-775話 『大魔王 ―幸運、不幸―』
「ぷ、プロトタイプくん! これ、一番綺麗なお花!」
「ありがとう。ふふっ」
学内食堂隣の中庭、カフェテラスにてランチタイム中。
女生徒が差し出した、地球の薔薇に似ている一輪の青い花。
泥人形はゆったりとした動作でそれを受け取り、顔の前に近づけ、芳香を堪能した。
「素敵な香りだね」
と泥人形が呟くと、女生徒達はウットリと溜息をつく。一部の男子生徒も同じくウットリ。
なんともキザな行動だが、これには一応の理由がある。
泥人形は物を食べない。よってランチタイムに友好的な学生達からお呼ばれしても、手持ち無沙汰になってしまうのだ。
そこで一人の女学生が「食べ物の代わりに花の香りを楽しんだらどう?」とロマンチックな提案をし、泥人形は面白がってそれを採用したという訳だ。
「でもよぉ、何も食べないのなら燃料補給はどうやってんだあ? 太陽光とか?」
という、もっともな疑問を口にする男子学生。
泥人形は、
「さあ。太陽では無いって事は確かだね」
と笑顔を作り、曖昧な答えを言った。
そういった具合に、泥人形は学校に馴染んでいた。
人形は男の姿にも女の姿にもなれる。
ただ学内では、『男なのか女なのか、ハッキリと性が分からない姿』でいるのが多かった。
だからという訳でもないだろうが、仲良くしてくれる学生達の男女比も半々。
「でね! 大魔おぅ……准教授が言うにはね、『統括魔力の四元素(地水火風)への同時複合変換、および破裂消滅』に四元素以外のエレメントを更に複合すると面白い事が起きるんだって。例えば電気のエレメントを複合。そうしたら破裂消滅で発生したエネルギーが、雷を増幅してね~……」
「なるほどなるほど、いやでも待てよ? どうして増幅すんだよ? 一緒に破裂しそうだけどな~……」
と、学問の徒らしく議論を始める学生達。
そして、そんな彼らの会話を解析する泥人形。
「プロトタイプくんはどう思う?」
議論していた女学生が、泥人形にも意見を求めて来た。
大魔王准教授が作ったからか、泥人形は魔術学に詳しい。
「そうだね、どちらの言い分も正しいよ。要はタイミングの問題さ……」
と、そこまで言って。
泥人形はふと言葉を中断し、突然空を見上げ、
「…………へえ」
と小さく呟いた。
その行動に、生徒達は「どうしたんだよ?」と尋ねる。
「ふふっ。ずっと考えてた難しい問題について、ふとヒントが見つかってね」
「問題って、大魔王……じゃなくて……准教授のお手伝い関係?」
「うん、そんなトコだね」
その後もしばらく議論や雑談を続け、昼休みが終わる。
学生達の多くは次の講義へと向かった。
講義が無い学生達はその場に残るが、泥人形は准教授の手伝いがあるからと場を辞去する。
泥人形は生徒達と別れた後、校舎の屋根上に瞬間移動した。
作り笑いを止め無表情に戻りながらも、声だけは楽しそうに、空へ向かって語り出す。
「大きな『力』が二つ。一緒に消滅しちゃったね」
泥人形が言っているのは、別の宇宙での出来事についてだ。
先程、生徒達と議論していた時。
今いる宇宙とは違う、別の宇宙が滅んだのである。
泥人形は、それを何となく感知した。
「多分だけど、運を操作する力かな? そしてそれを暴走させるくらい、もっともっと強い力」
幸運の女神イディア・オルト・ハミの神力。
そしてイディアの力を監視するため、とある科学者が別宇宙から飛ばしていた観測用レーダーのエネルギー。
泥人形は、この二つの巨大な力を感じたのである。
「もしかして……強い方のエネルギーは宇宙を越えて、弱い方のエネルギーに干渉したのかな? ねえ、キミは知っているんだろ? 教えて欲しいな、観測者よ」
虚空へと話しかける人形。
だが話しかけられた存在は、返事が出来ない。
「ごめんね、勝手に名前を付けちゃって。でもいつまでも『あれ』と呼ぶのも味気ないしさ」
虚空から覗いている者は「別に構わない」と考えた。
ただその承諾は、泥人形には伝わらないのだが。
そして泥人形は空を見上げたまま、観測者との一方的な会話を続ける。
「でもやっぱりそうか。『生きている者』が『他の宇宙に干渉する』ってのは、可能なんだね」
◇
カーテンを閉め切り、電灯も点けていない暗い部屋。
部屋隅の机に乗っている、卓上スタンドライトの小さな明かりだけが、仄かに輝いている。
「……ふう」
大魔王は机の引き出しから写真を取り出し、溜息をついた。
死んだ妻と娘が、大魔王を挟んで三人で映っている写真。
泥人形が『成長した娘』に見えてしまったあの日から、以前に増して家族を失った苦悩が深くなっている。
