飼い馬クロ
出発まではトントン拍子に決まった。もっとも懸念だった盗賊は、ギルドによる調査の結果警戒体制解除が言い渡されたのだ。後顧の憂いなく発てることとなった。
アルメダとアレン、他普段関わりのある人々に挨拶をし、ロゼッタたちには太一がひとっ走りユーラフに行き、旅立つことを伝えた。文言は違うが、全員に「また戻ってこい」と言われたことが、太一たちはとても嬉しかった。
アズパイアからガルゲン帝国までは、まず馬車の定期便で南下。貿易が盛んな港町シーヤックを目指す。そこから海岸線沿いを進むガルゲンへの定期便が来るまで待つか、ガルゲン入りする商人の馬車の護衛を引き受けるか。或いは馬車を雇うか、自前の馬車を用意するかの四択になる。国境越えは冒険者である証を身分証明書として見せれば問題ない。驚くほどあっさりと通れるということだ。これが、冒険者ギルドカードに対する厳重なルールの理由である。
さて問題はそこまで何を足にするかだ。太一たちであれば、方角さえ間違えなければずっと歩いてでも問題なくシーヤックに着くだろう。しかし草原のど真ん中を徒歩で歩き続けるというのはあまり良い方法とは言えないかもしれない。よっぽどの理由がなければアズパイア~シーヤックを徒歩で踏破するのは非現実的だからだ。
別に好き好んで目立ちたい訳でもないので、馬車で行こうとすぐに決まった。定期便もあるため何もしなくてもシーヤックには辿り着くだろう。
そこでふと凛が呟く。
「馬車の中で何してるものなの?」
と。
ミューラは「何もしない。武器の手入れくらい」と答えた。つまり特にやることはないということ。
数日もの間することがないというのは実は相当な苦痛である。景色を眺めたところで、代わり映えしない風景ばかりなのは分かりきっている。
その退屈をどのように潰すか。思わぬ障害だった。修行でも出来るかと思ったが、まずペースを他人に握られている時点でかなり難しいだろう。定期便は乗り合いである。他人の目に触れるのも面倒だし、第一プライバシーがない。一日二日なら耐えられようが、それが一週間二週間となるのは流石にきつい。
それなら、いっそのこと。
「馬車買うか」
思い付いたから言ってみただけの太一の一言は、凛にとってもミューラにとってもこれ以上ない提案だった。プライバシーの確保に行動ペースの自由。それは何にも代えがたいメリットだ。デメリットは馬車代とその維持費、そして御者である。無論そのデメリットは「一般的に馬車を入手する場合」に発生するものだ。金なら文字通り山のようにあるので問題なし。唯一の懸念だった御者も、ミューラの「あたしできるけど」の一言により無事通過。
即断即行動とばかりに、太一一行は馬車を売っている店を訪れた。
小さなものから大きなものまで、動かす力となる馬の種類も様々だ。金に糸目をつけるつもりはないが、ただ大金を支払って大きい馬車を買っても持て余す。かといって小さい馬車では、不測の状況となったときに不便である。
とりあえず六人乗り天蓋つきの馬車にすることで落ち着いた。さて、続いては馬である。速度はそこまで必要ない。タフな馬がいい。
「それならこいつなんてどうだい?」
馬車屋と提携している牧場主が勧めてきたのは、体格のいい大きな馬だった。見たことがある。アズパイアからウェネーフィクスに向かう際、シャルロットの馬車を牽いていたのと同じ軍用馬だ。スピードはそこまででもないものの、とても力強い足取りだったのを覚えている。この馬が二頭もいれば十分だろう。ミューラがそれに決めようとしたとき。太一はふと牧場の端にいる馬に目を惹かれた。
一際太い鎖に繋がれた黒い馬。その存在感は軍用馬の比ではない。というかあれは。
「オイオイ。黒曜馬かあれ」
太一の言葉に、牧場主の親父は頷いた。
「ああ。旅の冒険者が子供の黒曜馬捕まえて売りに来たんだよ。小さい頃から育ててっから人にも慣れたが、如何せん大喰らいでな。魔物なんざ買う物好きもいねーから死ぬまでここで過ごすことになるだろうさ」
「ふーん」
返事もおざなりに太一は黒曜馬に近付く。太一を見ていた黒曜馬は、少年が自分に近付いてくると気付き、横たえていた身体をのそりと起こした。
