第2章 奈菜と出会ったコンビニ(その48)
「まあ、どこの親でもそうなのでしょうが、親はいつまで経っても子供は子供だと考えるものです。
私ども夫婦も同様でした。
短大に行きたがった娘を説き伏せ、“女の子はやはり幸せな結婚”が一番だと、学業よりいわゆる“花嫁修業”といわれる茶道や華道に力を入れさせました。
下手に中途半端な学歴があると、却って良縁からは遠ざかる。
そのように考えていたんです。
古い考えだと言われればそれまでですが、当時は、親として当然のことをしていると考えておりました。
商業高校に行かせたのも、将来、相手が例えどのような仕事の男性であろうとも、内助の功と言えば、やはり家計を安心して任せられる女性が好まれる。
そう考えたからなのです。
幾ら男女平等だと言われても、そこはやはり男性中心の社会です。
女性は選ばれてこそ幸せになれると信じていましたし、娘にもそのように教えてきました。
そして、娘も、そうした親の気持を汲んでか、大きく道を外れる事もなく、希望していた銀行に就職したんです。
私ども夫婦も、娘は自慢の子でした。
決して器量がずば抜けて良いとは、贔屓目にも申せません。
ですが、女として、それなりの控えめですが内面的な魅力を備えた娘に育ってくれたと喜んでおりました。
これで、数年、社会というものを肌で感じてさえしてくれれば、20歳を過ぎたら必ず男のほうから結婚を申し込まれる。
そして、誰もが羨むような幸せな結婚が待っていると信じておりました。
その娘が、若さゆえなのかもしれませんが、生まれて初めて大人の恋をした。
大人しくて、控えめな性格だと思っていたのですが、やはり初めての恋に出会ってそれまでの自我を抑えるという機能が少し緩んだのでしょう。
一気に情熱の赴くままに突っ走ってしまった。
その時に、私どもがよ〜く娘を見ていることが出来ていたなら、その変化に気がつけたのだと思います。
でも、最初にも言いましたが、親は、いつまで経っても子供だと思いたいものなのです。
ついこの間までは、セーラー服を着て、少女雑誌に載る男性タレントにほのかな思いを寄せる、どこにでもいるごく普通の女の子だったのですから。
まさか、その僅か数ヶ月後には、自らの意思で子供を身ごもるような事になろうとは、まったく想像だにしておらなかったのです。
そこに、大きな落とし穴がありました。」
マスターは、ようやくそこで、哲司の顔を見る。
(つづく)