泥人形には「もう娘の真似をするな」と命令してある。
「真似している訳じゃないよ。お父さんの認識の問題さ」
と弁解なのかどうかも分からぬ台詞を言っていたが、一応、目の前で女の姿になるのは控えるようになった。
しかし人形が化けようが化けまいが、既にぽっかりと空いてしまった胸の穴が塞がる訳では無い。
大魔王はもう一度溜息を付き、眉間に指を当てた。
「生き返ってくれ……なんて、吾輩にしては非現実な望みを抱いてしまう。命を蘇らせるなど、誰にも出来ぬと言うのに……」
「出来るよ」
背後の暗闇から声を掛けられ、大魔王はビクリと肩を震わせた。
慌てて、机上に置いていた本を持ち上げる。
本の下には、いつの間にか挟んでしまっていた小さな羽虫の死骸があった。
虫の死骸を机の隅に避け、本の下に写真を隠す。
そこまでやって、大きく咳払いをした。
「人形か。何の用だ」
「ごめんね、驚かすつもりは無かったんだけど」
大魔王は振り向き、泥人形を見る。
今はもう、人形が娘に見えたりはしない。
相変わらず妻や娘の面影はある……ような気はするが。
いやそんな事はどうでも良い。
それよりも大魔王は、先程の泥人形の言葉が気になっていた。
「……出来る、とは? 何を出来ると……」
「死んじゃった人を生き返らせる。僕はその方法を知っているのさ」
「…………」
泥人形の言葉を聞き、大魔王は無言で眉をひそめた。
冗談で言っているのだろうか。
そんな事を出来るはずが無い。
この泥人形は自分が作ったのだ。自分が知らない知識を、知っているはずがない。
――いや、だが。それとも。万が一。もしも。
「あの猫くんから教えて貰ったんだよ」
困惑する大魔王の前で、泥人形がそう言った。
その瞬間何故か、大魔王の背筋に冷たいものが走った。
「猫……とは、何であるか」
「お父さんが本の妖精って呼んでた、あの『力』さ」
「……妖精……アレか」
それは遥か昔、別の宇宙にいたフィクスとルミナレスという二匹の猫が作った力。本を深く理解させる、という能力である。
この力を利用し、大魔王は魔術学書を書き上げたのだ。
泥人形はその「魔術学書の編纂作業中」の頃の話であると前置きした上で、説明する。
「猫くんが『今まで宿っていた本』について、色々と教えてくれたんだ。沢山の星の、沢山の本。沢山のお話をさ」
勿論猫くんが喋って教えてくれたのでは無い。
力に残っている記憶が、魔術学書にも流れ込んで来たのである。
「勧善懲悪の童話。冒険活劇。ラブロマンス。エッセイ集。批評集。数学本。化学本。宗教経典。ファッション誌。地図。画集。家電の説明書。料理レシピ。何も無い真っ白な紙を束ねただけの作品も。とにかく色々な本さ。そうやって教えて貰った、ジャンルや著者や書かれた宇宙に何の規則性も無い、ただただ膨大な数の知識を組み合わせていくとね」
泥人形は笑い顔を作り、大魔王へ一歩近づいた。
「世界の真理が少しだけ見えてくる。その真理の中に、命を呼び戻す方法があったのさ」
「真理だと?」
大魔王は椅子を倒し大きな音を出しながら、立ち上がった。
宇宙の真理。
それは彼が小さい頃から、ずっと追い求めていたものだ。
宇宙の真理を解き明かす。即ち、宇宙を征する。
それが彼の望みだった。
「まあ真理については、また今度話すよ。それより本題は、お父さんの家族を生き返らせる方法についてだよね?」
「うぬっ……」
大魔王は唸り声を出しつつ、一旦冷静になろうと努めた。
倒れた椅子を乱暴に持ち上げ、元の位置へドスンと置く。
その上に座り直し、腕を組み、泥人形の顔を見据えた。
「その、命を呼び戻す方法とやらで……吾輩の妻と子が……生き返、る事が……」
言葉が詰まる。
可能ならば、それにすがりたい。
だが学者としての猜疑心は、「そんな都合の良い術があるわけない」と言っている。
そしてほんの少しだけだが、「そう安易に軽々と命を再生して良いものなのだろうか?」と、自然科学を学ぶ内に身に付いた道徳心から来る、抵抗も感じている。
しかしそんな葛藤の心も、容易く打ち砕かれる。
「その虫」
泥人形はそれだけ言って、机上に置かれている羽虫の死骸を指差した。
先程、本の下に潰されていた虫。
その虫が、
「……っ!?」
生き返った。
羽音を立て、元気よく飛び立つ。
ライトスタンドに突撃し、コツコツと音を立てる。
大魔王は目を丸くして羽虫を眺めつづけた。
「ね。本当に生き返ったでしょ?」
泥人形はそう言って微笑む。
大魔王の胸に希望が溢れる。道徳心も瞬時に消えた。
だが……
「でも残念な事があるんだ。お父さんの家族を蘇生するには、もう時間切れなんだよ」
