三十六話
雪を伴った強風が吹き付ける。
海上は身を切り裂くような寒さだ。
シルフィの風の膜で防御している太一はそこまで寒さを感じていないが、その加護を受けていない船員たちは辛いはずなのだが。
(すげぇな、さすが北の海の男……)
もともと極寒の国で産みに出ていた者たち。北上するにつれて確かに寒くなっているのに、彼らの動きはまったく鈍ることがない。
白色族は魔術が得意な反面、肉体的には少々劣るのが種族特性だが、海の男たちは他種族に遜色ない逞しさを備えていた。
普通の人間にも魔術に優れた者はいる。
例えばエリステイン魔法王国のベラ・ラフマ宮廷魔術師長は正真正銘人間だが、魔術に優れるエルフや白色族の大多数よりも魔術に優れる。
ベラほどでなくとも、メヒリャだって非常に優秀な魔術師だ。
人間で言うベラ・ラフマのように、肉体的に優れる白色族が生まれた、というだけだろう。
吹雪の向こうに、うっすらと大きな島の影が見え始めている。
「あそこか……」
じきに到着か。
そう思いながら、太一は出発する前のことを思い出していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
もう後数時間もすれば出航だ。
現在、古竜もプレイナリスを訪れており、情報をイルージア、リヴァイアサン、ティアマトに伝え、秘薬を渡しているところだろう。
そして、ウンディーネの修行を受けていた凛たちも帰宅したところだった。
「へぇ、精霊魔術師か」
太一は素直に驚いていた。
凛がウンディーネに希った、限界突破。
後でウンディーネから聞いたところによると、もともとウンディーネのみでも出来たことだが、闇の精霊シェイドに協力してもらえたことでよりスムーズになったという。
彼女が言っていた、「敵ではない」という言葉。まだ心から信じられているわけではないが、世界の管理者として、理をねじ曲げてまで凛たちのパワーアップに協力したことで、信憑性がひとつ強くなった。
太一としては全面的に大歓迎だ。凛、ミューラ、レミーアが強くなるということは、それだけ死の危険が遠ざかるということ。そのぶん、より危険で強い相手とも戦うことになるのは間違いないが、それだって精霊魔術師になれず、かつ太一が何らかの理由で排除ができなければ逃げることしか出来ないのだ。
「威力はすごく上がったよ」
「そうね。比類無き、と言っていいかもしれないわ。まさかあたしたちまで人間卒業と相成るなんてね」
「そうかな? ……うん、そうかも」
かつて太一を指して言った「人間卒業」。
今は自分自身がそこに到達したことをミューラが言い、凛もまたそれを否定しなかった。
「そうさな。制御という意味ではまるでなってはいないが、少なくとも只人の出力とはかけ離れておる」
精霊魔術師となる前の状態で放てるもっとも強い魔術の二倍から三倍の威力は簡単に出せる。
そして現状ではまだ最大限の威力を出せるほどではないため、ポテンシャルは全くの未知数なのだとか。
「へえ、魔力の通りが良すぎる、ねぇ」
レミーア含む全員が突き当たっている壁が、術の制御。
術の制御に必要な魔力操作能力には太一も自信がある。しかし凛、ミューラと比較して大幅に優れている、というわけではない。ましてレミーアには追いつけてもいない。
ウンディーネに尋ねてみる。
「先天的に精霊魔術師だったなら、そこで悩むことはないでしょう。彼女たちは後天的に精霊魔術師になったので、パスの存在に慣れる必要があるのです」
太一の場合は、召喚術師という才能は先天的。なので精霊とのパスがあるのが当たり前。元から持っているものを扱うことに苦労はしなかった。
それは生まれついての精霊魔術師も同様。
一方、凛たちは手術によって新たな器官が移植されたのと同じ。
新たな器官が身体になじむまで、また身体がその器官を使えるようになるためには訓練が必要、ということだ。
その訓練として魔力操作が必要になった。
新たな力を手に入れるためのステップなのだろう。
「そっかぁ、うらやましいなぁ」
思わずごちた凛の様子から、かなり苦戦していることが伝わってくる。
まあ、こればっかりは太一にもどうしようもない。
別に欲しかった才能ではないのだ。
この世界に召喚されなければ、生涯知ることのない才能だったのは間違いない。
それに、苦戦してはいるものの、新たな難題を手にしたことを悔やんでいるようには見えなかった。
自分で望んで得た限界突破。
訓練がまだ実を結んでいないことに苦しんではいるものの、望み通り手に入ったこと自体は喜んでいるようだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
後でこっそりとウンディーネに聞いてみたところ、精霊魔術師としての力を扱えるかどうかは、魔力の運用次第。それさえできれば、思うままに精霊魔術を使えるとのことだった。
それは翻って、太一にできることは無い、ということ。
いや、無いというのは間違いだ。
凛のそばにいるアヴァランティナ、ミューラの精霊ミドガルズ、レミーアの精霊ブリージアとは簡単に言葉を交わしている。
彼ら彼女らの言葉を太一が通訳することは可能だ。
しかし、それは最終手段、今はその時では無いとウンディーネ。
ウンディーネ曰く、いつもの戦闘では勝てない相手に通用する切り札を手に入れた状態だという。
ハイパワーではあるが魔力も大量に消費するため、万全の状態でせいぜい二発から三発、との見立てだった。
(ともあれ、今の状態でも、かつてあなたたちが対峙したツインヘッドドラゴンにもダメージは与えられると思いますよ。ツインヘッドドラゴンが油断していれば仕留めることもできるやもしれませんね)
それは凄い。
