三十一.大輪のごとく煌めく
時刻は十七時過ぎ。いまだ明るい夏の夕暮れの中、極大陸上部員はシノロ川公園に集まっていた。九月四日、土曜日、シノロ川芸術花火大会が行われる。
一足先に会場に着いていた久蓮が、皆を出迎えた。
会場には屋台が立ち並び、香ばしい匂いが立ち込めていた。打ち上げに先立って始まったラジオが会場を沸かせる。人々賑わうここはまさに、練習ばかりの毎日から切り取られた非日常だった。
屋台で思い思いの品を買い込んだ蒼たちは、人混みから少し離れた芝生の広場に陣取った。
「すげぇ静かだぜ。よくこんなとこ見つけたな、久蓮」
「だいぶ外れてるからね~。その分、屋台とか遠いんだ」
「十分です! こーんなに、買っちゃったし」
買ってきた食べ物たちを広げた真平は、ハッとして久蓮に鋭い視線を向けた。
「久蓮さん、お昼ちゃんと食べました?」
「食べたよ、食べました!」
「ちょっと、篠崎くん。まさか、あの食パン一枚を昼ごはんっていうつもり?」
「や、えーっと……」
胸を張って答えた久蓮だったが、即座に唯に突っ込みを受けてたじたじだ。隙だらけの手に、皆で寄ってたかって食べ物を乗せた皿を押しつける。
「や、……流石にね、走ってないしさ。オレこんなに食べられないって……」
「頑張ってください!」
「ん、頑張る……。なんか皆、最近ぐいぐいくるね? どしたの」
困惑したように眉を下げ、久蓮は首をかしげた。やはり、てんで解っていない。
「それは、皆あなたが好きで大切だからですよ。久蓮さん」
「え……」
「バカ、もう諦めろ。お前は駅伝で勝ちたいんだろ? お前がどんなに速くても、独りで勝てる訳ねぇだろうが」
範昭の視線に射抜かれて、久蓮は視線をさまよわせている。
「そんなこと……」
「あるだろ。……お前は六年半懸けた夢を諦められるのか? 一緒に見るんだろ? お前の、──俺たちの夢を」
往生際が悪い久蓮を、範昭は逃がさない。鋭い瞳に射抜かれて、久蓮が震える声を零した。
「どうして──」
「『理由が必要か?』」
範昭がにやりと笑った瞬間、目を見開いた久蓮が固まる。
「ま、俺は意地の悪いてめぇと違って、理由も言えるぜ? 『全て覚えている』お前のことだ、忘れたとは言わせねぇよ。『お前だから共に走りたい』と思う奴が、ここにはこんなに居んだよ」
「オレは、何もしてない……。全部、オレのためだ。オレ自身のために──」
「違ぇ。お前は、俺らが心の奥底に眠らせて見ないフリをしてきた夢を、掬い上げて形にしたんだ。お前が俺らに路を示したんだよ。だから、お前の夢はもうとっくに──『俺らの夢』だ」
いつになく饒舌な範昭が、久蓮の瞳を貫いて言い切った。
「……。オレは……オレは、さ。ずっとずっと、初めから、ただ走りたいだけだよ」
「ああ」
「でも、ずっと、それすら出来なかった。オレの手足には、まだ重い枷が付いたまま。それでも……頼って、いいの?」
「当然です! 頼ってくださいよ、僕たちはあなたに頼られたい。もうずっと、皆それを待っているんですから!」
蒼は真っ向から肯定した。届け、この想い。今度こそ皆で久蓮の枷を引き千切る。
暫しの沈黙、そして──。
「……は、ははっ」
久蓮は片手で顔を覆って、自嘲の笑みを零した。
「オレは、バカだ」
「知ってる」
「……ははっ」
即座に切って捨てた範昭の言葉に苦笑した久蓮は、吹っ切れたように清々しい表情で口を開いた。
「皆、さんきゅ。大好き」
ちょうどそのとき。パッと明るく夜空に花が咲いた。きらきらと儚い大輪の花が姿を消し、遅れて闇夜を切り裂く轟音が鼓膜を揺らす。
いつのまにか空は暗くなっており、深藍の夜空に美しい光の粒が弾けている。色とりどりの光で鮮やかな大輪が、咲いては消える。儚くも力強い──確かな光だ。
「オレは、さ。いまも怪我をしてる」
花火の輝きと轟音の間を縫って零れた久蓮の言葉に、皆が息をのむ。
「痛くて痛くてたまらない。止まればいいって思うだろ? ──無理だ、止まれない。走りやめたら『オレ』は死ぬ。オレにとって『走る』ってのは、そんな存在だ」
「どうして、そこまで……」
困惑した麻矢に、久蓮は眉を下げた。
「『走る』ことだけが、オレに色彩を見せてくれた。だからオレは、オレの心が求めるままに走りたいんだ。そのためにオレは帝北大を、──父さんを越えなきゃならない。……もう、うんざりなんだ。ただ勝つだけの走りなんて、もう……」
「なんで……」
先ほどからずっと俯いていた裕也が、ぽつりと零した。
「なんでそんな大事なこと、今まで黙ってたんです!」
「だって、これはオレの事情だよ。こんなこと気にしないで、皆には走りを楽しんで欲しかった。皆それぞれがいろんな苦労をして、ようやく掴んだ今なんだから!」
「俺たちが今を掴めたとしたら、それはあなたのおかげなのに! そのあなたは、今もずっと独りで苦しんで? それで俺たちが喜べると、思ってるんですか⁉」
久蓮の胸倉を掴む勢いで紡ぐ裕也の言葉は、もはや叫びだ。
「……そう思ってるのなら、なにも解ってない。俺たちは皆、あなたと共に楽しみたいんだ!」
「……」
「ねぇ、久蓮さん。もう諦めてくださいよ、これが僕たちの想いです。言ったでしょう、あなたが僕らに焔を灯したんです。だから、その責任──最後まで取ってもらいますよ!」
久蓮は、視線を泳がせ両手を挙げた。
「……。……は、ははっ。降参。……オレさ、全日までは何がなんでも止まれない。だから皆、秋までもう少しだけオレに付き合って。──オレと一緒に、夢を見て」
その姿を明るく照らし出すように、スターマインの花束が夜空に咲き乱れた。




