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その彼の名を誰も知らない  作者: 龍華ぷろじぇくと
第四話 その演奏会で何が起こったかを彼女は知らない
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AE(アナザー・エピソード)その旋律が何を齎したのかを、僕らは知らない

 リエラという少女が舞台に現れた。

 その姿を見た瞬間、人々は思わず目を擦る。

 自分は本当にただの女性を見たのだろうか? そんな思いを抱いてしまった。

 しかし、まるで後光が差すような洗練された歩きで舞台中央へと歩み出るリエラに、自分たちは幻を見た訳ではないのだと知る。


 誰ともなく、熱狂の声をあげた。

 歓声に、彼女は動じることもなく、むしろ全ての人々へと笑顔を振りまいて行く。

 それは、遥か遠くの大教会で年に一度程姿を見せる聖女のように、神聖な笑顔に見えた。


 最後に微笑みを浮かべられた国王も思わず目を見張るほどの微笑。

 次の瞬間、彼らの熱狂は驚きに変わる。

 リエラの背後にいつの間にか黒い楽器が存在していたのだ。

 独りでに鍵盤を守っていた場所が開き、椅子が引き出される。


 魔法だろうか? 風の魔法の応用かもしれない。

 噂が噂を呼び、荒唐無稽な噂で納得し始める民衆。

 そしてリエラが適当に音を奏でる。

 そこで、ようやく目の前の黒い物体が楽器で正しいのだと民衆は理解した。

 一部の音楽家は驚きに目を見張ったまま口をパクパクと開いている。

 あれは……まさか……

 そんな言葉が漏れているようだが、言葉の意味は誰にも理解できなかった。


 そしてついに、演奏が始まった。

 少し暗い曲だ。

 しかし、なぜだろうか? 民衆は皆、眼を閉じていた。

 瞼の裏に牧場が見えた気がした。

 自分は荷馬車に乗せられた小さな牛。

 少しずつ遠く離れて行く牧場。


 ああ、なぜこうなってしまったのだろう。

 楽しかった牧場を思い、小さな牛は涙する。

 荷馬車が揺れるたびに、子牛も揺れる。


 不思議な旋律だった。

 聞いたこともない曲で、拙い演奏だというのに、なぜか思いが伝わって来るような曲。

 誰もが涙を流す。


 奴隷たちは立ち上がっていた。

 自分たちの境遇を思い出し、遥か遠くに離れた故郷を思い出し、彼らは声を殺して泣いていた。

 様々な生い立ちから奴隷に身をやつし、こんな状況になったが、思い出だけは忘れたことは無い。

 ああ、帰りたい。故郷の、楽しかったあの場所へ。


 兵士たちは泣いた。

 出稼ぎのため、村から出て来た自分たち。

 苦労があった。苦楽を共にした仲間がいた。昔別れた村の仲間たちの顔が思い出された。

 村に残した両親の顔が浮かんだ。少ない金で自分を養い育てた両親、食いぶちを自分で稼がねば、親に楽をさせねばと、一人泣く泣く馬車に揺られて王都へやってきた。

 あの光景が、甦る。何度も何度も振り返った。いつかまた、ここに帰って来るのだと、帰りたいのだと。ずっと思いながら、未だ一度も帰れていない。

 もしも、翼があったなら……あの楽しかった故郷へ今直ぐ帰れるはずなのに。


 貴族たちは戸惑っていた。

 自分たちにとってはそこまで心に沁みる曲ではないのだが、自分たちが雇っている護衛兵が、奴隷たちが、なぜか一斉に声を殺して泣きだしたのだ。

 意味が分からない。それ程に素晴らしい曲だっただろうか?

 綺麗な曲だとは思うが弾き手は拙く、宮廷楽師には到底及ばない曲のはずだ。


 眼を開けば、なぜか周囲の殆どの民衆が泣いていた。

 国王もすすり泣きに気付いて眼を開き、周囲の光景に驚いていた。

 宮廷楽師が感心したようにリエラを見つめているのに気付き、何が起こったのかを聞いている。


 クーフはつい、その曲を口ずさんでいた。

 記憶は所々飛んではいたが、懐かしい曲だった。

 それを懐かしげにネフティアも眼を細めて聞いている。


「クーフ、この曲知ってんのか?」


「ああ、懐かしい曲だカイン。ドナドナ。我が祖国に伝わる外国の名曲だ」


「へぇ……って、なんでリエラがそんな曲を?」


 カインたちは民衆に紛れ、リエラの演奏を聞いていた。

 疑問を浮かべるカインにクーフは首を捻る。


「さて? 何故だろうな?」


 ドナドナが終わった。

 残心を残し、しばしの静寂、ついで民衆の一人が拍手をしながら立ち上がった。

 波が伝わる様に一人、また一人と立ち上がる。


 スタンディングオベーション。宮廷楽師はそれを見て驚愕していた。

 本来、素晴らしい演奏が行われた時、期せずして起こる現象である。

 最近の貴族間では慣れ合いで結構な頻度起こる事はあるが、この全国民が聞いている発表会で、まして民衆が率先して起こすことはまずありえない。

 自然に発生したのだ。この誉れ高き演奏を聞いた者たちの総意がこの行動に表れている。


 それは、きっと一部の選ばれた音楽家だけが見ることのできる栄誉の印だ。

 自分ですら、起こしたことは無い現象に、宮廷楽師は悔しさを滲ませる。しかし、そこで、リエラは終わらなかった。


 拍手が誰からともなく鳴り止み、静寂が再び訪れる。

 それはまるで、新たな幕が開けるのを、全員が理解したかのようだった。

 旋律が再び流れだす。

 先程とは違う、希望溢れる優しい曲だ。


 人々は眼を瞑る。耳から入った旋律は彼らに一つの幻想を見せた。

 今、自分たちに必要なのは富でも名誉でもない。

 たった一つ、翼だけが欲しい。

 翼があれば、ああ、前の曲がまた脳裏に流れる。

 翼があれば故郷へ帰れるのに。

 大空へと羽ばたける、遥か遠くへ行ける。奴隷の鎖を引きちぎる翼が欲しい。


 冒険者は涙した。

 子供の頃に夢見た冒険譚。

 その夢は今も変わらない。

 翼があれば、自分達もきっとまだ見ぬ大地へ、洞窟へ、ひとっ飛びで行けるだろう。


 貴族は泣いた。

 訳も分からず泣いた。

 宮廷で誰とも知れぬ敵と味方に囲まれ、一度も気を抜けない自分の重圧。

 そこにもし、翼があったなら、こんな苦労をしなくても、まだ知らぬ大空へ羽ばたけるだろうに。


 国王は、不意に気付いた。

 自分の頬に流れる熱い涙があることに。

 知らず、彼も思い描いていたのだ。

 煩わしいしがらみだらけの人生に、もしも自由に羽ばたける翼があったならば。

 富も栄誉も、全て捨て去り、一人の人間であれたなら……


 その日、その時、その場所で、皆は思い描き希望した。

 争いの無い、戦争も起きない自由な空へ、一度でもいい、羽ばたいてみたい。

 他の何もいらない。ただ、翼が、欲しいのだ、と。


 男の声が聞こえた。

 ふと、ぼやけた視界に皆が見た。

 大柄な、ミイラ化した男が歌っていた。


 その歌詞は誰も聞いたことが無い歌だった。

 されども、誰もが納得できる程に、流れる曲にぴったりの歌だった。

 男の歌を、少し遅れて誰かが口ずさむ。

 いつの間にか、一人の少女の演奏が、会場中の大合唱に変わっていた。

というわけで、ドナドナと翼をくださいの曲でした。

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