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夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第四章】届け、この想い
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三十.再会を誓う


 夕食後に宴会場で開催された『レクリエーション』は、大盛況だった。明日も練習があるので当然酒類はナシだったのだが、一同は世の大学生に負けず劣らず騒ぎ倒した。


 そして、宴もたけなわ。青谷主将の藍堂がお開きを告げ、皆はぞろぞろと部屋へと歩き出す。と、蒼の前を歩いていた範昭が、急に立ち止まった。肩越しに向こうを見ると、薄暗がりの廊下の影で鏑木がこちらを見ている。


「……彼奴は元気にやっているようだな」


 視線は、久蓮が監督たちと消えたドアへと注がれている。影を背負ったその表情は暗いが、その言葉には確かな安堵があった。


「当然です、僕たちと一緒にいるんですから! ……、……でも、これじゃ足りないんです」


 傲慢に胸を張った蒼は、ポロリと弱気を零した。


「俺に何か求めているのなら無駄だぞ。俺たちは、……俺は三年間、彼奴に何も出来なかったのだから」

「……そう、でしょうか?」


 鏑木の表情には深い後悔が浮かぶ。けれど、久蓮は深雪の皆(かれら)のことを大切に想っていた。それは無機質な勝利という『結果』だけではない何かを、久蓮が受け取っていた証拠だろう。


「──『あいつらは、オレの自慢だから。オレには勿体ないくらいに』」


 鏑木のはるか向こうを見つめて、範昭が言葉を紡いだ。その瞳は、遠い過去を映している。


「何?」

「昔、俺らが入学したてのころの話だ。あいつがお前らのことをそうやって話したんだよ。それはそれは……羨ましいくらい幸せそうな顔をしてな」


 鏑木は片手で額を押さえ、呻く。歪めた唇からは、半ば慟哭のように言葉が零れ落ちた。


「はは。本当に、いつも……いつもいつも! 肝心なところで彼奴は馬鹿だな。そうまで俺たちを想っていて、逆も(しか)りだとは、何故考えない!」


 たしかに、蒼たちは『低学年会議』以降、あからさまに久蓮との距離を詰めてきたのに、当の久蓮には全く伝わる気配がない。

 三年間かけた彼らにもできなかったのに、蒼たちは、久蓮の『荷物』を分けてもらうことなどできるのだろうか。



 キラキラと眩しい朝日が照らす道を、蒼はゆっくりとジョグしていた。吸い込む空気が微かに冷たく心地よい。合宿最終日、最後の朝練だ。


「よー、青年。その顔、──昨日の走りでなにか掴めたな?」


 軽い調子で声をかけてきた深松の瞳が、好奇心と期待で鋭く光った。蒼ですらなんの確証もないのに、深松は面白そうに笑う。


「そう……なんでしょうか」

「あー、お前は掴んだよ。……ばーか、自信持て。あいつと同じ『景色』を見んだろ?」


 にやりと悪い笑みが久蓮のものと重なって、蒼は大きく頷いた。


──────

【九月三日(金):夏合宿四日目@深山クロスカントリー】

メニュー:エンドレスリレー(一.五キロ×五本)

──────


「は~い、集合! これが合宿最後のメニューだ。オレたちが本気で考えたチームだから、接戦……期待してるよ。──それでは、チーム分けを発表する!」


 緑色に染められた木漏れ日が降り注ぐ中、久蓮の言葉に監督たちが自信のこもった笑みを浮かべた。


──────

【エンドレスリレー チーム分け】

・Aチーム:水城澪→富樫裕也→六連昴

・Bチーム:桃谷翔太→清野範昭→如月蒼

・Cチーム:荒島夏樹→津浦真琴→神代傑

・Dチーム:ルーク・ホワード→暮井珠希→鏑木涼太郎

・Eチーム:岩本真平→御影大介→藍堂英佑

・Fチーム:朝倉雅彦→夜神麻矢→深松誠司

──────


「なんかいつも通りだが。──よろしくな、お前ら」

「勝ちましょう! ノリ先輩、あお!」


 何の偶然か、蒼のチームは、翔太、範昭と全員が極北大メンバーだった。一筋縄ではいかないであろう他のチームの割り振りを見て、蒼の身体がそわりと疼く。監督たちの笑みが、『競え』と告げていた。


