二十四話
これが都合二度目の海底神殿だ。
今回は、転移魔法陣ではなく潜水艇からの上陸となった。
これが、普段イルージアが利用している移動方法だ。
「助かったぞ、海の王よ」
レミーアが振り返って礼を言う。
彼女の視線の先には、潜水艇の素材を提供したリヴァイアサンの姿が。
『礼は不要だ。ウンディーネ殿に頼まれた故な』
そう。
普通に航海した場合、この場所までは潮の流れが良くて一日、潮の流れが悪いと二日はかかる距離にある。リヴァイアサンに引っ張ってもらったから、これだけ早く到着したのだ。
潜水艇の乗員は六名。船長一人、操縦士二人、整備士一人、イルージアの世話役二人、そしてイルージアの六人乗りである。
今回はウンディーネに依頼されたリヴァイアサンのおかげで速く到着したため、狭さ故のもろもろの諸問題による我慢は必要最低限で済んだ。
海底神殿の性質のため、この船には女性しか乗船できないのでその辺りの警戒は不要なだけ、ありがたいというものだろう。
『では、終わる頃にまた来よう。時間に猶予はあれど、節約できるものはそうするに越したことはないのであるからな』
「その通りだな。済まぬが、復路も頼む」
『任せるが良い。ではな』
リヴァイアサンは海水に潜っていった。
「では、我々はここで待機しております」
船長の女性が、凛たちに向かって頭を下げる。
この場所で待たせることになる彼女たちに改めて礼を告げ、凛たちは改めて扉の向こうに足を進めた。
強い光が扉の先から放たれる。
しかし、そうなることは分かっていたため、三人とも既に目元をかばって光が収まるのを待つ。
光が収まった先には、これまでの洞窟とは一変した光景が広がっていることだろう。
やがて、まぶたを刺すようなまばゆさが収まったのが分かった。
目を開けた凛が最初に抱いた感想は。
いつか写真などで見た、南の島というのが一番しっくり来るだろうか。
現在、凛たちは芝生のような場所に立っている。数歩足を進めれば白い砂浜。青い空とのコントラストがよく映える。
周囲には椰子のような木がぽつぽつはえている。
振り返ると、少しずつ坂を上っていくようになっている。現在地となった島はそこそこ広いようだ。今凛がいる場所からは全容は把握できないくらいには。
「ようこそいらっしゃいました」
聞き覚えのある声がする。
見ると、海面から水が渦を巻きながら上昇していた。
海の二メートルほど上に水の球ができあがり、それが軽く弾ける。
その水の球から現われたのは、やはり水のエレメンタル・ウンディーネだった。
ウンディーネは穏やかに微笑みながら、ゆっくりと近づいてきた。
「こちらにいらしたということは、ワタクシの修行を受けるつもりがあるということですね?」
無論そういうことだ。
凛が求めたのは、限界突破。
今後も太一についていくのならば、絶対に必要になること、なのだが。
「私たちじゃ、どれだけ努力しても今以上の力は得られそうに無いから……」
凛は悔しさを滲ませる。
「そうね……このままじゃ、足手まといだものね」
「もはや私たちの常識にはない方法しかなさそうだからな」
それを言われ、ウンディーネはこくりと頷いた。
「ふふ……なるほど。確かに上限を超えるのは、人間では困難を極めるでしょうね」
ウンディーネはしとやかに微笑む。
「お伝えしたとおり、可能性はございます。むやみに焦らすのも本位ではございませんでしょう」
もったいぶらずに教えてくれるようだ。
「お教えしましょう。魔力量と魔力強度の上昇が難しいことを考えますと、皆さんの強さの段階を引き上げるには、出力の手段をより高度にするのが良いでしょう」
「出力の、手段を高度に……?」
「……いったい何を?」
「普通は身近にはありませんが、皆さんにとっては身近なはずです」
「……まさか」
ウンディーネが言いたいことを察したのは、レミーアだけではない。
ミューラも、そして凛もほぼ同時に勘づいた。
「そうです。皆さんも、精霊と契約をするのです」
◇◆◇◆◇◆◇◆
予想していなかったと言えば嘘になる。
思考の片隅に、この可能性を考えたこともあった。
だが、実際にそうなるとは思いも依らなかった。
まずは話を聞いて欲しいとウンディーネに言われ、いったんその場に腰をおろしている。
「つまり……私たちが、精霊魔術師になるのか?」
搾り出すように呻いたレミーアに対して、ウンディーネはたおやかに頷く。
一瞬たりとも間が無かった。冗談を言われているわけでは無い。
あっさりと、まるで「今日は良く晴れていますね」とでも言うかのように常識をたたき壊されてしまったのだ。
しかし、精霊魔術師になるというのは、確かに可能性としてはとても大きく感じられた。
精霊魔術師とは――
精霊「魔術師」と表記されるが、実際に術者が使うのは魔術では無く魔法に分類される。
時折行われる主張として、精霊魔導師とするのが正しいので変更してはどうか、というものがある。
その主張自体は正しいものだと誰もが認めるのだが、既に精霊魔術師という呼称が浸透して既に長い年月が過ぎており、多くの人々に精霊魔術師と認識されている。
