暴露編 16
例の一日から二日経った。国会は未だ紛糾の最中にある。
だが、渦中の一角にあるハズの上川離宮は、比較的平穏だった。午前中に幾人か、出入り業者とメディア関係者の相手をしたものの、それ以外は静かにデータを眺めているだけだ。
外を吹き荒れる木枯らしとは、まさに対照的である。
そんな、いささか退屈な一日が半分を迎えようとしているお昼時に、ふと響士郎が立ち上がる。彼はいつも通りの無表情を崩すことなくイツカの机に近づくと、小さく一礼した。
「殿下」
「何かあった?」
「先程病院から連絡がありまして、本多さんの意識が戻られたそうです」
「ホントかっ?」
思わず立ち上がる。
「お座りください」
「今日は結構ヒマっぽいし、お見舞いに行ってもいいんじゃないかっ?」
「とりあえず落ち着いてください。意識が戻ったと言っても会話が可能なほど安定しているわけではありません。それに、警察の捜査が進むハズですので、面会はそれが落ち着いてからの方がよろしいでしょう」
当初自殺で片付きそうだった本多の一件は、二日前の密会発覚によって完全に覆った。現在本多の病室周りは警察が警護しており、迂闊に手を出せない状況となっている。意識が戻ったことで、捜査に進展が見られるのも時間の問題だろう。
「そっか。まぁ、こんな状況で気を使わせるのもなんだよな」
考え直し、イツカは椅子に座り直す。
「それからもう一つ、今週の支持率が公開されました。82.5パーセント、とうとう80パーセントを越えてきました」
「へぇ」
それが凄い数字であるということを、イツカはよくわかっていない。
「一つ聞いてもよろしいですか?」
「いいけど、何を?」
「殿下は、どうして阿久津議員の動向を探ることに、執心なされたのです?」
「どうしてって、言われても……そうだなぁ、とりあえず許せなかったからかな。本多さんは何も悪くないと思ったし、このままだともっと悪いことに繋がるような気がしたから」
「つまり、本多さんを救いたかったと?」
「そんな大袈裟なものじゃないけど、目の前にせっかく何とかできそうなチャンスが転がっているのに、それを黙って見ているなんてどうにも不安でさ。まぁ結局、不法侵入した割には大したことはできなかったんだけど」
彼の功績はギリギリのところで追いついたことだけだ。それ以外の処置は全て周囲の人間によって行われている。少なくとも彼はそう思っていた。
「そうですか」
少しだけ安堵したように小さく溜め息を吐き、口元に僅かな笑みを浮かべると、響士郎はイツカの目を正面から見据えて口を開く。
「一点だけ、殿下にはご確認いただきたいことがございます」
「えっと、何?」
急に真顔になられて説教でもされると思ったのか、イツカが身構える。
「殿下が犯罪者になることはありません」
「それはどういう意味?」
「極端な話をするなら、殿下が泥棒をしようと人殺しをしようと、神華の警察に捕らえられて神華の司法によって裁かれることはない、ということです」
「それは、国民じゃないから?」
「端的に申し上げれば、そうです。ですがもちろん、犯した罪が許容されるという意味でもありません。その判断は全て、国民に委ねられています」
「そっか。それが支持率ってことか」
「はい、ですから殿下のすべきことは、神華国民のためでなければなりません。国民が守るべき法を遵守することも、当然ながら国民のためと言えるでしょう」
「うん、確かに好き勝手やってる奴を支持してくれなんて、虫のいい話だもんな」
「ですが」
響士郎の表情が少しだけ和らぐ。
「廃ビルとはいえ民間企業の所有する敷地に無断で侵入し、密会を暴くという探偵めいた殿下の行為は、確かに法という基準に照らし合わせれば違法行為ではありましたが、国民の支持が落ちることはありませんでした。むしろ喝采の声が大きかったことをお伝えしておきます」
「そう、なのか」
自分が正しいとおもってしたことを認められるのは嬉しいものだ。それはイツカも変わらない。いやむしろ、自分の能力やスキルに明確な自信のない彼にとっては、人一倍嬉しいものだ。
思わず顔がニヤける。
「もちろん、違法行為を働いていたことに対する指摘はあります。それに対する苦言も届いております。彼らの声も、そして今回の出来事で立場を失いつつある阿久津議員やGSSの方達も、等しく神華の国民であるということは、忘れることのないようお願いいたします」
「そっか。確かに、そうだな」
彼の中に本多を心配する意識はあったが、阿久津に対して思うところは微塵もなかった。
「とはいえ」
そこで一度区切り、一拍置いてから響士郎は続ける。
「結果的には本多さんはもちろん、道を踏み外しかけていた一人の政治家と彼に協力していた国民にとって、正しい選択を提示したと言って良いでしょう。だからこそ、多くの国民が賛同してくれているのです」
「うん」
「殿下は国民のために正しいことをしました。今後も国民のために精励していただくことを、一人の神華国民としてお願いいたします」
深い一礼を、イツカは慌てて止める。
自分にはまだそんな価値がないことを、彼は誰よりも自覚していたからだ。
そしてそんな彼を国民は見ている。
期待を込めて。
「良かったねぇ、上手くいって」
同じ頃、白帆の間でも同じ話題が花を咲かせていた。
「個人的には少し支持が下がっても驚かなかったけどね。国民もまだまだ見た目のドラマに踊らされやすいってことかしら」
「私としては、もっと上がっても良かったと思うけど?」
志麻華の言い分が気に入らないのか、ジャーラが口を尖らせる。
「あのねぇ、八割越えって相当な数字なのよ。生涯で一度も出なかった国皇だって何人もいるんだから」
「でも、実際いいことしたんだから当然じゃない」
「いいことに見えるだけよ。殿下がしたのは民間の所有する敷地に無許可で立ち入って、そこに居るハズのない人間を見つけたってだけ」
「シマちゃんはしない方が良かったって思ってるの?」
「そうは言ってないでしょ!」
「何だ、いつものツンデレか」
「違うっての」
ついムキになって腰を持ち上げる。しかしそんな様子が傍から見て子供っぽいと思ったのか、表情を改めて座り直した。
「私はただ、あんな強引なやり方じゃなくて、もう少し皇室らしいスマートな方法があったんじゃないかって思っただけ。私達の立場は、そんなに軽いものではないでしょう?」
「うーん……あれはあれで殿下っぽいし、見てて楽しかったからアリだと思うけどなぁ。もし同じことをシマちゃんがしたら笑ってると思うけど」
「どうして笑われなきゃいけないのよっ」
「だって、らしくないじゃない」
それはすなわち、スマートな方法とやらは今の殿下らしくないと言っているに等しい。いささか失礼な発言ではあるが、志麻華としても同意できる部分はあった。
彼女とて、今回の支持率に驚きはしたものの、それを良くないことと断ずるつもりはなかった。今回の結果を、ある程度は理解も納得もしているのだ。
「ところで」
このまま発展させると都合が悪くなりそうだと判断して、志麻華は話題を変えることにする。
「お兄さんへの報酬は、こっちで用意しなくてもいいの?」
「はて、お兄さんとは誰のことやら?」
「はいはい、情報屋さんへの報酬はどうなったの?」
「あぁいいのいいの。普段からこっちが貸しを作りまくっているんだし、たまには働いて社会貢献の一つもしないと燃えるゴミの日に出されちゃうから」
「相変わらずね」
「うん、相変わらずシマちゃんのファンだよ」
「キモいからやめて」
「ひどい!」
上川離宮は、今日もやっぱり平和だった。
拾っていない伏線が幾つかは残っていますが、これで本作は完結となります。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。