70 私のせいではありません
次の日の朝。
馬車が正門前に着くと、リチャードのエスコートで馬車を降りる。
これはいつも通り。
「おはよう、エリザベス嬢」
「おはようございます、ギルバート殿下」
走り寄って来たギルバート殿下に挨拶をされたので、にこやかに挨拶を返す。
これもいつも通り。
「おはようございます。エリザベス様」
「お、おはようございます。カイル様」
ギルバート殿下の後ろから、にこやかな顔のカイルが現れた。
……これはやや予想外。
「嫌だな、『様』だなんて。私は貴女に忠誠を誓った身です。ぜひともカイルと呼び捨てでお願いします」
「え、そういうわけには……」
明らかに今までの様子と違うカイルを見たギルバート殿下が、驚いて口をポカンと開けている。
「カ、カイル……?」
「何を驚いているんですか、殿下。先程お話したではないですか、エリザベス様に忠誠を誓い、手の甲への口づけを許されたことを!」
カイルが大げさな身振りつきで、大声で叫んだ。
途端に周囲からどよめきが起こる。
皆、見ていないようでちゃんとこっちを見てるんだな。
声の大きさから察するに、かなりの数の生徒に注目されていたようだ。
それにしても。わざわざこんな人の多い所で、ご丁寧に経緯を説明するように言うなんて。
カイルが何を考えているのか、いまいちわからない。
「お嬢様は目立つのを嫌がります。これからはこのような朝の挨拶はお控えください」
すかざす前に出たリチャードが、渋い表情で大きな声で言い放つ。
そして、次に声を落としてカイルに囁く。
「お嬢様は許しても、俺は、お前のしたことを許さないからな」
リチャードの言う、お前のしたこととは。
私に薬を盛ったこと? それとも忠誠を誓ったこと?
……まあ、両方なんだろうけど。
私自身は、『今後、私と私の仲間達を傷つけない』という誓いを守ってくれるのなら、カイルのことは許すつもりでいる。
アルドラ王国の者達にとって薬を使うことは、日常茶飯事だったのだろう。
だからこそ、カイルもそれほど酷いことだという意識が無いまま、私に薬を使ったのだと思う。
でも、話し合いの結果、自分のしたことを深く反省したようだ。
だから、今回だけは許すことにしたのだ。
昨日の話し合いで、王太子殿下も、私の意見を尊重してくれると約束してくれた。
ウォルター様からの手紙のこともある。
アルドラの者が何をしても、とりあえずはっきりとした態度はとらず、なあなあにしておくことが最善と判断したのだろう。
とにかく、カイルには表立っては何のお咎めも無しということとなったのだ。
――そして。
「おはよう! エリザベス!」
「ひゃっ! お、王太子殿下!? おはようございます!」
突然現れた王太子殿下が、物凄くキラキラした笑顔で話しかけてきた。
これは完全に想定外。
びっくりしすぎて声がひっくり返ってしまった。
「王太子殿下だなんて、そんな他人行儀な呼び方……レオンと呼ぶように言っただろう?」
「え、で、でも」
「ふふっ、何ならレオでもいいよ?」
「い、いやそれはちょっと」
どういうことだろう。
王太子殿下もといレオン殿下がありえないほどグイグイ来る。
この人、こんなキャラだっけ!?
「それにしても……昨夜は、本当に素晴らしい夜だった……」
「は? え?」
レオン殿下は、少し癖のある美しい金髪を掻き上げながら、目を細めうっとりとした表情になった。
「あんな気持ちになったのは生まれて初めてだよ……ああいうのをめくるめく体験、というのだろう……夢中になっているうちに、あっという間に時間が過ぎて……」
うっすらと染まった頬。ため息交じりの呟き。
「ねえ、エリザベス。あれは、本当にあったことなんだよね? 夢じゃないって、君の口からそう言って欲しいんだ……お願いだから……」
(ちょっとちょっとちょっと!! 何、人聞きの悪い言い方してくれてるんですか!?)