それを覆す労力を誰が払うのか、という話に行き着くわけで、そうすると誰もが二の足を踏んでしまう。一度世間に浸透したものを上書きするのはとんでもない労力が必要だからだ。
さて、精霊魔術師は精霊魔法を使う。それは普通の魔術師が使う魔術と何が違うのかといえば、精霊魔法と魔術には、基本的に違いは無い。どちらも、魔力を精霊に捧げて力を与えてもらう、という一連の工程は同じだからだ。
では何が違うのかというと、契約の有無だ。
魔術師は、周辺に漂う不特定多数の精霊のうち、応じてくれた精霊に力を与えてもらっている。
一方精霊魔術師は、特定の精霊と契約を結ぶ。太一のように姿が見えるようにしたり、声が聞こえたりはしない。しかし契約を結ぶことによって、パスが生じる。そのパスを介して精霊から与えられた力は、魔術師が受ける力とは一線を画する。
それが、精霊魔術師がユニークマジシャンであると言われるゆえんだ。
精霊魔術師と普通の魔術師の違い。それは、言ってしまえば契約の有無、ただそれだけだ。
「契約がそんな簡単に行えるのなら、精霊魔術師は、ユニークマジシャンには分類されないはず」
そう。
精霊と契約できる者など、希有などという言葉では言い表せないからユニークマジシャンなのだ。
まず、精霊を見ることはおろか、その存在を感じ取ることすらできない。
太一に言わせれば、力や存在の大小はあれど、そこら中にいるらしいのだが。
「その通りです」
精霊魔術師とユニークマジシャンについて呟いた凛の言葉を、ウンディーネは肯定した。
「ですが、はなから可能性が無いことを、可能性があると偽ったりはいたしませんよ」
「……」
それもそうだ。
できないことをあたかもできるかのように言ってつけ込むのは詐欺の常套手段だ。
「じゃあ、どうやれば、そんなことが可能なのかしら……?」
顎に手を当ててミューラが考え込む。
どうすれば実現するのか。まったく想像すらできない。
「それでは、説明いたしましょう」
ウンディーネは咳払いの真似をすると、人差し指をぴっと立てた。
「まずワタクシの話を聞く上で、前提として一つ。お三方はご自身が恵まれていることを、まずは自覚なさってください」
よろしいですね? と尋ねるウンディーネ。ひとまずは話を聞かなければ何も判断できない三人は、言われるままに頷く。
三人を見て満足げに微笑むと、ウンディーネは続けた。
「そもそも、何故只人は精霊と契約ができないのか。これは、非常に簡単なことです。この世界の只人は精霊が実在することを知っております。……ですが、精霊が実在することを信じている者は、意外にもごく少数なのです」
この世界の人間は、幼い頃から精霊はいると言われて育つ。それは土地が変わろうと、国が違えども不変的なものだ。
では、実在すると認識している者たちが、精霊を信じているかと言えば、これには疑問符がつく。
「精霊のことを、見ることはできません。周囲の人間が口を揃えるために実在すると認識しているものの、本当に存在するのかの証明は誰にもできないのですから」
ここまで聞いて、ハッとした。
何故簡単なことなのかも理解できた。
そして、何故凛たちが恵まれているのかも。
「……!」
「皆さんは、精霊のことを信じている。もはや陽が沈めば翌朝昇るのと同様の、信念とすら言えるでしょう。当然です、何せ、こうしてワタクシやシルフィ、ミィとふれあい、言葉を交わしてきたのですから」
なるほど、理解できた。
ウンディーネの言い分を元にすれば、精霊と契約できるか否かは、イコール精霊が実在すると信じているか否かだ。
だとするとだ。
「私たちには、可能性がある……?」
「その通りです。無論、確実にとは申し上げません。ですが……今この世界で、誰よりも精霊魔術師へ近い位置にいるのは、間違いなくお三方です。……精霊のワタクシがこう宣言しましょう。精霊魔術師は、ユニークマジシャンではない、と」
見えた光明。
それは精霊魔術師への昇華。
間違いなく、限界突破と言っていいだろう。
「そうか……そこまで言われては、挑戦しない選択は無いな」
レミーアはそう言って笑う。
「これ以上の条件は、恐らく今後無いと思います」
「そうだなミューラ」
師と友が明るい顔をしている。
そこで降って湧いたこのチャンス。飛びつくべきである。
「これは、絶対に挑戦すべきですね」
「うむ」
三人は顔を見合わせ、頷いた。
「まとまったようですね。それでは、チャレンジしてみる、ということでよろしいですね?」
「うむ」
「ええ」
「やります」
「良いでしょう。では……」
ウンディーネがぱんぱんと二拍手をたたく。
すると、周囲に複数の精霊が現われた。
「始めるとしましょうか」
これほどの数の精霊など、見たことがない。
大きさも見た目も、存在感の強さも様々な精霊たち。
ただ一つだけ言えるのは、たとえ精霊の格は下の方でも、人間に比べれば桁が違うということだけ。
限界を超える。
これまででもっとも難しいであろう修行が、今始まろうとしていた。