。そうですね、大会前日あたりがいいでしょうか」
「「え?」」
「体調不良……いや、家庭の事情かな。まあ、とにかく誰か一人、突然出られないことになるわけです。そこで、グランドマスターの称号を持ったギルバート殿下にお出まし頂くことにしましょう」
「ちょっと待ってリチャード、そんな都合の良いことが起きるわけないでしょう?」
「そうですね、自然に待っていたら、そんな都合の良いことが起きるわけがありません。だから、兄に頼んで、そのようにしてもらうのです」
リチャードの考えた作戦はこうだ。
王宮で文官をしている長兄アーサーは、まだ若いが宰相閣下の右腕として働いている。
知略に長けた人物で、『言葉の錬金術師』という二つ名がついている。
そのアーサーに頼んで、対戦相手を一人なんとかしてもらって、代わりとしてギルバート殿下に出てもらう。
殿下が出場に難色を示したら、『何か不都合でも? グランドマスターの称号は不正に得たものという噂は、もしかして真実なのでは?』などと言葉巧みに誘導する。
「そんなことできるの?」
「ええ、アーサーならば、そのくらいどうにでもできるはずです」
リチャードは何でもないことのように言うが、それってかなりヤバいのでは。
マリーもそう思ったらしく、「それって、死人とか出ませんよね?」と小声で呟いている。
「まあ、とにかく、ギルバート殿下はウィンダミアには来られないのです」
ギルバート殿下がピクニックではなくチェスの大会の方に参加するとしたら、側近であるカイルも間違いなくそちらに一緒について行くだろう。
つまり、二人ともピクニックに参加できないというわけだ。
たしかにそれなら、心置きなくイチゴ狩りに没頭できる。
――でも。
「せっかくのピクニックに参加できないのはちょっと気の毒な気がするわね……」
思わずポロッとそう言ってしまった。
すると、リチャードは眩しいもの見るように目を細めて言った。
「お嬢様……。お嬢様のそういう優しいところ、俺はすごく好きです。でも! 今回はそんなこと言っている場合ではありませんからね」
確かに。
私が心置きなくイチゴを堪能するためには、情けをかけている場合ではない。
「そういえば、リチャードって、三男でしょう? お兄様たちってどんな方なの?」
「長兄のアーサーは、今は王宮で文官をしていますが、将来は父の跡を継ぐ予定です。次兄ハリーは学院を卒業したあと、近衛騎士として王宮に勤めています」
「で、二人とも父親似?」
「……いえ、二人とも母親似です。父親に似たのは俺だけですね。…………お嬢様、どうしてそんなに残念そうな顔をしているんですか?」
「えっ、いや、そんなことないわよ!」
まずい。リチャードの顔が怖い。
ここは話を変えなければ。
「そうそう、リチャードのお母様、ベルク伯爵夫人って、どんな方なのかしら?」
「うーん、息子の俺が言うのもなんですが、天然というか、まあ、変わった人ですよ」
「へえ、そうなんだ。一度お会いしてみたいわ」
リチャードが私の従者になってから何度かベルク伯爵邸に行ったことがあるのだが、夫人は領地にいることが多くまだ一度もお会いできていない。
「母もお嬢様に会いたがっていました。今度、母が領地から戻った時にお茶会に誘いたいと言っていましたよ」
「わあ、嬉しい。是非、伺いたいわ!」
あのベルク伯爵の奥様だ。
きっと素敵な人に違いない。
「その時は是非、ベルク伯爵も一緒に」
「お嬢様?」
「いえ、リチャードも一緒に」
「かしこまりました」
危ない。リチャードの顔が険しくなった。
「お嬢様は、本当にベルク伯爵のファンなのですね」
やめてマリー。せっかくごまかしたのに!