という泥人形の言葉を聞き、大魔王は手足が震える程に落胆した。
「時間切れとは、どういう意味であるか」
「言葉の通りさ。一度抜けた魂が再び元の肉体、もしくは代替の肉体に戻る……それにはタイムリミットがあるんだよ。個人差と環境差で長さは変わるけどね。この宇宙では、死んでから三十日から四十日って所かな」
環境差、という言葉に大魔王は引っかかった。
そしておそらく『環境』に関係しているのであろう、『この宇宙』という言葉。
「色々な宇宙でリミットが違うのさ」
泥人形は大魔王の問いを予想し、先んじて答えを言った。
色々な宇宙。
大魔王は宇宙学専門ではないが、聞いた事はある。
多元宇宙論というヤツだろう。
星が集まり銀河となり、銀河が集まり銀河団となり、更にそれがいくつも集まり、更にまたそれがいくつも集まり、更にまた……そうして、広大な一つの宇宙を創る。
そしてその宇宙が何層にも重なり、いくつも並び、更にその塊がまた重なり、並び……
そうやって、いくもの宇宙、次元、時空が存在する。
という理論。
「……他の宇宙ではタイムリミットが違うと言うのであるか?」
「うん、そうだね。この宇宙では三十日でも、他の宇宙では三時間かもしれない。三日かもしれない。当然ここより長い宇宙もあるだろうね。三百日。三年。三十年。三百。三千。三万。三億。三兆年」
「…………」
それは、つまり。
この宇宙では蘇生が無理でも。
もし、他の宇宙に行けたら……
「そう、その通りだよ。お父さん」
泥人形は大魔王の心を読んだかのように、肯定した。
「多分だけどね。他の宇宙に行けば、お父さんの娘は蘇生出来る」
「そ……」
そんな事、ただの夢物語だ。
別の宇宙に行く方法。
そもそも今いる宇宙でさえも、限られた狭い範囲でしか人類は活動出来ていない。
なのに、別の宇宙だなんて。
可能不可能を考える以前に、そもそも具体的な方法がまるで思いつかない。
「ただそれでも。とても可哀想だけど、娘と違って奥さんの方はもう無理なんだ。生き返らない」
「……何?」
その泥人形の台詞に、大魔王は宇宙間移動について考えるのを中断した。
そう言えば先程も泥人形は「娘は蘇生出来る」としか言っていなかった。
「何故だ、妻は……」
「奥さんの魂はもう無いからさ。無いモノは呼び戻せない」
「…………だが、ならば」
ならば、どうして娘の蘇生は可能なのか。
妻も娘も、死んだのは同時だった。
どうして妻の魂だけが滅びる?
娘の魂は……
「あなたの娘の魂はそこにいる」
泥人形は、机上の本を指差した。
先程大魔王が家族写真を隠すために使った、分厚い本。
猫くんの力を借りて書き上げた、魔術学書。その手書き原本だ。
大魔王は急に寒気を感じ、全身を震わせた。
「この本……」
「魔術学書の原本。その中に閉じ込められているんだ」
「閉じ込められているだと? どうし……」
どうして。
そう聞き返そうとして、大魔王はハッと口を閉じた。
原因を何となく察した。
おそらくは……
「消えてしまう前に父親の周りを彷徨っていた死人の魂。そしてその父親は、持ち前の高い魔力と、家族を亡くした強い後悔の念を込めながら、『宇宙の真理に迫る魔術の書物』を作っていた」
「いや……違う、吾輩は」
「大人である奥さんはともかく、幼く感受性が強い娘の魂は、その書物に惹かれてしまう。父親自身には干渉出来ないけど、父親の分身とも言える本には干渉出来たんだよ」
そして、閉じ込められてしまった。
泥人形が全て言い終わる前に、大魔王はふらりと椅子から立ち上がり、そしてすぐに床へと膝から崩れ落ちた。
「わ、吾輩のせいで娘の魂が、本に……? 馬鹿な、しかし……」
魂が本に閉じ込められている。
これは娘にとって、消滅せずにいられるので幸運なのか。
それとも苦痛に塗れた不幸なのか。
どちらなのか、全く分からない。
「昔のあなたの『望み』。それは宇宙の真理を解き明かすことだった。でも今のあなたの『望み』は変わった。もう一度家族と暮らしたい」
泥人形は、また一歩父親に近づいた。
「母親の方は無理だけど、娘の方なら僕がどうにか叶えてあげられるかもしれないよ。さあ、どうする? お父さん?」
泥人形が再び、『成長した娘の姿』に見える。
大魔王はしばらく呆然とした後、泥人形を睨み付けた。
「……黙れ。吾輩は……!」
その後の言葉は続かなかった。
ただ人形を睨みながら、立ち上がり、逃げるように部屋から出て行った。
そんな創造主の後姿を見ながら泥人形は、
「いけないいけない。また怒らせちゃったかな?」
と微笑んだ後。
笑顔作りを止め、感情の無い人形の表情になった。