全開で魔力強化してまったく刃が立たず、当時エアリィだったシルフィと契約したことでようやく退けた相手なのだ。
まあ、今の訓練の進捗状態では、精霊魔術の予兆を感じた瞬間にツインヘッドドラゴンから油断が無くなるため仕留めるにはいたらないだろう。当たれば、というのも無論ある。ただ、出力だけを言うなら仕留められるというのだ。それが出来る人間が果たして存在したか、ということ。
ともあれ、それを二、三発撃ったら後はおしまい、という状態は、何より当人が一番脱却したいと思っているのは間違いない。
それ故の魔力操作の訓練。
精霊魔術の習熟について、一番進んでいるのがレミーアというのも納得だ。
他のことを一切考えずに集中している凛とミューラに対し、他のことと並行で行えるレミーア。魔力操作の技術の差が顕著に現れている。
「む……やはり、警戒されているようだな」
考え事をしながらレミーアと会話していると、ずいぶんと島まで近づいていたようだ。
島の海岸線には武装したマーマンとマーメイドが並んでいる。
古竜曰く、人間と接しないで済むよう、極寒の秘境に居を構えているのだとか。
マーマンは力が強く、水の魔術では他の追随を許さない亜人。
立ち姿はニ足歩行で人間のようだが、全身に魚の特徴が出ている。顔も人間らしさが多少あるものの、ほとんど魚と言っていい。
過去にはその力を狙った為政者が奴隷にするために幾人ものマーマンをさらったのだとか。
またマーメイドは男女ともに美しい外見をしており、異性を惑わす歌と水流操作という特殊能力、水の中でしか生きられないが反面泳ぎに関してはマーマン以上の力を持っている。
その美しさから、マーマンとは違う理由で奴隷狩りの憂い目に遭った過去を持っている。
故に人がまず近寄らないこの島に居を構えているのだろうし、人間の船が近づくことに警戒するのは仕方ない。
「そこの船と蛮人どもよ! それ以上接近した場合撃沈すべく攻撃を仕掛ける! 冷たい海に叩き込まれたくなくば今すぐ引き返せ!」
マーマンからの警告は、まだ距離があるというのに明瞭に聞こえた。
確かに姿が見えるほどまで近づいてはいるが、それでもただの大声が届くような距離ではない。
何らかの魔術を行使しているのだろう。海の種族だが、水属性だけではあるまい。
「むぅ。古竜殿から聞いていた通り、警戒されたな」
船団を指揮するのは、側仕えにかしづかれながらこちらに現れたイルージア。
リヴァイアサンとティアマトの眷属に手を出したということは、即ちシカトリス皇国に手を出したのと同じ事。
現地に赴き指揮を執るのは当然と譲らず、結局ここまでの遠征軍を率いてきた。
イルージアは即座に判断を下す。
当然ながら、こちらにマーマン、マーメイドと事を構えるつもりはない。
事前に示し合わせたとおり、彼らとの対話を行う者は決まっていた。
少々力業だが、シカトリス皇国側も手段は選んでいられないのである。
「では、手はず通りに頼む」
『心得た』
ずざざざ、と海面が盛り上がり。
リヴァイアサンとティアマトが顔を出した。
海の王と、そのつがい。
当然ながら、北の海を支配する二頭の竜のことは、マーマンもマーメイドも知っていた。その威容にたじろぐ。
「へえ、すげぇ。パニックになってないな」
「そうだな。かの竜相手ならば、取り乱して逃げ帰っても誰も責めはできまいがな」
何せ海の王だ。存在の次元が違う。
逃げ帰っていったい誰が責められよう。
しかしマーマンとマーメイドは驚きおののいてはいるものの、誰一人として逃げ出しはしなかったのだ。
『その意気、見事。海の民たちよ、この船の者らは、そなたらを害するために訪れたわけでは無いことを、我の名において保証するのである』
「……そう、なのですか?」
『うむ。用があるのは、この島で我が眷属に手を出している不届き者である』
「そのような不敬な真似をするものは、我らにはおりませぬ!」
『分かっているのである。この島に潜んでいる者どもがいるのだ』
「なんと、そのような……」
マーメイドもマーマンも知らないようだ。
つまり、この島に巣くう者たちは、彼らに手を出していないということ。それがどんな理由かは分からないが。
まあ大方、一度手を出せば敵対することになるのは間違いなく、それで紛争が起きれば派手な戦いになる。
ひっそりと潜伏したい彼らにとっては、そのような派手な催しは避けたいところだったのだろう。
その判断は正解である。何せマーマンとマーメイドはリヴァイアサン相手に逃げ出さない勇敢な者たち。
そんな彼らに手を出せば、間違いなく全面的に対立することになっていただろうから。
『その不届き者らとの対決になる。この島全体が戦場になる可能性も低くは無い。敵を排除し終われば我らは去る故、悪いことは言わぬ、戦えぬ者を連れて遠くに避難しておくのである』
「……」
即座には決めかねているようで、明確な返事は無い。
『……逃げぬのも自由であるが、戦闘になった際、そなたらの安全に配慮はしきれぬ。我もティアマトも、全力を出すであろうしな』
「わ、分かりました……! 避難することにいたします!」
『うむ。速やかにな。いつ戦闘が始まるか分からぬと心得るのである』
「は、はい!」
マーメイドとマーマンが慌ただしく去って行く。
『イルージアよ、これで良いな?』
「十分だとも。助かった」
『なんのこれしき、どうということもない』
イルージアのことは、竜の威を借る矮小な人間に見えることだろう。
しかしその程度で不要な被害が抑えられるのならばためらう理由は無い。
「では、マーメイドおよびマーマンの退避が終わり次第、作戦を決行する。各自配置につき戦闘態勢に入れ」
「はっ!」
イルージアの命令に、兵士たちが慌ただしく動き始める。




