四話
アルティアとの違いはあまりに大きかった。
アルティアしか見たことのないミューラとレミーアはもちろん。
地球からアルティアにやってきて、世界の常識の違いに幾度となく直面してきた太一と凛でさえ。
その違いに言葉が出てこない。
踏みしめる地面は赤茶けた土。
地面については滅多に見ないが別に不思議ではない。
背の低い草がまばらに生えている。
雨が少ない土地なのだろう。
これもまた、頻度こそ少ないこともこういう環境の土地があることは知っている。
そうではない。
太一は空を見上げた。
「なんだ、この色……」
オレンジ色と紫色のマーブル模様とでもいうべきか。
日没前後にかけて、昼が夜に支配されていくさなか、オレンジ色と紫色の境界線が見えることはあった。
しかしこの空はそうではない。
紅茶やクーフェにミルクを注いだ時、それが混ざり始めた瞬間のようだ。
何とも表現のしにくい色合いだった。
「驚くのも無理はあるまい」
アルガティが言う。
この環境の違いももちろんだが、何よりも空の違い。
転移のための建物なのだろう、魔法陣らしくものが地面に刻まれただけの石造りの小屋から出て飛び込んできた光景。
これはすさまじいインパクトであった。
「まずは本部に行くぞ。着いてくるがいい」
これは余韻が後に引く衝撃だったが、それに浸らせるつもりはアルガティにはないようだ。
この驚きというのは、世界が変わったことに対するもので、そうそう得られる経験ではないのだが。
少々もったいない気もしたが、こうして強引にでも移動しないとしばらくここに立ち尽くしていることになりそうなので、ありがたいともいえた。
アルガティについて歩く。
身体を動かしたことで、衝撃の余韻そのままに周囲を見渡す余裕も出てきた。
周囲にはいくつもの仮設建造物とテントが張られ、少なくない人々がせわしなく行き交っている。
その中を突っ切って進んだ先。
太一たちの眼前に背が低い石組みの砦が現れた。
赤茶色の岩を切り出してブロックにして組み上げられたのだと思われる。
アルガティが、木でできた両開きの扉が押し開けられる。
砦の中は殺風景、武骨といった言葉が似合う。
まあ、ここはセルティアに対するアルティアの前線基地なので、装飾などが要らないというのも分かる話だった。
砦の中を闊歩し、アルガティが先導していきついた先。
そこには、「統合作戦室」とあった。
どうやらこの砦の心臓部となる部屋のようだ。
特にノックも無く開けられる。
すると、既に迎え入れる準備はできていたようで、部屋の奥、窓を背にして四人の男がこちらを向いて待ち構えていた。
それぞれ三人が並んで立っており、一人は三人の斜め後ろに控えていた。
(ああ……アルガティの姿を見て、奥に走っていった人がいたな)
その人物が先触れというか、連絡役だったのだろう。
そしてアルガティの到着を待っていたというわけだ。
(ん?)
一瞬、強い感情が込められた視線が向けられた。
四人を順にみてみるが、誰からも感じない。
アルガティではない。
では、外か。
視力を強化して窓の外を見てみるが、窓から見える範囲には誰もいない。
気のせいか。
そう考えていると、並んだ三人のうち、真ん中の一人が一歩前に出た。
四人の中でもっとも豪奢な装いの男だ。
「お待ちしておりました、アルガティ様」
「うむ」
「して、後ろの方々が?」
「左様。事前通達のとおり、我の直属という扱いである。便宜を図れ」
「はっ」
アルガティが言うと、彼は太一たちに向き直った。
「ようこそいらっしゃいました皆様方。私がこの地の責任者である、カイエン・ブリエシュです」
責任者。
やはり彼がここの司令官のようだ。
「皆様が、我々の作戦をお手伝いいただけると聞いております。間違いありませんか?」
四人は顔を見合わせる。
答えたのはレミーアだ。
「ああ、間違いない」
カイエンは満足げにうなずく。
「私の左右に居るのが副司令官のジーラス・アスタ、ウーゴ・グラステとなります。この地について何かありましたら、我らに確認いただければたいていの融通は利きますのでご遠慮なく」
ジーラスは細身の文官のような体躯の男。
ウーゴは筋肉質でひげ面の、将官の衣装を着ていなかったら盗賊にも見える男だ。
ずいぶんとVIP待遇だ。
「そんな特別扱いしても良いのか?」
レミーアも同じことを思ったのか、それを素直にぶつけることにしたようだ。
それに対し、カイエンはかすかに微笑んだままうなずく。
「問題ございません。皆様がどのような戦力であるかはうかがっておりますので。冒険者ランクがB、Aというだけで非常に貴重ですからね」
「今この地において、もっとも必要とされるのは戦闘力ですので」
なるほど。
確かに、ここは敵地。
このアジトに到着してから見かけた人出会った人そのすべて、種類は多岐にわたるものの全員が武器を提げていた。
「そうですね。戦えない者はこの地に足を踏み入れることは許されていません」
「戦えずともこの地で働きたいと声を上げる者もいるが……無駄死にさせるわけにもいかんしな」
と、ジーラス、続いてウーゴ。
戦力として送り出すわけではない、拠点にいるのみの者でも、採用基準に戦闘力を必須要素としているとのことだ。
前提として、少数での行動を基本としている。
確かに、この地の面積は、良く言って村。実質村にも満たない規模だろう。
派手に動いて感づかれ、討伐軍を送られでもしたらたまらない。
シェイドによる隠ぺいが施されているとはいえ、セルティアにはそのシェイドと互角の存在がいる。
油断すれば即座に気付かれるとは、シェイドの弁だとのことだ。
これらのことから、人員が少ないことが、戦えない者がこの地にいない理由でもある。
