四十二話
周辺を念入りに探索したが、仮面の男を見つけられなかった太一は、しばらくして島に帰還した。
空から着地した太一が見たのは、騎士達に連行される術師らしき者たち。
海面から顔を出すリヴァイアサン、ティアマト。その二頭に付き従う小柄な竜。
そして、手近な兵士に案内を頼んで仲間が身体を休めている部屋にたどり着く。
室内にいたのは、レミーア、ミューラと、傍らで医師らしき者の診察を受けている凛だった。
どうやら、作戦は概ね成功したようである。
まずは、一番気になること。凛の容態である。
簡易寝台に寝かせられている凛。彼女の様子を見ているレミーアとミューラが悲しんでいる様子がないため、ひとまず差し迫ったことは無いと判断。ウンディーネからも命に別状は無いと聞かせられているので、特に慌てる必要は無かったのだ。
「凛はどうしたんだ?」
「む、戻ったか」
声をかけられ、レミーアが太一に気付いた。
「傷も塞がってて、眠っているだけ。今はイルージア陛下のご厚意で宮廷医師に診察してもらってるわ」
「そっか」
凛の着衣には、おびただしい量の出血の痕跡。
痛々しいことこの上ない。
「特に傷跡が残ることも無いそうだ。高級魔法薬を惜しみなく投与してもらえたからな」
シカトリス皇国のために身を粉にして働いたのだから、この程度のものは必要経費と、イルージアが言ったそうだ。
何せ、この地での人的損害はゼロだったのだ。かかった費用と言えば、遠征費のみ。
それが出費として痛くないとは言わない。しかし、イルージアが連れてきた騎士も兵士もいずれも精鋭揃い。人を育てるには相当な時間と金がかかる。彼らを失ったかも知れない可能性を考えれば、魔法薬の一〇個や二〇個、まったく惜しくなど無かった。
「それで、なんでこんなことに?」
太一はそれを聞いた。外傷が残らないのはいい、命に別状が無いのもいい。
何故そうなったのか。それが気になった。
「キメラの即死級の攻撃をどうやっても避けられない状況になったのよ。そうしたら、リンが氷に包まれて、その氷が破壊されたわ。両手両足はおろか、胴体部分が完全に吹き飛んでもおかしくない攻撃だったわ」
「あれは私もダメかと思ったな。しかし、リンは無事だった。身体から出血こそしているものの、手足すら失わずに五体満足で立っていたさ。さすがに、仕留めたと思った獲物が無事だったのにはキメラも驚いたのだろうな」
聞けば、殺意が高く狡猾な熊のキメラだったらしい。見た目は太一が戦った熊のキメラと同じ特徴だったが、その性質と特殊能力は別物だったようだ。
ともあれ、その氷をまとったことで、キメラの致命攻撃をやり過ごせたのか。
その対価として、全身から出血し、気を失ったと。
簡単な顛末はそんなところとのことだった。
『精霊憑依の対価ですね』
ウンディーネが言う。
「精霊憑依か……」
『ええ。リンさんに与えられた特殊な力。召喚術師よりも希有な、世界でただ一つの能力。まだ使いこなせていないので、反動があるのです』
「なるほどな……」
これについては聞いていた。
精霊魔術以上に使えていないので、実戦どころか訓練すらままならないと。
使ったらどうなるか、その実例を見せられれば、なるほどと納得するしか無い。
非常に強い力。
現に死が免れないところから、それを切り抜けることができるだけのポテンシャルがある。
ただ、使うたびに出血し気を失ってしまうのでは、カードとしては奥の手にしかなり得ない。
それを使わざるを得なかったところが、厳しい戦いだったことを物語っている。
けれど。
「いや、何はともあれ、無事で良かったよ」
そう。
結局それが一番大事だ。
確かに心配だが、止めるつもりが無い以上、太一にできるのは無事に帰ってくること、それだけだ。
そしてこの局面になって改めて、太一もまたちゃんと帰れるようにしようと心構えを改める。
「で、それ以外のこともうまくいったんだな」
「ああ……む、来客か」
部屋がノックされた。
