出会いは膝枕から始まる・後半
暗黒騎士?勇者?まあ、そういう年頃なのだろう。言われてみれば剣のような物を携えている。
遊びの一種だろうと納得する。だがそれにしても、この少女セシリアにはそういう物々しいのはまったくイメージに合わない。どちらかというと、僧侶とか賢者みたいな魔法職だろうか。
「あ」
セシリアはうっかりといった様子で呟いた。
「薬草取らなきゃだった」
薬草採取の依頼で森まで来ていたのだそうだ。
このご時世において、なんとも贅沢な遊びだと思う。
自然の中で泥に塗れるというのは、大昔では普通に行われていたらしいが。
「モンスターに気をつけないとな」
思わず軽口が漏れる。敬語を忘れたが、少女は特に気にせず当たり前のように「そだね」と肯定した。
「でも大丈夫。わたし強いので」
得意げにセシリアは言った。
微笑ましいものだ。自分のこれからについてはひとまず忘れることにした。
なるようになるさ、とは同僚の口癖だが、今だけは肯定し、自分も口ずさもう。
「まあ、なるようになるさ」
「お気楽だあ」
少女はけたけたと笑った。俺も同じように笑い――
「うへえ!」
――根っこに躓いて転んだ。
「大丈夫?」
「……はい」
少女が手を伸ばす。多分俺の顔は真っ赤だろう。
「ああ、ありがとーー!」
セシリアにより、凄まじい力で引き上げられた。勢いのままに少女に抱きつく形になる。
「あれ、ほんとに大丈夫?」
少女は動揺のない、変わらぬ調子で問いかけた。
「あ、ああ、ごめん」
謝罪と自分で立ち上がるのはほぼ同時。でも事故で悪意もないとはいえ抱きついたのは事実で、ていうか力強!こういうのは相手が子供でもセクハラなので更に罪は加算されたけど、というか事故だしもはやこれまでかーー!
「ん、あれ。森から出ちゃった」
悶々と思考をあっちこっちに飛ばしていたら、周囲に変化があったらしい。
「でもジュンにとってはこっちのが良いかな?転ばないもんね」
高く、密集していた木々が消える。
足元は複雑に絡まった根から、
ああ、これは夢なのだろうか。
「おーい、どうしたー」
見渡す限り、地平線の向こうまで、一面の草原が広がっていた。
――ああ、ここは何処かの自然公園ではなかったのだ。
高層ビルのない景色なんて、もはや地球上に存在しない。
なら、一体全体、俺が立つこの場所は、いかなる地か。
「立体映像だ」
「りった、……何?」
「こんな光景はありえない。なあ、ここはどこなんだ?」
「大丈夫?」
一体どこにしまい込んでいたのだろう。切なさが、喉の奥から溢れ出す。
「俺は、どこに居るんだ……?」
「ジュン?」
「なんでだよ。俺が何をしたんだ」
「ちょっと」
「帰りたい」
想いが漏れる。
それの名前は、『望郷』と呼ばれるものか。
特に思い入れのある場所ではなかった筈なのに、こんなにも大事なものなんて。
『失って始めてそのものの価値に気がつくものだ』
冷静な自分が、俺を見下すように言った。
「ジュン!」
肩が叩かれる。外れるかと思う程の刺激は効果覿面だ。接続を拒否されていた視界は再度脳に繋がり、目の前の少女を映す。
「大丈夫、わたしが絶対、ジュンを家に帰してあげるから」
少女は俺の背に腕を回し、そのまま抱擁した。先ほどのようなアクシデントではなく、包み込み、安心させる温かさ。
柔らかな香りがする。眠ってしまいそうな心地よさ。
「本当、に?」
「うん。だってわたしは勇者目指してますから。それぐらい簡単よ」
根拠はないし、こんな少女に助けてもらうのは酷くプライドを傷つけられるだろうけど、今は不思議とそんな思いとは無縁だった。
今は、この温もりに甘えたい。
だがそれも長くは続かない。
セシリアは俺を放り投げるように手放した。成すがままにされていた俺は、体勢を整える間もなく尻餅をつく。
何故とは聞かなかった。
ガサ、と草木をかき分ける音に全神経が集中する。
「え」
すがりつくように残っていた、ここが元の世界だという認識が拭い去られる。
俺の世界を崩し、そいつは現れた。
その生物はある意味で既知の存在だっただろう。
馬の体を持ち、首から上を人間の上半身へと置き換えた、異形の存在。
ケンタウロスと呼ばれる、ありえざる神話の怪物が確かに目前に現れた。
サラブレッドよりも遥かに巨大で、分厚い身に、これまたボディビルダーみたいな筋肉の化生がくっ付いていた。その大きさは4mまで届くのではないだろうか。それに剣一本で立ち向かう少女など抵抗できる筈も――
「ば、馬鹿野郎!」
あまりにも無謀だと、認識した途端頭の中が真っ白になった。
白紙から戻ると、まるで入れ替わったかのように俺がミノタウロスの前に居た。
だがセシリアが立っていた時と違うことがある。それは怪物が斧を振り上げていることだ。
全てがスローモーションになる。
走馬灯は走らなかった。だって目の前に馬がいるんだもの。走るまでもないと、俺の駄目な脳みそは勘違いしてしまったらしい。
だから俺が助かった経緯は、走馬灯のごとくスーパースローで余すことなく分からされた。
襟首を掴まれ、強引に後ろに下がる。入れ替わるように、白い髪をたなびかせてセシリアが前に出る。
半馬の怪物が、錆びついた斧を振り下ろした。
6mは離れていたと思う。それなのに、怪物はもう目の前だったのだ。
バシャリと、あっけなく凶器がセシリアに喰いこみ、水風船を割ったように血が噴き出した。
セシリアはもう間に合わないだろうに、健気にもその小さな剣を振り上げる。
次の瞬間後悔が押し寄せるだろう。だが――
だが――
爆音が響き渡った。
洪水のように血があふれ出す。天高く巻き上げられたそれは、雨となって草原を紅く染めた。
少女一人の血ではこうはなるまい。怪物の、巨体だからこそ起きた惨劇だ。
怪物が殺された。上半身は吹き飛び、残った体はミキサーにでも掛けられたのようにズタボロだった。
だがーーああ。
だがしかし、後悔はまだ訪れなかった。この目の前の事実に。少女が放った、ただ一度の斬撃に。
ただただ、驚愕のあまり言葉を失った。
「……」
気が付くと、全身を血で濡らした少女が目の前に居た。
彼女は手を伸ばし、俺の頬に触れた。
少女の顔色は、血で塗りたくっていてなお霊鬼のように青白かった。
突然、倦怠感が訪れる。色々なことがありすぎて、もう意識の限界なのだろう。
まどろむ意識の中、少女セシリアの顔が瞼の裏に張り付く。
どこまでも広がる草原よりも、
おぞましい怪物よりも、
超常の力により起こされた惨劇よりも遥かに、
少女の人形のような顔が、全くもって非現実的だった。