人でも魔物でも、拠点に攻め込まれた場合、数少ない人員での防衛となる。
そうなったとき、戦えない者を守る余裕はない。
人員を失った場合の補充もたやすくはない。簡単に死なれては困るのならば、最初からある程度自分で身を守れる者を連れてくるべき、となったという。
なるほど、だから裏方っぽい者も、動きが素人ではなかったわけだ。
実力のレベルは横に置いておいて、何かしらの戦闘の心得を持っているように見えた。
確かに後方の憂いが少ないのは、前に出る者にとってもありがたいことだ。
「他にも話すべきことはありますが、ひとまずそれは後程。本日は身体を休め、明日以降に備えていただければ」
カイエンはそう言うと、斜め後ろに控えていた獣人の兵士を呼んだ。
これまでは一言も発しなかった、山羊の獣人である。
「このメラクに、皆様の寝泊まりする宿舎に案内させましょう」
「メラク・アンダルシアです。皆様を宿舎にご案内いたします」
山羊の獣人は愛想よさそうに笑いながら言った。
「よろしく頼む」
「では、こちらへ」
メラクが先を歩き、それに太一たちはついていく。
そのまま、司令官室を退室した。
◇
太一たちが出て行って少しして。
「……よろしいのですか?」
「何がだ」
カイエンがアルガティに問う。
当のアルガティは、腕を組んで窓の外を眺めている。背を向けたまま応じた。
「あのメラクですが、彼らにいい感情を持っておりませんぞ」
そう、太一たちが入室した際、強い感情を込めた視線を向けたのはメラクだった。
四人全員がその視線自体には気付いていた。
誰がその視線を向けたかについて気付いていたのは、一人だけだったようだが。
「それがどうした?」
そんな者に任せて良いのか。
不協和音にならないか。
そう考えて問いかけてみたカイエンだったが、アルガティからは芳しい返答はなかった。
「さすがに、ここを預かる者として、感情のこじれからの問題は困るのですが……」
「実力に問題はないと言ったはずだが」
「それは聞いてますぜ。でも、俺たちはあいつらの実力を見ていないんです」
カイエンは司令官として全体のために話をしているが、ウーゴはどうやらメラク側のようである。
ただ、アルガティが見る限り、同調はしているもののメラクのように感情が先走ってはいないようだが。
そうでなくては副司令官には選ばれない。理性で感情を制御する鋼の精神があるからこその立場だ。
「召喚術師というのも、精霊魔術師というのも聞いています。ですが……」
ジーラスは二本の指を立てた。
「召喚術師の少年については、その力を見たことがありません。また、ただの魔術師から精霊魔術師になるなど、聞いたことがない」
その二点があるから、メラクやウーゴのような者が出てくるのだとジーラスは言う。
ジーラス自身はメラク、ウーゴに同調はしていないが、その心情は理解できるという立場だ。
「……精霊魔術師への進化は、シェイド様がお認めになったことだ。貴様ら、それを疑うと言うか」
アルガティは明らかに不機嫌になった。
特に臨戦態勢にはなっていないはずだが、その身体からは少量の、しかし圧倒的強者の気配を感じさせる闘気が漏れる。
「とんでもない。シェイド様の裁定に異論があるわけではございません」
アルガティが機嫌を損ねると分かっていたのか、カイエンは慌てなかった。
「ただ、この目で見ないと納得しない者がいるのも事実。ですので、早晩、何かしらの催し物があるかと」
軋轢が生じる前に腕試し的なことを行うと言っているのだ。
カイエンはそれを催し物と言った。
絶対強者たるアルガティを前にしてその物言い。
その実力は高くはあるがあくまでも人間の範疇でのこと。高く見積もったところで、せいぜいが人間の騎士の部隊長程度だろう。
だというのに、実に肝が据わっている。
その胆力がシェイドに気に入られたからこそ、この地において司令官を務めているのだ。
そして、己に対してもこのような態度でいられるカイエンのことは、アルガティも好ましく思っていた。
「ふ。構わぬ。それで気が済むなら好きにさせよ。ただし、分かっているな」
「はっ。間違っても露見せぬようにいたします」
「分かっているならばいい」
アルガティはそれ以上何も言わなかった。
どのみち、必要なことだとカイエンは考えていた。
彼ら彼女らはよそ者である。
まして、太一と凛はアルティアの人間ではない。
ミューラとレミーアはアルティア出身ではあるが、彼女らもまたこの基地においてはお客様。
アルガティの直属ということで便宜も図らなければならない。
それに納得がいかない者も出てくると、カイエンは予測していた。
何せ、ここにきている者たちは審査をパスし、命を運賃とした片道切符であることを承知の上で、アルティアのために身命を賭すと覚悟してやってきているのだ。
その自負があるからこそ、ポッと出で特別扱いを受ける者を面白くないと感じるのは、感情を持つ者としては当然の反応だ
言葉で納得させることはできない。
理解はするだろう。
カイエンが命令だと言えば従うだろう。
だが、心の底から納得してのことではない。
それでは、きっと彼らもやりにくいに違いない。
カイエンたちにとって、頼もしい増援なのだ。
任務達成の確率が上がるのだ。
ならば、特別扱いを受けるにふさわしい者たちだと、見せつけるのが手っ取り早い。
アルガティがその機微を理解しているかは分からない。
カイエンにとってはどちらでもいい。
必要なのは、アルガティの許可だったのだ。
この場所がばれないようにするのは当然。そこはカイエンの采配次第だ。
後は、いつそのイベントが起きても問題ないように、あらかじめ打っておいた手はずを整えるだけだった。