三話
シカトリス皇国 首都プレイナリス 皇城の夜――
その部屋の幅は広い。そしてそれ以上に縦に長く、天井までの高さもある。
扉から奥まで、その中央の導線には赤い絨毯が敷かれており、絨毯を挟んで両側には等間隔に装飾が施された柱が林立している。
天井にはドラゴンなどの見事な絵画が描かれ、部屋全体を見下ろしている。
一番奥は床よりも少し高くなっており、そこに据え置かれたひときわ豪奢な椅子には、一人の少女が座っていた。
謁見の間には騎士や兵士に官僚、大臣と多数の人間がいるが、その中でも誰よりも透き通った白い髪を、頭の横、頂点に近いところで結って真横に垂らしている。
その髪型は、子どもらしい外見に非常によく似合っていた。はまっている、と言ってもいい。
一〇(とお)を数えたばかりに見える玉座の少女。しかし実際は、とある理由により三〇〇年近い時を生きる存在だ。
名をイルージア・シカトリス。
この国の頂点である彼女が座すここは、玉座の間である。
赤と黒を基調とした、比較的簡素なドレスをまとっている。もっとも、あくまでも彼女が持つあまたのドレスの中では、という注釈がつく。この一着でも一財産になるのは間違いない。三大大国に数えられるシカトリス皇国国家元首のレパートリーの中にはそれはそれは高価なものも当然ながら存在する。ただ、他国の貴族や、自国民でも見栄を張るべき相手との謁見ではないため、必要最低限の装いにしていると言うだけの話だ。
肘掛けに肘を突いて頬杖をついたイルージアは、彼女の正面、玉座から離れたところで跪く各部署の部下の報告に耳を傾けていた。
一見けだるげで興味なさそうな顔をしているが、その実内容を聞き漏らすことなく、聞き取りながら考えを張り巡らせる程度は朝飯前だ。
自分が裁決をとるべき案件なのか、あるいは部下に投げても良いものかの判断と同時に、この場で回答できるもの、回答すべきもののより分け。
同時進行にしか見えないが、もちろんそんなことはない。
処理はひとつひとつ順次行っている。ただ、それが普通の人間では考えられないほどに速いのだ。
数人の報告を聞き終えたイルージアは、小休止とばかりに湯気がたつ茶をひとくち飲んで喉を潤わせた。
そのタイミングで玉座の間の扉が重厚な音を立てて開き、一人が入室してきた。
そのまま次に待つ報告者の順序を無視してイルージアの前に跪いたのは、鎧にマントを羽織った壮年の男であった。
首都全体の守護や警邏を目的として選抜された、権力も実力も人格も持ち合わせた腕利きの騎士でのみで構成される、第九騎士団の団長、メルクリアスである。
数字が若いからより権力がある、ということはない。どの隊も、イルージアの名の下に平等である。
第一騎士団は皇城とイルージアをはじめとする重鎮を護る近衛騎士団。活動場所はもちろん皇城だ。
第二騎士団から第八騎士団までは、歩兵、騎兵、斥候、兵站、工作など、主に戦場での活躍を目的として設立された団。場所は城壁の外、国全土に及ぶ。
そして第九騎士団は、首都内の治安維持が主任務だ。けんかの仲裁から酔っ払いの保護に始まり、事故の調査や凶悪犯の制圧、首都正門の守護責任者も務める。どの騎士団にもそれぞれに管轄する兵士部隊がいるが、第九騎士団の場合は警邏隊などがそれにあたる。
首都内の治安の責任を持つ騎士団だけあり、かの団の騎士達は尊敬を集めている。何せ国家元首イルージアのお膝元だ。ここの治安が悪いと言うことは、すなわちイルージアの評判に直結するのだから。
閑話休題。
メルクリアスの報告は、イルージアとしても常に気にしているところだ。
国を作っているのはイルージアでも、貴族でもない。国は人で作られている、という考えからである。
第九騎士団を始めすべての騎士団団長の報告は、謁見と書面があるが、謁見の頻度は低めだ。日々国の各所で事件や事故は起きているが、そのすべてを一から十まで聞いていては、時間がいくらあっても足りないからである。
情報を秘匿したり偽ったりする者は騎士団の団長になれず、それをした場合は厳罰となる。そのため、団長に与えられた裁量の範囲内で片付けられる案件で、イルージアが直接聞くべきことで無い場合。そもそも騎士団長が謁見の間に来ることなく、書面での事後報告で終わるのだ。
逆に報告があるときは、彼ら自ら謁見を申し出るのである。本日は、イルージアが一日の終わりに各部署から直接報告を聞く日常公務のタイミングで、第九騎士団長が急遽謁見を申し出たというわけだ。
「面をあげよ」
イルージアの許可に、騎士団長は一拍間を置いて顔を上げた。
「次はそなたか。直接の報告とは久しぶりだな」
そう、第九騎士団団長がここにいるのは、割と珍しい部類の出来事だ。それはイルージアも感じたのだろう。彼女は思ったまま、言葉を紡いだ。
「陛下。お時間いただきありがとうございます。至急、お耳に入れたい件がございまして」
貴族や王族などに特有の、やんごとなき身分同士であれば必要な前置きも、騎士団長は法律で免除されている。
イルージアに予定があっても、割り込んででも時間をもらうことができる。
つまり、第九騎士団団長である彼の割り込んでの謁見報告は、急ぎではないにせよ、座視はできない重要な案件であるということだった。
それを分からぬ者は、玉座の間にはいない。急激に緊張感が高まり始めていた。
なお、騎士団長が歩いてやってきて、略式の礼で済ませず膝をついたことについては、安堵すべきである。
彼がイルージアの元に駆け寄り、膝をつかず即本題に入った場合、緊急事態であることはほぼ確実。対応が遅れるOR初手を誤った場合、大きな被害が出るだろうことは確実だからだ。騎士団長らが皇王に対してそれらを許されているのは、時間が勝負の非常事態に体裁など取り繕っている暇などないからである。
「良い。前置きは不要だ。本題に入れ」
「はっ」
メルクリアスはそのまま報告を始めた。
「本日昼過ぎ、エリステイン魔法王国より、Aランク冒険者一名、Bランク冒険者三名がプレイナリス入りしたことをご報告申し上げます」
ガタッ!