このタイミングでなら、想定されるのはイルージアによる太一の呼び出し。しかし、あの女皇のことである。自ら足を運んできたことも考えられる。
「どちら様です?」
「予である。入るぞ」
「陛下。……どうぞ」
扉を開けると、そこに立っていたのはやはりイルージアだった。
「良い、礼は不要である。そのまま楽にせよ」
フットワークが軽い。それはいいことだが、彼女の立場からすると良すぎるのも考え物である。現に護衛であろう騎士もやや頭が痛そうにしていた。
太一の帰還を知ったイルージアが、わざわざこの場所に足を運んできた。
もちろん、太一の方から報告に行くつもりだった。
付き従うのは騎士二名と侍従一名。この慌ただしい状況下で過剰な護衛をつけることもないようだ。
まあ、周辺にはシカトリス皇国の騎士や兵士ばかり。リヴァイアサンにティアマトも近くにいることだし、部外者は太一たちのみなので、安全なのは間違っていないのだが。
「治療が終了いたしました。後は安静になされば問題無いかと」
「ご苦労。下がって良し」
「はっ。御前失礼いたします」
宮廷医師が手早く片付けて退室していく。
「アジト強襲作戦は無事成功を収めたが、そなたはどうであったか?」
太一が別行動したところまでは聞いているそうだ。
なので、その後の話を聞きたいのだろう。
「そうですね。俺が引き離した仮面の男。やつは召喚術師でした」
「なんだと……?」
険しさを増すイルージアの表情。
皇族として表情を取り繕うのに慣れているはずだが、さすがにこの情報ではポーカーフェイスは無理だったようだ。
「戦闘自体は探り合いの段階でやつが撤退したので、本格的な戦闘には入りませんでした。最後に一発、大きいのを撃ち合ったくらいで」
「ああ、はるか遠方の空で爆発が起きたが、よもやそれか」
「多分それです」
「そうか。いや、それはいい。それよりも、だ」
イルージアが何を聞きたいのかは分かるので、太一は報告を続ける。
「そうですね。仮面の男の強さは相当なものです。仮面で分かりませんが、声からすると年齢は多分俺と近いはずです。契約しているエレメンタルは二柱。魔力強度や戦闘技術こそ離れてないですが、魔力量と経験値はやつが上。ウンディーネと契約した分、総合力では互角程度だったかと」
正直に告げることにした。
つまり、契約したエレメンタルの数が同数ならば、太一が下であると。
「そうか……」
これは思う以上に芳しくは無い。
敵は撤退したが、またやってくるだろう。
それに対して、準備しなければならない。
そして、仮面の男が言った「大方の目処がついた」という言葉。これは相手に状況を推理させる余地を残す言葉なので口にしなくていい情報だ。それを言ったということで、太一が洞察した「仮面の男は理屈よりも太一を憎悪する感情が優先される」という線が濃厚になってくる。
「これは、三国首脳会談をする必要があるか……」
口元に手を当て、イルージアがぼそりと呟く。
シカトリス皇国で対処出来る問題では無い。それはとりもなおさず、エリステイン魔法王国も、ガルゲン帝国も、単身では対処不可能ということだ。ならば積極的に連絡を取り合い、国同士で協力し合って対処すべきだ。
太一たちという、国政に携わっていない部外者がいる場所だが、イルージアは聞かれても問題無いと考えている。というよりも、太一たちが中心になっている事案なのだから、この件については重大な決定であっても隠す必要性を感じていないイルージア。
でなければ、こんなところでわざわざ口に出したりはしない。
「終わりか?」
それ以上言葉を紡がぬ太一に、イルージアは確認の意味を込めて言う。
「そうですね……あ、それと」
「なんだ、まだあるのか」
「そうですね。その、陛下の不老についてですが……」
「ぬ……」
過去、イルージアはとある薬師から処方された不老長寿の薬を飲んで、不治の病から助かった。
まだ見た目通りの年齢であったことと、藁にもすがる想いから、眉唾であっても効けば儲けもの、ということで服用した。動機はごくごくシンプル。死ぬのが怖かったからだ。
