189 懐かしい母校を訪れたOBの話 中編
今日は昼頃にもう1話投稿する予定です。
「お嬢様っ……!!」
悲鳴を聞くや否や、メイド姿の男子生徒が物凄い速さで階段を駆け上がって行く。
それを見た先輩が、すぐさま指示を出してきた。
「俺は外を見て来る! お前は彼の跡を追ってくれ!」
「了解!」
俺はすぐに男子生徒の後を追った。
いやしかし、なんて速さだ!
必死に階段を駆け上がったが、男子生徒の後ろ姿はもう完全に見えなくなっていた。
俺がようやく三階に着いた時、廊下の一番奥の部屋の鍵をもどかしそうに開け、勢いよく部屋に飛び込む男子生徒の姿が見えた。
どうやらあの部屋に女子生徒がいるらしい。
男子生徒にかなり遅れをとったが、ようやく目的の部屋に辿り着く。
中に入ると、メイド姿の男子生徒が、女子生徒にしがみつかれているのが目に入った。
余程怖い思いをしたに違いない。
男子生徒の背中に回された手が、服をギュッと掴んでいた。
「おい! 大丈夫か!?」
「は、はい。私は大丈夫です」
「それは良かった。悲鳴が聞こえてきたので何事かと思いましたよ」
「あ、それはですね……」
男子生徒に向かって声をかけたつもりだった。
たが、応じたのは、意外にも女子生徒の方だった。
男子生徒の身体に隠れてしまっていて、彼女の顔はよく見えない。
なので、どんな様子か心配だったのだが、こうしてしっかりと受け答えできているのなら大丈夫だろう。
そう思いながら話を聞き始め、驚いた。
なんと、木に登って部屋の中を覗き見ていた怪しい男が、彼女と目が合った途端に驚いて木から落ちたと言うではないか!
慌てて窓に走り寄り、勢いよく開けて下を見下ろすと、木の下に倒れている男と、傍らで男の様子を窺っている先輩の姿が目に飛び込んで来た。
急いで部屋を飛び出し、先程上がって来た階段を再び駆け下りる。
最悪の事態を想像しつつ倒れている男の元へと走り寄ると、しゃがみ込んで男の様子を見ていた先輩が、こちらを見上げながら言った。
「死んではいない。気を失っているだけのようだ。……どうやらこの木から落ちたらしい」
「そのようですね。さっき、三階まで行って部屋にいた女子生徒から話を聞いたんですが、怪しい男が木に登って窓の外から覗き見ていたと言っていました。男は彼女と目が合い、驚いて木から落ちたようです」
「三階相当の高さから落ちたって事か……! 随分と強運の持ち主だな」
先輩と二人、思わず三階の一番奥の部屋を見上げる。
確かに、あの高さから落ちたにも関わらず無事だというのは奇跡に等しい。
しばらくすると、近くにいた守衛や同僚が数名、騒ぎを聞きつけてやってきた。
その後で、倒れている男の仲間らしき者達も少し遅れてやってきた。
整った顔立ちの若い男二人と、彼らを守る様に立つ数名の男達。
彼らは一体、何者なんだろうと思っていたら、後から来た同僚から『あれはアルドラ王国の双子の王子と護衛だ』と耳打ちされた。
『アルドラ王国』という言葉に、思わず身体が強張る。
何しろ、隣国ロルバーンの公女がアルドラ王国の神託の乙女であるとされ、拉致を恐れて我が国に留学してきたという特殊な事情があるのだ。
最近では、ロルバーンの公女だけでなく、我がフォートラン王国のとある伯爵家の令嬢も、神託の乙女の条件に当てはまるということがわかった。
そのせいで、学院の警護はより一層厳しくすることになったと聞いている。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ!」
男の仲間の一人がそう声を掛ける。
すると男は、いきなりがばりと起き上がり、真っ青な顔でガタガタと震え出した。
「キャ、キャスタが居たんだ!」
「え?」
「口の周りを血で真っ赤に染めたキャスタが、生肉らしきものを貪り食っていた!」
両手で自分を抱きしめるようにしながら、酷く怯えた声で男は言った。
「俺に気付いて、ハサミを持って襲い掛かって来たんだ……!! ああああ! 助けてくれ、お願いだ!!」
「お、おい! 落ち着け!」
男は仲間に縋りつき、うわ言のように「キャスタが来る!」「助けてくれ!」と繰り返した。
たとえそれが男の見た幻の話であったとしても。