大きさはなぜか普通の馬くらいだ。小型バスほどの大きさがあるものだとばかり思っていた。
「ああ。そりゃまだ子供だからな。大人になるまでにゃ後二〇年はかかるだろ」
牧場主の解説を背中に受け、太一はなるほど、と頷いた。かなり成長が遅いらしい。時間かかりすぎと思わなくもないが、魔物だから人間の常識が通じなくても不思議ではない。
威嚇するように蹄で地面を叩く黒曜馬の目を、太一は真正面から見据える。
人に慣れているとはいえ、そう簡単に心を許すつもりはないのだろう。その目からは高いプライドが伝わってきた。
「お前はこの辺の王だもんな」
数こそ少ないが、黒曜馬は危険指定されているAランクの魔物。基本的に森の中にいるが、極稀に草原に出てくるのだ。その頻度は年に一、二回。太一と凛が短い期間で二度も出会ったのは非常に珍しいことである。
ふと、凛は空気が冷えてきたのを感じた。ミューラも感じているようだ。それが太一から発せられていると、二人はすぐに気付いた。牧場主は固まっている。太一のことは知っていようが、その魔力を感じたことはないだろう。太一の魔力を感じてしまえば、その底知れぬ力による恐怖ゆえに本能が警鐘を鳴らす。
それは黒い馬も例外ではなかった。自分より強い者に出会うなどなかったことだ。それも、自分の次元を遥かに越えるレベルで。己の強さにプライドを持つからこそ、太一の強さは良く伝わったはずだ。
太一は魔力の放出を抑える。黒曜馬は目を丸くしている。怯えてはいないが驚きはしたようで、もう威嚇していなかった。太一の魔力を感じてなお、ただ驚いただけとは実に肝が据わった魔物だ。
太一はこの黒曜馬が気に入った。
「お前、俺たちの馬車を牽く気ないか?」
言葉が伝わるのかは不明だ。だが太一はあえて声を掛ける。
「俺も、俺の仲間も、お前より強い。自分より弱いやつの命令は聞けなくても、俺たちならどうだ?」
黒曜馬は目を細める。まるで「面白い」とでも言うかのようだ。
「お前は化け物、って怖がられてんだろ? ついて来いよ黒曜馬。俺はお前以上の化け物だ」
鼻をふん、と鳴らして、黒曜馬は首を鋭く動かす。ばきんと音がして、鎖は容易く千切れた。その光景に牧場主は言葉を失う。黒曜馬はあえて鎖に繋がれることを容認していたのだ。獲物もろくに捕れないほど小さな頃から、魔物である己に食べ物をくれ、ここまで育ててくれた人間に謝意を表するつもりで。
「お前、やっぱ頭いい魔物だったんだな。実は言葉も分かるんだろ」
黒曜馬はリアクションしない。凛とミューラの元に戻る太一の斜め後ろを、黙ってついてきている。
「勝手に決めちゃって」
「……スンマセン。どうしても気になっちゃってさ」
「ちゃんと言う事聞いてくれればいいけど」
「……」
あ。という顔をする太一を見て、凛は首を左右に振り、ミューラははあー、と大きなため息をついた。先走った少年を諫める可憐な少女二人の図。太一の真後ろにはランクAの魔物である黒曜馬がいるのだが、二人の落ち着き方は尋常ではない。太一が「仲間も強い」と言ったのは間違いではなかったのだ。
「俺たちの馬車はお前に牽いてもらう。頼んだぜ、いや、割とマジで」
凛とミューラの白い目に晒されて魔物に懇願する少年。
先程の痛烈なプレッシャーは何だったのかと思わずにはいられない。黒曜馬が「こいつはこの二人に頭が上がらない」とにやついている。表面上は無表情のままなのであくまで心の中でだけだが。
「こいつ、売るなら幾ら?」
気を取り直して、太一は牧場主に問い掛ける。
やっと正気に戻ったらしい。彼はハッとして太一を見た。そしてその後ろに堂々と立つ黒曜馬に視線を移す。
「いや、正直魔物の相場なんて分からんもんだからよ、値段決めてねえんだ」
「ああ、そうなん? じゃあ軍用馬二頭分でどうよ? 悪くないと思うんだけどな」
「分かった、それでいい」
あっさりと終わる交渉。牧場主からすれば、これからは大量の肉を用意せずに済む上に高級な馬二頭分の売り上げが入るのだ。今後浮く食費を考えても、それを売り上げと考えた場合かなりの金額になる。頭の中でそれを計算した牧場主にとって、頷かない理由がなかった。