結果的にイルージアは命が助かり、そして薬師の宣言通り不老となって今まで生きている。長い年月を生きることで精神が摩耗し狂うこともなく、正気を保てている。
「仮面の男曰く、陛下への投薬は連中の臨床治験だったそうです」
臨床治験。
新たに開発された薬が患者に効くのか、薬が対象とする疾病にかかっている患者に投与して、その効果を確認する実験。
シカトリス皇国では、治験には国の承認が必要という法律にしているので、イルージアもよく知っていた。
「実際に不老長寿になり、精神が狂わないことの確認か?」
「そう言っていました」
「そうか」
「不老長寿薬の効能が実証されたから、仮面の男も服用していると言っていました」
「それでか。そなたと仮面とで年齢はそう変わらないだろうに、経験値に差があったのは」
「だと思います」
イルージアはもたらされた情報を吟味しているようだった。
その表情は真剣そのものだったが、特に感情の猛りは感じられない。
太一の視線が何を訴えているのか察したようで、イルージアはふっと笑った。
「実験に使われたことは腹立だしい。しかし、それで命が救われたのも事実。まあ、勝手に我が肉体を実験に使った罪と、命を救われた功績。差し引きゼロというところよな。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「なるほど」
イルージアがそれでいいのならば太一から特に言うことは無い。
「良くやった。後は休むといい」
「分かりました」
報告はじゅうぶんだったのか、イルージアが去って行く。
執務室で仕事をするのだろう。
「……またお前は、とんでもない情報を持って帰ってきたな」
「俺が望んだわけじゃないって」
「それは分かっているさ」
太一よりも上の召喚術師がいる。
それはどう考えても明るい情報ではない。
「大丈夫……じゃないわね」
「そうだな。何かしらの対策は考えないとな」
さしあたっては火のエレメンタルとの契約である。
今やそれが最低条件になった。
あの仮面の男……結局名前も聞き出せなかったが、きっとまた会うことになる。
そしてその時は、戦闘は様子見では無く本格的なものになるだろう。
それまでに、何らかの手を講じておかねばならない。
しかし思い出されるのは、仮面の男の最後の攻撃。
あの時に覚えた違和感だ。
状況が差し迫っているというのに、一瞬の余裕すら無いというのに、どうしても捨て置けないと感じた。
それを放置したままではいけないと、思ったのだ。
(なあ、何か分かるか?)
治療も終わり、安らかに眠っている凛をぼんやりと見ながら、太一は心の中で精霊に語りかける。
『そうだね……たいちがそう感じるのも、無理ないかなって思うよ』
(どういうことだ?)
『あの仮面の子と契約してたのは風と火のエレメンタル。でも、自我が無かった』
(自我が無い?)
『ええ。何故自我がないのかは分かりませんが、それがたいちさんが違和感を覚えた理由でしょう』
三柱から説明を受けて、納得した。
なるほど、シルフィもミィも、ディーネもきちんと自我を持っている。
太一がこれまで出会ってきたエレメンタルよりも格が落ちる精霊たちも、自我を持っていることがほとんどだった。
しかし、仮面が契約している精霊は、エレメンタルと同格だと思われる。姿が見えなかったので証明はできないが、太一と魔力資質同レベルで互角の戦いができるのなら、エレメンタルしかあり得ないだろうからだ。
何故エレメンタルレベルの精霊に自我がなかったのか。
そんなことができるのか。
許されるのか。
考えても答えはでない。
けれども、シルフィたちが心配そうにしているのを見ると、少なくとも良くないことであると分かる。
目の前にいない精霊たちのことを考えても仕方は無いのだが、心には留めておこうと決める。
今は、全員こうして無事でいられたことを、喜ぶことにするのだった。