 久蓮の掛け声で、一区の選手たちが駆け出していく。蒼は、翔太の背中を見送って目を見開いた。蒼の視界には、闘志と自信に満ちた長距離ランナーが映っている。


「頼もしくなったよな、あいつ。お前らの姿をずっと間近で見てきたからな。……さ、一.五キロだ。すぐに戻ってくるだろ」


 範昭は、ひらひらと手を振ってスタートラインへと歩いていった。


 ざわりと空気が揺れ、水城と翔太が(もつ)れるように姿を見せる。次の瞬間、残りの四人も姿を見せた。


「翔太!」

「ノリ先輩!」


 渡った襷を見送って、蒼は翔太に駆け寄った。なんと翔太は、集団から一人抜け出してトップで襷をつないだ。


「お疲れ、ナイスラン! すぐにまた出番だから、少し流して休んでな」

「う、うん。あお、がんばれ!」

「おう!」


 翔太を追い出して、蒼もスタートラインで待つことにした。

 この起伏に富んだコースで一.五キロを本気で競り合う。一チーム三人で回して五本、休憩は八分程度と短いのだ。キツくないはずがない。


「ノリ先輩!」


 範昭と暮井が、横一直線に並んで視界に飛び込んできた。競り合う二人は一歩も譲らず、激しい火花を散らしている。続いて他の選手たちも姿を現した。実力ではもっと開きがあるだろうに、驚くほどの接戦だ。


 蒼はちらりと久蓮を見遣る。その視線に気づいた久蓮は口端を吊り上げて、三日月の形に目を細めた。


「まだまだ。面白いのはこれから──でしょ?」


 軽やかに踊る久蓮の声が、蒼を興奮の最中(さなか)に引き摺り込んだ。どくどくと熱い血液が全身に送り出されては、指先で弾ける。横並びに襷を待つライバルたちと視線を交わすと、蒼は口角を上げ、襷を受け取った。


