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神華  作者: 栖坂月
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暴露編 13

「大丈夫ですか? 殿下」

 膝に手をついて腰を屈め、肩を激しく上下させながら荒い呼吸を繰り返すイツカを眺めながら、どうすればイツカが楽になるのかわからずたんぽぽはオロオロする。

「問題、ないよ……ははっ、ちょっと、運動不足かな。散歩じゃなくて、ジョギングにした方が、いいかも」

 息も絶え絶えになりながら、それでも微笑んでたんぽぽを心配させないようにと振舞う。

「私もお付き合いしますっ」

「そうだな。ありがとう。だけど今は――」

 チンという古来から変わらない音をエレベーターホールに響かせ、目の前のドアが開く。それなりに広いホールには四台のエレベーターが並んでいるが、彼らが呼んだのは一番右側、つまり裏口から最も近いエレベーターだ。

「あの連中を追いかけよう」

「はいっ」

 自分の存在が少しでもイツカの役に立っていると感じられるのか、たんぽぽの表情は極めて明るい。

「ん? これって……」

 エレベーターに一歩踏み込むなり、イツカは気付く。フロアに水滴が落ちているのだ。彼ら二人――特にイツカはずぶ濡れだが、まだエレベーターに一歩踏み込んだに過ぎない。奥にまで彼らの水滴は飛んでいないハズだ。

「濡れてますね。外は雨でしたから当然ですけど」

「うん、確かにそうだ。当然だよな」

 ニヤリと、イツカは笑う。

「だけど、追跡が少し楽になりそうだ」

 この季節の雨は、決して珍しいワケではない。しかし昨日まではカラリと晴れていたのだ。それが今朝になって起きてみたら、外には細かい雨が降っていた。今回の計画に、雨という要素はさほどマイナスにはならないだろうと予想していたものの、まるで歓迎されていないように思えて、少しだけ気になっていたのだ。

 それがまさか味方になってくれるとは、思いもよらぬことだった。

 二人は乗り込み、ドアを閉めて下の階から全てのボタンを押していく。後は水滴の落ちている階を見つければ、目的の相手は見つかるハズだった。

「あの……」

「何だい、たんぽぽ」

「とりあえず、その水滴を追ってGSSの皆さんと阿久津議員の居場所を突き止めるんですよね?」

「そうだね。他に良い方法があるかい?」

 その問いに、たんぽぽは即座にぷるぷると首を横に振る。

「ですが、その……」

「ん?」

「見つけて、その後はどうするんですか?」

 イツカが固まる。

 その先のことなど、彼は全く考えていなかった。

 本質的には、彼と同じカメラに収まってくれれば自動的に公開されるので、阿久津議員とGSSが何かしらの会合を秘密裏に行っていた証拠にはなる。しかし、そのこと自体を非難したいワケではない。強いて言えば本多に対する行いを改め、悔いて欲しいとは思っているが、それは今のところ立証されていないことだったし、ここで会合があることと本多に責任を押し付けたことは、残念ながらイコールで結ばれることでもない。

 イツカの中には、確かに確信はあった。しかしだからといって、明確な証拠もナシに相手を非難する資格はない。

「んー……」

 しばし唸りながら、それでも開く扉の向こうに水滴が落ちていないことを確認しつつエレベーターを上昇させていく。

「とりあえず、文句は言いたい」

 結局、明確な回答は出なかった。しかしそれでも、イツカの表情に迷いはない。

 が、せっかく迷って考えた末に出された他愛もない答えに、たんぽぽの反応はない。気になって振り返ってみると、彼女は虚空を見詰めていた。

「たんぽぽ?」

「え?、あ、はい」

「どうした? 何かボーっとしてたみたいだけど」

「あ、大丈夫です。今ちょっと志麻華様からご連絡が――あ、いえ、今のはそちらへの返事ではなくて――あ、すいません。声に出てしまいました」

 イツカが事前準備もなく飛び出したものだから、たんぽぽが急遽連絡係になっているのだろう。しかし、肉体の制御ばかりでなく一度に二つのことを同時にこなすこと自体が苦手なのか、ワタワタとしている。

