三十五話
修行開始七日目――
本日が精霊魔術についての特訓ができる最終日だ。
凛が精霊憑依の特訓をいったん棚上げして精霊魔術師の訓練に移った翌日、ウンディーネに「残り三日で終了といたします」と言われたのだ。
古竜の秘薬が完成し、また敵拠点の場所の割り出しも済んでいるとのこと。現在は消耗した身体を癒やしているのだという。それが回復次第、再びシカトリス皇国を訪れると言っていたようだ。
つまりこちらも強制的に修行の切り上げになる。
だというのに、凛の目の前には、目を逸らしたくなる現実があった。
両手を海にかざす。
「……っ」
少しだけ力を入れる。
海水を凍らせ、氷柱を一本作り出すつもりだった。
しかし、視線の先。
海面は半径数メートルの範囲に渡って凍り付き、南国の島には不似合いな流氷ができあがっていた。
「く……」
がくりと膝から力が抜けたが、そうなるのは分かっていた。
踏みとどまる。
膝に手をついて、荒くなった息を整えながら、凛は思考に没頭した。
コントロールができない。
発揮したい威力を大幅に上回った。
直径三メートル、高さ五メートル前後の氷柱を作ろうとした。
しかし結果は、高さこそ想定からそうずれてはいないが、面積はとんでもないものになってしまった。
アヴァランティナは、凛から受け取った魔力をそのまま事象として発生させているだけ。
凛の側で調整すべき事なのだ。
「まだまだ……!」
魔力はだいぶ無くなった。
しかしまだ残っている。まだ、撃てる。
心を落ち着け、集中。
魔力を丁寧に集めて、絞り、小さくする。
できる限り小さく。
起こしたいのは小規模の現象。
普通の魔術なら、手のひらに収まる程度の氷塊を作ることもたやすい。
今この瞬間にそこまでできるわけがないのは分かっている。ただ、目指すべき目標として定めている場所はそこだ。
高さ五メートル、直径一〇メートルを超える氷が意図せずできてしまう今は届くべくもない目標。
確かにすさまじい
しかも、魔力の消費度合いと、精霊魔術であるということを考えれば、威力は物足りないものになってしまっている。
精霊魔術は契約があるぶん、威力が強くなるというのは先に聞いているとおり。
それを考えれば、魔力の半分弱を失ってなお、この程度の威力しか発揮出来ていないというのが正しい。
あの大きさの氷ならば、精霊魔術でなくても作ることは可能だ。
即ち、術の規模を小さくすることもできていないのはもちろん、大きくすることもできていないということ。
消費した魔力に見合う威力が出せなければならない。魔力を半分も使ったのだ。それは決して、精霊魔術を使わない凛でも出せる威力に収まるはずがない。
とまれ、まずは威力を小さくできるようになることだ。
「……ダメ、か」
これではだめだ。
成長は見られない。
変わらないのであれば、変えなければいけない。
根本からだ。
変わったと思っていたのは自分だけで、はたからみればきっと変わっていないということだ。
しかし、今の凛でできうる最大限、繊細に魔力を操作した。
手は抜いていないと胸を張って自負できる。
凛は一度手を止め、海面に浮かぶ氷塊をぼんやりと見つめた。
「太一は、どうしてるんだろう……」
召喚術師である太一。
彼が契約しているのは、アヴァランティナよりもはるかに強い力を持つエレメンタル。
ただ、彼は大規模かつ強力な術はもちろん、今では微妙なさじ加減で繊細な術も扱うことができている。
いったいどうやってコントロールしているのだろうか。
もしかしたら、太一は細かい制御をしてはいないのかもしれない。
なぜなら、太一は精霊を見ることもできるし、話すこともできるのだ。細かい制御はせずに精霊に力を渡し、こうして欲しいとお願いするだけ。細かいことは精霊任せ……そんな大雑把なやり方でも思うとおりの結果が得られるのではないだろうか。仮にそうだとすれば、それは召喚術師であることの特権だろう。
この島にいて、かつウンディーネの協力がなければ会話はおろか姿さえ見れない自分たちとは根本的に条件が違う。
まあ、さすがに大雑把だというのは勘ぐりすぎだろう。
太一のことを馬鹿にしすぎだ。健全な思考ではない。
うまくいかない現実に、思わず思考が負の方向に傾いてしまった。
召喚術師になった当初の太一だって、大きすぎる力の制御に苦労していたし、今でも魔力のコントロールの訓練に余念が無いことを知っている。
事はもっとシンプルに、ただ単にコントロールの訓練量と習熟度の差なのだろう。そこに精霊のアシストがあることがプラスに働いているだろうことは否定はしないが。
「魔力の通りがかなりいいことは分かってる……」
分かっているのに。
知っているからといってうまくいくとは限らない。