生肉を喰らうキャスタや、ハサミを持って襲い掛かってくるキャスタというのは、あまりにも悍ましい。
話を聞いていた周りの人間も、だんだんと顔色が悪くなってきた。
その後、男の身柄はアルドラの王子達が引き取ることとなった。
見た目には怪我が無くても、頭を強く打った可能性もあるということで、できるだけ早く医者に診せたいと押し切られてしまったのだ。
とは言え、男が学院内で不審な行動をとっていたのは間違いない。
果たして、このまま事情を聞くことも無く、行かせてしまっても良いのだろうか。
すると、目が合った先輩がニヤッと笑い、意味ありげに横を見た。
その視線の先で、今日一緒に学院に手伝いに来ていた同僚二人が、静かに跡を付けていくのが見えた。
とりあえず監視は続けるらしい。
その後。
俺は事態がなんとか収拾したことを伝えるために、急いで三階の部屋に戻った。
その時、俺は初めて女子生徒の顔を正面からはっきりと見た。
――驚いた。
驚いて息が止まるかと思った。
何故なら、彼女はあまりにも美しかったのだ。
衛兵になってからというもの、王宮を訪れる数多くの貴族達を見てきた。
貴族というのは、総じて容姿の整った者が多い。
中には、思わず目を見張るほど美しい者もいた。
だが、目の前のこの少女の美しさは別格だった。
豪華なドレスに身を包み、化粧を施しているわけではない。
半袖のブラウスと膝上の裾の広がったズボンという、体育の授業を受ける時のような簡素な装いにもかかわらず、彼女は輝くばかりに美しかった。
艶やかな銀の髪に、透き通るような白い肌。
サファイアのように濃い青の瞳が、真っ直ぐに俺を見ている。
俺はもう、彼女から目が離せなくなってしまった。
すると。
「我々は特に問題ありません。それより、木の下に落ちた男はどうなりましたか?」
メイド姿の男子生徒が、俺の視線を遮るように彼女の前に立った。
その様子を見てわかった。
おそらく、彼は彼女のことが好きなのだろう。
こちらを警戒するように見てくるその必死な様子が、なんとも微笑ましかった。
その時、ふと思い出した。
昔、とは言え、たかが数年前のことだが。
サラが隣のクラスの男子生徒と仲良さそうに話しているのを見て、思わず割って入っていったことがあった。
するとその男子生徒はクスリと笑いながら言ったのだ。
『そんな顔をしなくても、僕は彼女のことを取ったりしないから安心して』と。
もしかしたら、あの時の彼も、今の俺と同じような気持ちだったのかもしれない。
警戒する男子生徒を宥める様に、彼の顔だけを見ながら話を続ける。
「気を失っていただけで、特に大きな怪我は無いようなのですが、どうにも様子がおかしくて……」
「様子がおかしい?」
「ええ。目を覚ましてからずっと、訳の分からないことを口走っているんですよ」
「訳の分からないこと? 一体、何を?」
「それがその……」
俺は言葉に詰まってしまった。
ここは、正直に言っていいものか。
なにせ、キャスタの話なのだ。令嬢には刺激が強すぎるだろう。
困って彼女に目をやると、大丈夫だから話してくれと言わんばかりに大きく頷いている。
仕方が無い。
俺は彼女をできるだけ怖がらせないように、さらっと事実だけを伝えることにした。
全てを聞き終えた彼女は、唇をきゅっと引き結び、大きく首を左右に振った。
まるで、そんなの嘘だと言うように。
無理もない。なんといってもキャスタの話なのだ。
恐ろしすぎて、繊細な令嬢には到底受け入れられないのだろう。
やはり話すべきではなかったのかもしれない。
「申し訳ありません、キャ、いえ恐ろしい話を聞かせてしまって。令嬢には刺激が強過ぎましたね」
うっかりキャスタという言葉を出しそうになり、慌てて止めた。
これ以上彼女を怖がらせるわけにはいかない。
そんな俺の言葉に、彼女は健気にも微笑みながらこう言った。
「いえ、私は大丈夫ですのでお気になさらず。あの……その人が死ななくて本当に良かったです……」
怪しい男に部屋の中を覗かれたのだ。さぞかし恐ろしかっただろう。
今だって、キャスタの話を聞かされて、とても怯えていたと言うのに。
こんな時に他人を気遣えるなんて。
彼女は姿だけでなく、心までもが美しい人間なのだろう。