「よし。お前の名前は……クロな」
「安直ね」
「……犬じゃないんだから」
「な、なんだよ。いいだろ分かりやすくて。……おいクロ、なんだその「どうしようもねぇなこいつ」って目は! やっぱこっちの言葉分かるんだな! そうなんだろ!?」
些細な一悶着もありつつ。
クロの手綱を牽いて馬車のもとへ向かう。子供とはいえ街中を黒曜馬が歩いているのだが、大人しくしている限りは見た目ただの黒い馬。そして、仮に暴れたとして、太一、凛、ミューラの三人がかりとなれば取り押さえるのは一瞬だ。
まあそれは万が一にもないだろうな、と太一は思っている。この馬の頭のよさは群を抜いている。ここまで来て暴れるくらいなら、いっそ最初からついてすら来なかっただろう。太一からにじみ出るその信頼を、クロがきちんと受け取っていることまでは気付いていない。
馬車は既に準備されていた。荷物を荷室に放り込んで、クロを馬車に繋ぐ。馬車屋の主は「一頭でこれを牽かせる気かい!?」と声を大きくしたが、クロが平然と数歩歩いて見せたことで納得させるに至る。子供とはいえとんでもない脚力とパワー自慢の魔物である。六人乗りの馬車程度はやはりなんでもないようだった。
荷物は昨日のうちにある程度揃えてある。後は足りないものを補充して、その足でアズパイアを経つことにした。
クロはかなり力強く、手綱で与える指示通りに素直に歩いた。たった一頭で、軍用馬二頭分の働きをして見せるクロ。素養が馬のそれとは桁が違うようだった。
アズパイアからシーヤックまでの道中は平和なものだ。時折現れる魔物は太一らが出るまでもなくクロが威嚇一発で追っ払ってしまうし、ここら一帯で稀に出現する野生の黒曜馬にも、一度も出会うことなくその生息域を抜けた。
どこまでも続く草原を、のんびりペースで馬車は進む。カッポラカッポラリズム良く響く蹄の音と、雲一つ無い澄んだ青空から降り注ぐ日差し。
「くあ……んむ」
秋空の昼下がり。太一は大きなあくびをした。秋がさよならをいつ告げようかと見計らっている季節。とはいえ、風のない晴れた昼間はまだまだ結構暖かい。
今御者をしているのは太一だ。ミューラに、「折角だから教えて」と教わったのがアズパイアを出発した翌日。一度やり方を覚えてからは、メインで手綱を握るのは太一の役目だ。まだまだ初心者に毛が生えただけの太一が一端っぽく御者をやれているのは、頭のいいクロが太一の考えを機敏に察知しているからである。
「のどかだなあ」
目尻に滲んだ涙を指でぬぐう。そして、両肩にかかる重量感に意識を向ける。
凛とミューラが太一の肩を枕がわりにして寝ていた。
「羨ましいシエスタですこと」
起こさないように小声で呟いた言葉は溶けて消えた。
くう、すう、と。可愛らしい寝息がそよ風の合間を縫って微かに聞こえてくる。警戒心のかけらもない、信頼しきった寝顔。今なら唇を奪ってしまっても気付かないのではなかろうか。まあ、そんな度胸は今のところないのだが。
ずれていた膝掛けをかけ直し、太一は手綱を握り直す。ふと、クロが顔を向けて半目で太一を見ていた。「起こさないように歩いてやるよ」と言われた気がして、太一は軽く苦笑した。魔物の癖に実に良くできたやつだ。
「なあ、シルフィ」
「んー?」
そう呼び掛けて具現化させると、太一の膝の上に現れる手の平大の女の子。どうやら寝ていたのだろう、「うにー……」と理解不能な言葉を口にしながら目を擦っていた。
「シルフィ。お前も俺を枕にしてんのか」
「んー? 寝るときはいつもそうだけど?」
何を今さら、という顔をされてしまう。流石風の化身。全く気付かなかった。空気の重さを感じろと言う方が無茶であろう。
普段から近くにいることは分かっているので全然気にしなかったが、もう少しシルフィのことを見てもいいのかもしれない。出来れば、いつでも話ができる程度に。太一と念話だけでもいいのだが、凛やミューラとも話が出来た方がいいだろう。幾星霜の時を越えて、ようやっと孤独から解放されたのだから。