凛はちらりと横を見る。
そちらには同じく修行に励むミューラとレミーア。
二人とも苦戦しているようだ。
それは凛と変わらない。
違うのは、扱う術の規模。
凛が使う術は、中規模にしようとしたものが大規模な魔術になっている。高さ五メートル、直径十数メートルにわたって海水を氷結させるなど、間違いなく大規模魔術だ。
一方、ミューラとレミーア。
二人が使う術は、小規模にしようとした術が中規模になっている感じだ。
レミーアの方が精度が高く、ミューラは少々甘い部分が見受けられる。……が、そんなことは偉そうにいえる立場にない。凛は中規模にすらできていないのだ。
この差はとても大きい。
焦りの感情が強くなる。
心がすさんでいるのが自覚できていた。
「……ふぅ」
自覚できているからといって、ならばそれが抑えきれるかといえばそれもまた簡単なことではなかった。
先ほどの太一を羨むような感情も、心がすさんでいるから起きたことだ。
そして、そんな自分に自己嫌悪。
心を落ち着けよう、気をしっかり。できることを。
こういうときは、実現可能かどうかは横において、もっともシンプルな解決方法を考えてみる。
何に悩んでいるのか。それにはどうすればいいのか。
答えは、すぐに出た。
(……結局は、私の魔力操作が甘いのが原因なんだよね)
そう。
これでじゅうぶんに少ないだろうと思った魔力の量が、実際には多すぎた。
結果発揮される現象が想定を大幅に超えた規模になってしまっている。
(逃避してた、だけか……)
見たくなかった現実。
それはつまり、自分がミューラに置いて行かれているということ。
レミーアとの差があるのは素直に受け入れられる。
ただ、ミューラとは互いにライバルであると自認している。少なくとも凛はそうだ。
切磋琢磨する相手として、置いて行かれるのはふがいないばかり。
……と、そこまで考えて、凛は首を左右に振った。
(ううん、違う……。ここで見栄を張るな!)
自分と向き合っているとき、ごまかしをするべきではない。
本心から目を逸らすのはとても楽だ。
理由を自分に求めなければ、根本の解決にはいたらない。
自分が負けている現実を受け入れるべきだ。
ミューラやレミーアとは違う力。
精霊憑依の力を手に入れる権利。
それに浮かれていたことを認める。まずはそこから。
(あ……っ)
ふと、思い至る。
こうして追い抜かれて感じる気持ち。
凛が瞬く間にミューラに追いついた日、彼女はどんな思いだったのだろうかと。
ミューラからすれば、凛は魔術のまの字も知らない世界から来た異人。
資質で上回り、魔術に関しても異常ともいえる速度で習熟した。
ミューラは太一と凛が現われる前からレミーアのもとで修行に励んでいた。
その積み上げた努力という道のりを一足飛びで駆け抜けた凛に対して、ミューラはどんな感想を抱いていたのか。
かあ、と、凛は顔が赤くなるのを自覚した。
ミューラが嫉妬を抱いているかのようなそぶりは、これまで凛が接してきた限り一度も見たことがなかった。
彼女は凛よりも年下だが、日本にいた頃の自分と比べてどうだっただろうか。
日本にいたころも周囲と比べて大人っぽい、とは言われていた。一方でミューラほど精神的には成熟していなかったと断言できる。育った環境、世界の違いと言ってしまえばそれまでだが、今は凛もこの世界に来てそれなりの時間がすぎている。いつまでも育った世界の違いで片付けられないことがあることも、理解していた。
ここは大人になろう。
この恥じる感情が、今はむしろありがたい。
抱いた自己嫌悪と嫉妬はそう簡単には拭えないからこそ、それを糧に気持ちを切り替えられそうだ。
恥ずかしい姿を、いつまでも見せていられない。
(……よしっ)
目を閉じて気合いを入れる。
魔力操作の熟達だ。
それがなくば、精霊魔術をまともには扱えない。
アヴァランティナの力を使いたいという焦りをどうにかねじ伏せ、凛は自分の内側と会話を始める。
時間はもう幾ばくも残っていない。与えられている時間は、実質今日だけだ。
魔力を手のひらに集めてみる。
無造作に生み出した割には、ずいぶんと搾ることができていた。
「うん、まあ悪くないかな」
これを少しずつ小さく。
「あ、その前に」
今できる最小規模の魔力操作、これを咄嗟にできるだろうか。もっといえば、狙った魔力の大きさを瞬間的に正確に狙えるだろうか。
実地では、一生懸命に魔力を操作する余裕がないことがほとんど。多少の誤差があっても特に支障はなかったが、今後は分からない。
その精度を高めることが大事ではないだろうか。
そしてそれも、魔力操作の修行になるのではないか。
「……よし」
具体的にすべきことが定まり、少し気が楽になった。
けりをつける時まで、秒読みだ。