レオン殿下の言い方だと、私との間に何か特別なことがあったみたいではないか!!
カイルの言葉で騒めいていた生徒たちが、それ以上の驚きを持ってどよめいている。
無理もない。
王太子殿下自らが、めくるめく体験をしたと告白しちゃってるのだから。
ギルバート殿下はわたわたと慌てているし、カイルは眉を顰め渋面でこちらを見ている。
リチャードは――能面のような無表情になっている!?
(リチャードが見たこと無い表情している! どうしよう! えっと、とにかく、今すぐどうにかしないと!)
『小さく砕いて、ひとつずつ解決すれば、解決できない問題はない』って昔の偉い人が言ってたような気がするし。
とにかく、今はレオン殿下の方を優先することにしよう。
「ええと、そうですね。はい、あれは、夢ではないですね」
「ありがとう、エリザベス! 他の誰でもない、君にそう言ってもらえると、改めてあの素晴らしいひとときが現実だったと実感できるよ!」
レオン殿下がぱあっと顔を輝かせて嬉しそうに言う。
いやはやロイヤルスマイル恐るべし。
周りから、「殿下、素敵……」とため息交じりの声が聞こえてくる。
「その、あんなことは初めてだったから……恥ずかしながら、上手く返すことができなくて……少し、後悔もしてるんだ」
照れつつも、ほんの少し残念そうに言う殿下は、またしても手で前髪を掻き上げるようにした。
これが殿下の癖なのだろうか。色っぽいな。
「もし機会があれば……次こそはもっと……もっとうまくやれると思うんだ……」
上手くやるってどういうことだ。
一体、ケイトに何を言うつもりなのか。
想像しかけて怖くなってやめた。
「だから……お願いだ、エリザベス。どうかもう一度、私に機会をくれないか」
「………………は?」
「また、君の家に行ってもいいよね…………? あの夜のようなめくるめくひと時を、もう一度味わいたいんだ……」
殿下はそう言うと、私の手を両手で握り、懇願するような表情で言った。
次の瞬間、どよめきと、キャーという悲鳴のような歓声が上がる。
(ぎゃあああああ! なんてことを言うんだ、この人は!!)
あまりにも人聞きが悪すぎる!
こんな誤解を産むような表現、よくそんな顔で言えたもんだとおののきつつ、周りを見ると。
ギルバート殿下はすっかり顔色が悪くなり、呆然とした表情でこちらを見ていて。
カイルは唇を噛んで、憎々し気にレオン殿下を睨んでいる。
リチャードは――
(え!? 何その埴輪みたいな表情!?)
何を考えているのかわからない、今まで見たことのない無表情。
怖い怖い怖い!
そして、いつの間にか、守り隊の皆も遠巻きにこちらを眺めていた。
マーガレット様は、うんうんと頷いていて。
アメリア様、ビアンカ様、シャーロット様は、どこかわくわくとした興味津々と言った表情。
ハイジ様は顔を真っ赤にしてブルブル震えていて。
クラウス様はそんなハイジ様を見てため息をついている。
(ちょっと!! これ、一体どういう状況なの!?)
とにかく落ち着こうと深呼吸する。
こういう時は、冷静に、慌てず対処しないと。
目の前で、私の手を取りウルウルした目で懇願してくるレオン殿下。
ここで断ったら、どんなことを言い出すかわからない。
――よし!
私は覚悟を決めた。
「ええ、もちろんです、レオン殿下。私も、初めてのことだったので慌ててしまって、お恥ずかしい限りです。今はもう、覚悟ができましたし、二度目ならもっとうまく受け止められると思います!」
そう、いきなりあんな光景を見せられて動揺したが、今はもう大丈夫。
Sっ気のある年上お姉さまのケイトが何をしようと、レオン殿下にはきっとご褒美でしかないだろう。
不敬罪には問われないってわかってるんだし、二人には思う存分好きなだけ『先輩メイドと新人君』プレイを楽しんでもらおうではないか!
