暴露編 15
待機していた車に乗り込み、一同は廃ビルを後にする。
「ごめん!」
発車するなり、イツカは向かいの席に座る二人、響士郎と志麻華に頭を下げた。
「勝手なことをした挙句、結局のところは何もできなかった。阿久津さんが居たのは見たけど、カメラはなかったし」
「まぁ、もう少し事前に教えてもらいたかったところね」
下げた頭に、志麻華の言葉がチクリと刺さる。
「ですが、我々ですら予期していなかった動きであったからこそ、GSSや阿久津議員に気取られることなく接近できたとも言えます」
「敵を騙すにはまず味方からってこと? 結果論ではあるけど、間違ってはいないわね」
「……あの」
イツカがゆっくりと顔を上げる。
「何でしょう?」
「二人共怒ってない?」
「怒られたいの?」
志麻華がニッコリ微笑むと、イツカはブンブンと首を横に振った。
「そもそも怒る理由がないのですが」
「そ、そうなの?」
身勝手を突き進んだという自覚のあるイツカが、意外そうにそう口にする。それを見た二人は顔を見合わせ、同時に小さな溜め息を吐いた。
「とりあえず殿下、ボードを出していただけますか?」
「あ、うん」
頷いて目の前に右手を持ち上げ、人差し指で空中をトントンと二回叩く。車の中にもカメラと照射装置は標準装備されており、いつもと変わらないタイミングで目の前にウェルカムボードが現れた。
「出ましたか?」
「出たけど、それからどうするの?」
メールやチャットといった通信ツールはもちろん、指向性スピーカーなどの設備が整っていれば動画なども楽しめる万能ツールだが、使える機能が多すぎてボードを開けと言われただけでは何を要求しているのかイツカに判断がつかないのも無理はない。
「……気付きませんか?」
「気付くって、何に?」
キョトンとした顔を返されて、響士郎がやれやれと頭を振る。
「何だよ。わかるように言ってくれよ」
「そろそろ時間だし、直接見てもらった方が早いでしょ」
「そうですね」
志麻華の言葉に頷いて、響士郎は続ける。
「殿下、そのままご自分の公開動画を開いてください」
「え、何で?」
自らの失敗を見て反省しろと言われている気がして、思わず眉根を寄せる。
「いいから」
志麻華にもせっつかれて、仕方なくマーキングしておいたページを開く。ちなみに興味本位で開いてマーキングして以来、開くのは二度目だ。自分の映像など、とても恥ずかしくて見れないというのが、イツカの率直な感想である。
内心気乗りしないながらも、溜め息を吐きながら動画を見る。画面の中の彼は、今まさに屋上への階段を駆け上がっていた。この先に待つ落胆を、彼はもう知っている。
咄嗟に消したくなる欲求を抑え、彼を見守る二人と寄り添うようにして隣に座るたんぽぽの様子をチラ見して窺ってから、画面へと視線を戻す。
それは、たった5分前の出来事だ。
実際の映像が記録され、それがシステムによって審査と修正を受けて公開される。日によって少し差はあるが、そのタイムラグは5分程度だ。つまり5分後には、彼の行動の全ては全国民の知るところとなる。自らの失態が招いたこととはいえ、随分と大胆なことをしていると、彼は改めて思った。
この先に映っているものが輝かしい実績であったなら、こんな情けない気持ちにはならなかったであろうと思わずにはいられない。何もできず、阿久津を逃がしてすごすごと戻ってくる瞬間を見られずに済むことだけが、唯一の救いだろうか。
やがてドアが、屋上へと至るドアが開かれる。
そして二人の一歩が、濡れた屋上へと到達した。
「あれ?」
イツカは思わず首を傾げる。
カメラのない屋上では連続認証から外れ、当然ながら映像は途切れるハズだった。しかしアングルこそ二人の背後から真横へと切り替わったものの、屋上に飛び出した二人と、ホバーのすぐ近くに立ち尽くす阿久津の姿をしっかりと捉えている。
どういうことなのかはわからないが、その光景は確かにイツカの記憶にあるものと同じだ。ただ一つだけ附に落ちなかったのは、それがどう見てもビルの外側から撮影されたものだということだけだ。近くに警備用のホバーでも飛んでいただろうかと思って記憶を探るが、少なくともイツカには覚えがない。
『お前――』
呟き程度でしかなかった声まで拾っている。彼の耳に辛うじて届いた声だ。ビルの外から拾ったにしては、妙に鮮明に聞こえる。
『これはこれは皇太子殿下、こんな所に何用ですかな?』
改めて見ると、阿久津の表情はかなり慌てているように見えた。招かれざる客の突然の訪問に、どう対処すべきか迷っている様子が窺えた。とはいえ、対峙するイツカにも余裕は見られない。それぞれが、自分のすべきことを探すだけで手一杯であったようだ。
だが、今すべきは自分の青さを反省することではない。
「ど、どうして?」
映像には、残っていないハズだった。
「ひょっとして、空撮?」
「いいえ」
響士郎は首を横に振る。
「じゃあ、どうしてだよっ。これ、フェンスも映っているし少し上からのアングルだし、そうとしか見えないんだけど」
「望遠鏡よ、殿下」
ニンマリと笑みを浮かべた志麻華が、まんまと引っ掛けた手品の種明かしでもするような口ぶりで言い放つ。
「望遠鏡?」
「忘れたの? 私の趣味」
「はっ、天体望遠鏡!」
「そういうこと。ウチのビルの屋上にある望遠鏡から例の廃ビルを覗いたの。音声はたんぽぽから送られてきたものをそのままぶち込んでね。咄嗟の判断だったから上手くいくかどうかはわからなかったけど、結果はご覧の通りよ」
連続認証に使用される映像素材は、基本的にネット上に上がってくる全てのカメラが対象となる。常に空を向いている天体望遠鏡が素材として使用されるケースは極めて稀ではあるが、決して例外ではない。そして、連続認証として認識された時点で、イツカの公務は自動的に公開されるのだ。
一定の補正はかけられるものの、そこにも例外はない。
「な、なるほど」
「そもそも、ボードを開いた時に気付いていただきたかったのですが」
連続認証は一度途切れると個人認証を再度通さない限り自動的に戻ることはない。連続認証が途切れていないということは、あの屋上でも持続していたことを意味していた。
「いやだって、そんなの気づかないよ」
彼にとっては、連続認証が途切れることの方が珍しいのだ。
「ともかく」
響士郎は真っ直ぐにイツカを見据え、口を開く。
「これでようやく、安心して本来の公務に戻れますね?」
「え、でも、あの場に阿久津さんがいたことはわかったけど、それ以外は何もハッキリしていないし、結局のところ何も引き出せなかったから……」
「ご心配なく」
自分の至らなさを思い出して俯くイツカに、相棒はいつも通りの穏やかな口調で続ける。
「後のことは『彼ら』にお任せしましょう」
「彼ら?」
「さぁ、上川離宮へ戻りますよ」
「おいこらっ、彼らって誰だよ!」
この一時間後、休憩の終わった国会において、野党『民生党』の国会議員である角田栄一――世間ではガマチンと呼ばれている彼を中心とした議員達によって、昨今話題になっているGSSと阿久津議員の繋がりを中心とした追求が始まることになる。
政治家の敵は、いつの時代も政治家だ。
人間は未だに、地球という惑星に張り付いていた頃と比べて、そう大きく進歩したとは言えないのかもしれない。