「いいよいいよ。向こうとゆっくり話してくれ」

 10階のフロアにも水滴が落ちていないことを確認して、11階へと向かう。

「いいえ、もう大丈夫です。志麻華様からご伝言です。日陰でコソコソしている奴をさっさと日向に引きずり出すことだけ考えなさい、だそうです」

「あぁ、うん」

 シンプルに考えて目の前だけ見て歩けと、そう言っているようにも聞こえたが、言っている相手が志麻華であるだけに、バカは考えるなと言われているようにも感じられる。

 だがどちらにしても、彼の選択に変更はない。

「わかってるよって、志麻華に伝えてくれ」

「もうこちらの音声は向こうに繋がっています。私に話してくだされば、そのまま志麻華様に伝わりますよ」

「そっか。そりゃ便利だ」

 随分と愛想の良い通信機ではある。

 そして訪れた12階、扉が開かれるなり二人の目の色が変わる。

 落ちた水滴が、まるで道しるべのように続いていた。

「間違いない。この階で下りたんだ」

 少しずつながら目的に近づいているという実感が目の前に現れ、自然と鼓動が速くなる。イツカは無意識に逸る気持ちを必死に抑えつつ、エレベーターから足を踏み出す。そしてそのまま、水滴に導かれるようにして歩き始めた。

 この先に何があるのだろうと顔を上げ、果てしなく並んでいるように感じられる無数のドアを見て表情を歪めた瞬間、背後から慌てたような声が上がった。

「殿下っ、エレベーターが動いています!」

 弾かれるように振り返り、たんぽぽの伸ばした指の先へと視線を向けると、確かに彼の乗ってきたエレベーターとは別の二つ――隣とその隣のエレベーターの表示がどちらも動いていた。注視していたワケではないが、一階で乗り込むまでは他のエレベータに動きはなかったと二人は記憶している。

 一つは上に、一つは下に向けて動いていた。

 そしてそれは、既に会議が終わって参加メンバーが帰り始めていることを示している。と同時に、二つの勢力が一緒にいるところを押さえるという目論見が失敗に終わったという事実を導くことにもなる。

「たんぽぽ戻れっ。上に行くぞ!」

 落胆はなく、判断は一瞬だった。

「はい!」

 たんぽぽの返事にも迷いはない。二人はほぼ同時に閉まりかけていたエレベーターに飛び乗ると、最上階を除く全てのボタンをキャンセルしていった。緩やかな加速が終了する頃には『40』という数字がただ一つ残された。

「上ということは、阿久津議員を追うんですね?」

「うん、GSSの人達が入っていくのはたんぽぽが見たんだろ?」

「はい、確かにこの目で見ました」

「でも、阿久津議員がこのビルに来たことは、まだ誰も見ていない」

 接触しているところを一つの映像として収めるのがベストだが、とりあえずこの場にいることだけでも確かめないことには、何一つ始まらない。

 彼は、明確な策や展望があってこんなことをしているのではない。彼が阿久津の所在を確かめたことで何が起こるのか、実のところわかってはいないのだ。

 しかし、それによって何かが、現状の流れが変わることは間違いないと確信している。それが本多を助けることに繋がると、信じているだけだ。

「早く、早く着けよっ」

 40へと一つずつ近づいていく数字をもどかしく眺めながら、イツカはその場で足踏みしている。その行為自体に意味がないことは、未だ未熟なたんぽぽにもわかる。しかしその様子を見ながら彼女は、それが不要なものではないことを学んでいた。

「よしっ!」

 到着して開きかけた扉をこじ開けるようにして外へと踏み出す。しかし最上階のエレベーターホールにも人影はない。

「殿下、あそこに階段があります!」

「でかした、たんぽぽ!」

 誉めながら走り始める。

 イツカは悲鳴を上げる両足を懸命に動かして階段を駆け上がり、屋上へ至るドアを力一杯押し開けると、水飛沫を跳ね上げて外へと一歩を踏み出した。

 空はまだ低く、そして暗い。

 しかし、雨は上がっていた。

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