「レオン殿下のお好きなようになさってください! 私も、屋敷で準備しておきますね!」
「ああ、嬉しいよ、エリザベス……! じゃあ、またあとで連絡するね!」
レオン殿下は感極まったように言い、手を振り笑顔で去って行った。
そして、残された私に向かって、ギルバート殿下が走り寄って来た。
「い、今のは一体……? エリザベス嬢、君は、レオン殿下とはどういう関係なんだ」
「え? 関係って、ええと、友人……でしょうか」
そう、レオン殿下は、ハイジ様の友達は自分にとっても友達だと言っていた。
だから、ただの後輩というよりは友人と言っても差し支えない関係だと思う。
「友人にしては、その……ええと、近しい関係のように見えたのだが……」
(だよね。そう見えちゃうよね)
さっきの私達のやり取りを見れば、そんな誤解をされても仕方が無いのかもしれない。
「ギル、止めないか。いや、ギルバート殿下、そんなことを淑女に直接聞くなんて無作法ですよ」
横からカイルが話を遮って来た。
「エリザベス様はこんなにお美しいんですよ。男なら誰だって放って置かないでしょう。この国の王太子殿下だって男だ。惹かれるのは当然のこと。そして……何があろうとエリザベス様の魅力が損なわれることは無い」
ちょっと待て一体何を言い出すのだとカイルの顔を睨みつける。
するとカイルは、さも心得ておりますと言った表情で頷くではないか。
何その顔、止めて欲しいんだけど!
「そうだな、誰と一線を越えようと、エリザベス嬢の魅力が損なわれることは無い」
ギルバート殿下もカイルの言葉に乗っかってきて、何やら怪しいことを言いだした。
「一線なんて越えてませんから!」
思わず焦って大声で叫んでしまった。
でも、ここは絶対に、はっきりと否定しておかないと!!
「ならば、私にもまだ、機会があるということですね?」
一体何のチャンスがあるというのか。
思わず、首を傾げると、カイルが悲しそうな表情で追い打ちをかけてきた。
「それとも、やはり、もう、手遅れなのでしょうか?」
「え? いえ、そんな」
「ああ、そうですか! 良かった、嬉しいです。私のような者にもまだ機会があるのですね」
(おいおいおいおい。何この展開! 機会って一体何のこと?)
「だ、だったら私も、私にもチャンスをくれ!」
嬉しそうなカイルの笑顔を見ながら、ギルバート殿下が慌てて叫んだ。
(だから何のチャンスだってば!)
何が何だかわからないけど、ここは一つはっきりと断らなければ!
そう決意して、口を開きかけた瞬間――
頭に、ウォルター様のあの言葉が浮かんだ。
『どうか、アルドラの者が好意を示して来た時には、それが誰であっても、はっきりとした返事をしないで欲しい』
(ううっ! そうだった! はっきり断っちゃダメなんだった…………!)
仕方が無いので、目を伏せ、頬に手を添えつつ、困ったように首を傾げる。
はっきりと言葉に出してはいないが、これで『お断りです』ということがやんわりと伝わってくれればいいのだが。
なのに。
「良かった! 否定されなくて!」
「え? あ? ああ、これは良かった……のか? そうなのか?」
何故かカイルが嬉しそうにしたため、ギルバート殿下までもがつられて安心したような表情になる。
否定しない=肯定した、ではないのだが。
「「ありがとうございます!!」」
カイルとギルバート殿下の声が綺麗にハモった。
(いやいやいや、そんなお礼を言われても困るだけなんだけど、どうしようどうしたらいい!? リチャード助けて……って、リチャード!?)
私の横で、さっきまで埴輪のようだったリチャードは。
地獄の底から這い上がってきましたが、何か? と言った感じの魔王のような表情になっていた。
「お嬢様…………貴女という人は……」
そして。
正門前の広場にリチャードの怒りに満ちた声が響き渡ったのだった。




