四十.号砲、高らかに響く
窓の外を流れる景色を眺めながら、蒼は静かにバスに揺られていた。ホテル前で皆と再会を誓い合ったのはほんの少し前なのに、かなり時間が経った気がする。
もうすぐ午前七時半。駅伝のスタートは八時五分だが、四区の襷リレーは十時ごろだろう。
いつもに輪をかけて静かな蒼に、付き添いの峰雄が声をかけた。
「緊張しているか? 如月」
「うん、流石にね」
蒼は苦笑した。いままではガチガチに固まった翔太を励ます側だったのに、自分らしからぬ緊張ぶりだ。
「……そうか。悪いな、俺では気の利いたことも言えん」
「いや、大丈夫。たしかに緊張してるけど、なにより楽しみだから」
モチベーションは十分。緊張と胸の高鳴りが共鳴して心が踊る。
「ははは、お前は本当に凄い奴だな」
「なにそれ」
峰雄がからからと笑うので、蒼は気恥ずかしくなって照れ笑いを返した。
「ああ、そうだ如月。そろそろ中継が始まるだろう」
ふと、峰雄が携帯を取り出した。少しして画面に流れ出したのは、スタート地点である熱田神宮の映像だ。
イヤホンの片耳を受け取って、蒼は中継へと飛び込んだ。
『皆さま、おはようございます。ついにこの日がやってまいりました。第※※回 秩父宮賜杯 全日本大学駅伝対校選手権大会 です! 放送席、実況は私、帝都放送の邨山 千尋がお送りいたします。今回解説には、アディオンの朝比奈 舞依選手にお越しいただいております。朝比奈選手、よろしくお願いします』
『はーい! 皆さん、よろしくお願いしまーす!』
聞き覚えがある声の実況は、出雲駅伝のときと同じく久蓮ファンのあの人だ。一方、解説は暮井ではないらしい。『アディオン』という実業団チームも、ムーンベルクに負けず劣らず力のあるチームだ。
『時刻は現在七時三十分過ぎとなっております。レース開始まであと三十分少々。現在のスタート地点 熱田神宮の様子をお届けいたします』
アナウンサーの声を最後に、画面は会場の様子をぐるりと映し出す。スタートライン、その周辺、選手たちの待機所、アップする選手たち、報道陣──。
「あ、昴さん、雪沢先輩」
ちらりと映った紺銀のジャージが見えて、蒼はすかさず反応した。画面から見て取れた二人の様子は、いつもと全く変わらず泰然として穏やかだった。見る者の期待を膨らませる、堂々の風格だ。
『さて、それでは今回の優勝候補 王者青谷学院大学の、保科圭輔監督にお話を伺いたいと思います。──保科監督』
『はい』
『先日行われた出雲駅伝では、大接戦のすえ、駒河大学に一歩及ばず準優勝という結果でした。今大会の意気込みを教えていただけますか?』
『もちろん、優勝しか狙っていませんよ。今シーズン最高の布陣ですから』
画面の中に、合宿でお世話になった保科がアップで映し出されていた。堂々の優勝候補として、いの一番にインタビューを受け、「優勝を狙う」と躊躇もなく宣言する姿は、さすが『王者』だ。
「いやいや。負けませんよ、僕たちは」
聞こえないと知りながらも、蒼は呟いた。極北大に伝統の重みなんてないけれど、懸ける想いは絶対に負けない。
『今回の駅伝、鍵となってくるチームはどこだとお考えですか?』
『そうですね……各校いい選手を揃えてきていますが、──やはり最大のライバルは駒河大学ですね。個人的には北海道の二校にも注目していますよ』
『出雲の借りを返す、といったところでしょうか。今大会、北海道からは二大学が出場していますね。出雲では北海道学連選抜チームとして、大接戦を繰り広げた残りの一チームです』
『ええ。今回は分散してはいるものの、両チーム実力者揃いですから』
『その北海道チーム、極北大には、去年まで青谷学院で活躍していた六連昴選手が一区として登録されていますね。一部では「裏切りだ」などという声も聞こえてくるようですが──』
『え? いやいや、裏切られただなんて微塵も思っていませんよ。あいつには散々部の為に身を削ってもらったのでね、最後くらい自分の思うままに走って欲しい』
かなり不躾な質問をぶつけてきたインタビュアーに、保科はあっさりと否定を返している。
「なかなかに酷いことを訊くのだな」
「裏切り、なんて……」
青谷学院のエースとして活躍した昴が、極北大で走る。自身の行動が世間からどう見られるかを理解していたからこそ、昴は必要以上に遠慮がちだったのかもしれない。
中継はさらに、駒河大学の監督へとマイクを向けていった。
「優勝候補の大学の監督の口から、俺たちの大学の名前が挙がるとは……。なんだか不思議な感覚だ」
「出雲での結果を認めてもらえてる、ってことかな」
「出雲か……中継を見ての応援にあんなにも熱が入ったのは、桃谷たちユース代表の国際試合以来だ」
熱が籠った峰雄の言葉に、蒼は頬を緩めて礼を告げた。
「陸上においても、北海道のレベルが関東と比べて低いのは知っていた。だが出雲のレースを見て、今のお前たちが十分トップレベルに通用するのだと、知った」
視線を泳がせて言葉を探しながら話すのは、峰雄にしては少し珍しい。真摯な言葉を、蒼は静かに聞いていた。
「極北大は、雰囲気も実力も、凄く良いチームだと思う。だから──思いっきり暴れてくれ。俺は、画面から応援している」
「ありがとう。予選や出雲より、凄いレースを見せるから」
『さあ、皆さま! ついにこのときがやってまいりました! 全国各地の精鋭たちが、真の学生日本一に挑むこの伊勢路。出雲駅伝に続く学生三大駅伝の一つであるこの全日本大学駅伝、いよいよ開幕です! 二十七チームが全八区間、百六.八キロメートルを駆け抜けていきます』
いつのまにか、スタート時刻は目前に迫っていた。
アナウンサーの声が鼓膜を揺らして、蒼は画面に視線を落とす。スタートラインに並ぶ、色とりどりのユニフォームに身を包んだ選手たち。藍堂や降矢、そして極北大の紺銀の襷をかけた昴の姿が目に入る。濃いサングラスをかけてなお窺える、漲る闘志が揺らめいた。
『さあ、いよいよ五秒前! 四、三、二、一──』
パン──!
号砲が秋の空に高らかに鳴り響き、選手たちが一斉に駆け出していく。それぞれの想いと覚悟を背負って、大切な襷を仲間に届けるために。