しかし凛、ミューラと話をするには具現化させていなければならないし、手の平大だと滅茶苦茶目立つ。等身大の状態にすればいいだけだが、そこにも問題はある。否応なしに他人を跪かせるような存在感の持ち主だ。シルフィは狙ってやっているわけではないが、身近にいる凛とミューラも、気を抜くと思わず膝を付きそうになるというから、何も知らない一般人では更にその傾向が強いと思われる。下手をすれば将軍様のおなーりー、なんて状態になりかねず、おいそれと等身大には出来ない。
その辺も考えなければならないだろう。こうして移動している時間などはたっぷりその思考に浸れるはずである。
「もう半分くらい来たかな?」
方角は合っているが、距離感は分からない。行けども行けども同じ景色で、目印なんかありはしない。地図のどの辺にいるのか、太一だけでなく凛もミューラも現在地を見失っていた。
「半分どころか、もうすぐ着くよ」
速い速い、と笑うシルフィ。驚いた。まさかそこまで進んでいたとは。
「クロが優秀だからだね。普通の馬じゃあ、このペースで朝から夕方まで歩き続けるのは無理だもん」
余程のことがなければ、基本的に昼休憩以外では休まないで進んでいる。一応クロの調子は観察しているが、まるで疲れた様子を見せないのだ。歩き続けて一晩休ませると、驚くほど回復しているのだ。
「馬じゃこうはいかなかったな」
「そうだね。あ、そうだ。ついでに、進んできたって実感、させてあげようか?」
「はい?」
実感とはどういうことか。シルフィが魔力ちょうだい、と両手を突き出してくるので適当な量を渡す。淡く輝く緑の光の球をシルフィは両手でしばらく捏ね回してから、「えい」と掛け声一発、大空に放り投げた。魔力球は空をぐんぐん昇っていき、やかて見えなくなった。
カッポラカッポラ。
クロの蹄の音だけが響く。何も起きない。もちろん、ずっとこのままということは有り得ない。なんらかの術を使ったのは「あの」シルフィだ。ただそれだけで、何が起きるのだろうとワクワクする理由としては十分だった。
変化が起きないまま十数分が経過。
さすがに「あれ?」と太一が思い始めた頃。些細だが、確かに変化が起きた。
クロがぴくりと耳を動かし、そして顔をわずかに上に向ける。
そう。それは空からやってきていた。
無色透明。目では判別できないが、しかしそこに存在する。
そう、それは「匂い」だった。
鼻腔をくすぐるその香りは、かつては夏によく嗅いだものだった。
「これは……」
ふふーん、と言いたげに胸を張るシルフィを見て、それから視線を空に移す。間違いない、気のせいなんかではない。
「凛、ミューラ」
思わず二人を起こす。
「んん?」
「どうしたの?」
心地よい微睡みを遮られて身体を起こす二人。凛は小さくあくびをし、ミューラは「ん~~……」と言いながら伸びをする。そして、二人とも気付いた。
「あれ」
「これって」
違和感を覚えたらしい二人が周囲を見渡す。しかし広がる代わり映えの無い草原に、今度は揃って首をかしげた。
「潮の香りだよな」
「う、うん」
「そうなんだけど……」
戸惑う二人。どう考えても、近くに海はない。ではなぜ、潮の香りがするのか。
「アタシが運んできたんだよ」
「シルフィ?」
「うん。おはよう、りん、みゅーら。あ、二人ともよだれ」
「「…………っっ!!」」
顔を紅くして口元をぬぐう二人。
「う・そ♪」
ひっかかったー! と言いながらけたけたと笑うシルフィ。してやられた凛とミューラは、更に顔を紅くした。
「シルフィ!」
声を荒げる凛。だが、シルフィの
「たいち枕は寝心地よかった?」
の一言に再度沈黙させられる羽目になった。このやり取りで旗色の悪さを感じ取ったミューラは沈黙を決め込むこととする。必然的に凛VSシルフィの構図が出来上がるが、優勢なのはどちらか言うまでもない。階級別キャットファイト口喧嘩バージョンをBGMに、草原ではまず嗅ぐことの出来ない潮の香りをツマミにして、カッポラカッポラ馬車は進む。
港町シーヤックまでは後二日の距離。最初の旅ももうすぐ一段落。海産物が非常に美味だというシーヤックに思いを馳せる。
キャットファイトは、シルフィが凛を一ラウンドテクニカルノックアウトで下したことを、ここに追記しておくとする。
2019/07/17追記
書籍に合わせて、奏⇒凛に名前を変更します。