 少し走るとすぐに、その気配は背後に現れた。振り返るまでもない、圧倒的な存在感だ。


「よー、青年」

「深松さん!」


 深松の口許が、楽しげに弧を描いた。


「俺はさ、青年。昨日の二十キロ、最後まで走らせてもらえなかったのを、心底恨んだぜ。──どうしてだか解るか?」

「え……?」

「お前だよ。あのラスト、お前があんな走りをすっからだ。久々に自分を試したくなっちまった」


 元々休養も兼ねてここにいる深松は、昨日、十キロ地点で離脱を厳命されていたのだ。深松の心を揺らす走りができていた自信はなく、目を細めた蒼に、深松はからりと笑った。


「ばーか、言ったろ? 自信持て、──来いよ!」


 深松の情熱に引き摺られて、蒼はペースを上げた。重なる呼吸と足音を意識した瞬間、蒼はただ前を目指して仄かに輝く路を駆けていた。


 蒼がギアを上げたそのとき、深松がにやりと笑う。


「よお、昴! 随分遅かったじゃねーか」

「それは、すみません……!」


 昴が応えた。鏑木、藍堂、神代も追いついて、皆で一直線に駆ける。


 あっという間の一.五キロだ。坂を登り切った蒼の視界には、ゴールラインと、そこで待つ皆の姿が映った。滑らかに脚を前へ前へと進め、柔らかな大地を跳ねるように駆ける。


 深松からわずかに遅れ、蒼は二着でゴールした。皆で弾む呼吸を整えていると、久蓮がそれはそれはキレイな笑顔を浮かべて、言い放った。


「お疲れ様です。流石エース級。──あと四本ファイト」



 メニューも残すところラスト一本だ。本数を(あとさき)考えずに競り合って、体力はもう底をついている。

 ひりつく喉、荒い呼吸に、乳酸の蓄積で重い体。蒼は跳ねる呼吸を押さえつけながら、ぐっと顔を上げた。久蓮が、そんな蒼を見て鋭く笑む。


「勝てよ、蒼。勝って、魅せてやれ」

「任せてください」


 昨日の『あの』感覚は、もはやおぼろげなものではなくなった。今はただ、はっきりとあの景色が浮かぶ。

 翔太から範昭へ。渡った襷は、蒼のところへと再び戻ってきた。


 さあ、ラストだ。


 襷を貰ってすぐ、蒼は不自然に軽い体に苦笑を零した。やはり、八分すこしのレストでは溜まりに溜まった乳酸は抜ききれない。あと少しも走れば、この軽さは圧倒的な『重さ』に変わるだろう。


 ここまで二十一キロメートルも襷を繋いできたというのに、どのチームも欠けることなく、その姿を視認できる距離にいる。こんなデッドヒートを演出する監督たちも凄ければ、実際にその期待に応える選手たちも凄い。


 ラスト四百メートルの上り坂が目の前に現れて、蒼は躊躇なくスピードを上げた。即座に反応するライバルたちを振り切って、ただ前へ──。



 着替えを済ませた皆は、最後の集合に向かっていた。


 名残惜しいという空気が漂う中、蒼はなんとなく同室のメンバーと話をしながら歩いていく。何の縁か、彼らと過ごした四日間を思い起こして、蒼はぼんやり考えた。


「僕は、……幸せ者だ」


 高校時代のように自分しか見ていなかったら、蒼はこんな世界を知ることなく終わっていた。


「次も俺が勝つから!」

「いや、次に勝つのはおれだよ!」


 蒼が感動に浸っていると、翔太と荒島の張り合いが聞こえてきた。振り返ると、きらきら輝く顔が並んでいる。『超スピードタイプ』という同じ強みを持つ二人は、通ずる部分も多いのだろう。

 久蓮は保科、藍堂とともに、ムーンベルクの面々と言葉を交わしていた。


「おい、お前たち」


 鏑木だった。


「久蓮と『共に』走ろうとしてくれているそうだな。……頼むぞ、彼奴のこと」

「もちろんです!」


 威勢のいい肯定を返した部員たちに満足げに頷き、鏑木は目を細めた。ぐるりと皆を見回し、かつての彼の後輩に視線を固定する。


「真平、……リベンジなのだな」

「その通りです。ボクは、今度こそ久蓮さんと『共に』走りたい」


 真平の覚悟に、鏑木が口角を上げた。蒼の目には、どこか自嘲を含んだ笑みに見える。


「お前が一番、本気で追いかけたのだな。彼奴は、一度言い出したことは覆さない。──そう同期(俺たち)は諦めた。彼奴が消えたと洸と湊(一つ下)は気力を失い、それを諌める意味も込めて、紫吹は駒河へ進んだ。そうしてお前だけが彼奴に追い縋った」


 遠い目をしてしみじみと言葉を紡ぐ鏑木は、ただ久蓮を案じる色だけを浮かべている。


「お前たち、今のままではまだ足りんぞ。もう気付いているだろう。彼奴はふざけているのかと思う程に鈍感だ。押して押してもまだ足りん。『お前の傍には俺たちがいる』と、何度でも何度でも、……彼奴が思い知るまで伝えろ。遠慮なぞしていたら、必ず後で悔いる羽目になるぞ」


 自分の手で為せなくとも、今度こそは久蓮が心往くまで走ることが出来るように。真摯な瞳が伝える想いは、蒼たちのそれと何ら変わりない。

 蒼は『押せ』という言葉に強く頷いて、拳を握り締めた。


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