暴露編 14
いた。
イツカは阿久津議員と直接の面識はないし、顔写真くらいでしか見たことがなかったので、パッとみただけで判別できるかという不安を抱えていたが、それは杞憂だった。
そこに確かに、国会議員『阿久津宗次』がいた。
「お前――」
ドアの開いた音に思わず振り返った阿久津は、突然現れた二人組の男女にただ驚き、その一人が見覚えのある話題の皇太子であったことに眉根を寄せ、現在の状況を把握してニンマリと嫌らしく微笑んだ。
「これはこれは皇太子殿下、こんな所に何用ですかな?」
政治家としてはまだ若いとはいえ、イツカとは10歳離れた大人の男性だ。この態度が仮に虚勢であったとしても、その張子を易々と打ち破れるほどの器量を、イツカはまだ有していない。
そしてそんなことは、イツカとて百も承知だ。
「阿久津さんこそ、こんなところで誰と会っていたんです?」
咄嗟の小細工など無意味と判断し、イツカは直球で勝負することにする。二人の距離は約20メートルといったところだが、緊張から思わず力がこもってしまい、周囲に響き渡る。ここがビルの屋上でなかったなら、即座に注目を浴びていたところだ。
「誰と申されましても、何のことやら」
やはり、会っていたこと自体を認めるつもりがないらしい。
「本多さんをこれ以上巻き込まないでください」
「失礼ですが、一体何の話をしているのやら。そんなことより、ここは民間企業の所有する物件のハズですが、キチンと許可を取って立ち入っておられるのですか?」
「え?」
そんなハズがないことは誰の目にも明らかだ。
「国民の模範となられるべき皇太子殿下が自ら法を犯すとは、嘆かわしいことです」
「で、でもそれはっ」
「あぁ申し訳ありません。これでも忙しい身でして、人を待たせているのですよ。先程の件も含め、お話はまた後日ということで」
「阿久津さん!」
呼びかけに一度だけ不敵な笑みを返すと、待機していたホバーのタラップに足を掛け、そのまま乗り込んでしまう。
「待って下さい!」
「あぁそうそう」
顔だけを覗かせ、阿久津はその歪んだ口元を開く。
「どうせならエレベーターホールで追いつくべきでしたな。この屋上にはカメラが設置されておりません。僅差ではありましたが、今回は私の勝ちです。次はもう少し気をつけますよ」
不快な哄笑を残し、その姿が消える。
イツカはその影を追うように慌てて駆け出すが、この状況から一刻も早く脱したいと思っている阿久津が待つことは当然なく、垂直に飛び上がったフライトピザの宅配ホバーは見る見るうちに高度を上げて小さくなっていった。
もう、伸ばした手は届かない。
「……殿下」
その落胆した背中に何と声をかけてよいのかわからず、それでも辛うじて呼びかけることができたたんぽぽは、悲しげな表情で隣に寄り添った。
「まだだ」
厳しい表情を振り向かせ、イツカは両手でたんぽぽの肩を力任せに掴む。抵抗する気のない彼女の頭が、激しく前後に揺れた。
「なな、何ですか、殿下?」
「たんぽぽも見たよな、アイツの顔を」
「あ、はい、見ました」
その素直な頷きに、イツカの表情が晴れる。
「なら、それが証拠になる。ノヴァータの記憶なら絶対に間違いなんてないだろ?」
素晴らしいアイデアだと自負したこの発言に、どういうワケかたんぽぽは気まずそうに俯くと、小さな呟きを返す。
「残念ですが殿下、それは多分、無理です」
「え、何で?」
「ノヴァータの記憶は、基本的に証拠としては使用できないことになっているからです。もちろん情報源として使用するには問題ないのですが、私の記憶を決定打にすることは難しいと思います」
ノヴァータは基本的に特定の契約者に使役する存在である。その記憶は人間に比べて正確であり、演算能力も高度だ。しかし同時にそれは、記録を容易く改竄できてしまうという結論をも導くことになる。特別な事情がない限りにおいて、ノヴァータは契約者の意向に沿うために動くものだからだ。言ってしまえば、夫婦のアリバイ証言に近い感覚である。
「そう、なのか」
「はい、ごめんなさい」
謝るたんぽぽの方が傷付いているように見えて、イツカは慌てて笑顔を作ると手を離して肩を叩いた。
「いやいや、別にたんぽぽのせいじゃないから」
「でも……」
「そんなことより、響士郎は何て言ってるんだ?」
この会話も向こうに漏れているハズだ。相棒のフォローを期待してイツカは話を振る。
「えっと、裏口の前に車を回してあるそうなので、急いでお戻りくださいとのことです」
「やれやれ、ガッカリする間もなく仕事に戻れってか。仕方ないな」
軽口を叩きながら、深くて大きな溜め息を一つ吐く。
しかしそれが仕事に対する嫌気でないことは、経験の浅いたんぽぽにもハッキリとわかった。
誰も居ない階段を下り、誰も居ないエレベーターホールを横切り、最上階で止まったままのエレベーターに乗り込むまで、二人は一言も言葉を交わすことはなかった。重い沈黙だけが、二人の間に横たわる。
僅かに一メートル前方を歩いているハズのイツカの背中が、たんぽぽにはとても遠くに感じられた。落胆が視覚情報すら歪ませるのかと、小さな驚きを胸に抱かせる。
「……あの」
エレベーターの扉が閉まり、最も左下に位置している一階のランプを点灯させたたんぽぽは、壁を向いたまま背中を見せているイツカに声をかけた。
「ん、どうかしたか?」
振り返った彼の表情は、奇妙なほど晴れやかだ。そしてそれが、彼女には辛い。いっそ、お前がもう少し役に立っていればと嫌味の一つでも呟かれた方がマシであるように思えた。
「申し訳ありませんでしたっ」
勢い良く、たんぽぽは頭を下げる。
「私がもっとお役に立っていれば、きっともっと早くにあの方を見つけられていたに違いありません。そうなっていれば、殿下にこのような思いをさせることは――」
「顔を上げてよ、たんぽぽ」
優しく遮るイツカの要請に、たんぽぽは応じない。いや、応じられない。
「私はっ」
頭を下げたまま、彼女は続ける。
「本来、殿下の手を引いて前を歩かなければなりません。そのために生まれました。そのために陛下に託されたのです。でも今の私は、殿下の背中を追うばかりで、何もできません」
「違うよ、たんぽぽ。それは違う」
「違いませんっ。事実私は、何のお役にも立てていないのです。殿下にはご迷惑をおかけするばかりで、足を引っ張ってばかり。こんなノヴァータは必要ないってことくらい、私にだってわかります!」
「そういう話じゃない」
「え?」
思わず上げた視線の先にあったのは、優しい笑顔だった。
「僕達はさ、未熟なんだ」
「……はい」
「できなくて当然なんだ。だから頑張るんじゃないか。僕も最初は響士郎みたいにならなくちゃって思ってた。むしろ響士郎こそ皇太子になればいいのにって思ったくらいだよ。だけど、そうじゃない」
イツカは胸を張る。
「僕は皇太子になるべきであって、響士郎になるべきじゃないんだ」
「殿下……」
「たんぽぽだってそうだろ。シオンになる必要はない。むしろたんぽぽだからこそ、あんなに全力で追いかけることができたんじゃないか。もしシオンがパートナーだったら、きっと隣を走ってはくれなかったよ」
するしないという話ではなく、できるできないという話である。
「そもそもさ」
頬をポリポリと掻きながら、イツカは困り顔を作る。
「何もできなかったという意味では、僕だって一緒だよ。僕達はきっと、誰よりも未熟なんだ。だから――」
手を差し出す。
「前を向いて、一緒に歩いていこう」
その手をおずおずと、少しだけ躊躇ってから、たんぽぽは優しく握る。
今ここに、これから成長するから許してねコンビが、めでたく結成されたのであった。
別名、開き直りコンビの誕生である。