そんな音と共に腰を浮かせた、何を隠そうイルージアである。
彼女は驚きが顔に出ているのも構わず、肘置きに手をつき、上半身を前のめりに乗り出した。
そのリアクションで十分だったのだろう、騎士団長は一つ頷く。
「ご推察のとおり、かの者らはエリステイン魔法王国に本拠を置く、『落葉の魔術師』殿とその弟子達でございます」
「……そうか!」
期待通りの言葉が聞けたからか、イルージアは椅子に座り直すと、眉間をつまんでもみほぐす。
「……向こうからやって来てくれるとはな。何という僥倖か」
そこには、エリステイン魔法王国のお偉方などが女狐と揶揄した姿はない。
祖国を憂う王だけが、そこにいた。
「我が国も、まだまだ見放されていなかった、ということですな」
イルージアの様子は、決して大げさなものではない。それは、重鎮のひとりがこぼした言葉からも明白であった。
「それでは、かの者たちに登城するように取り計らわさせていただきます」
「丁重に、な」
「仰せのままに」
「うむ。では行け」
騎士団長は恭しくこうべを垂れた。立場上、二つ名を持つとはいえ一冒険者に対して登城の命令という形式は崩せない。けれども、丁重に、の言葉の裏に隠された、「登城していただく、という心持ちでな」というイルージアの副音声を、騎士団長は正しく受け取った。
「はっ。御前、辞させていただきます」
立ち上がり見事な拝礼をイルージアに向け、騎士団長は失礼にならない程度に早足で出て行った。この辺りのさじ加減は見事である。
「それとだ。アズーラル軍務卿」
「はっ」
イルージアに声をかけられて即座に反応したのは、ウェイン・アズーラル伯爵。軍の現場でのトップが将軍であるなら、軍務卿は内政上のトップ。と同時に、情報戦のための影を統括する立場でもある。
「登城が即座にかなわぬ場合に備え、彼らが我が国に来た理由についても並行して調査しろ。くれぐれも、礼は失さぬようにな」
「御心のままに」
イルージアの勅命の元、にわかに慌ただしくなる玉座の間。
それぞれが与えられた仕事に向かって動き始めた時。
事態は、急変する。
「っ!!」
轟音と震動。
堅固に設計されて建築された皇城の中でも、特に堅牢に造られた一角である玉座の間が、衝撃をいなしきれずに壁面がびりびりと唸っている。
突然のことにかなり心臓にきたが、皇王としての矜持で声をこらえたイルージア。
不定期に、不意に起こる衝撃と震動であるが、珍しいものではなくなってきたことも功を奏した。
「報告!」
アズーラルが声を張り上げる。
「すぐに参ります! お待ちを!」
それに応じたのは、近衛騎士団長――第一騎士団の肩書きを持つ男、ダルダイン。彼は副団長および数名の部下と共に盾を手にイルージアの前に立った。
天井などの落下が起きた場合に、イルージアの身を守るためだ。
近衛騎士団長の言葉どおり、報告のための騎士が玉座の間に飛び込んできた。
緊急事態であろうと、そのような無作法がまかり通るのは騎士団長だけだ。ただ、それは平時の場合である。最近ではあるが、プレイナリスはイルージアの命令で厳戒態勢が敷かれ、それは今も解けていない。この状況が他国まで知れ渡るのも時間の問題だ。現に、それを聞いて早々に引き返した商人や冒険者もいるからだ。
この厳戒態勢により、特例が設けられている。この件に関する報告である場合のみ、騎士団長と同等にしてよいとお達しが出ているのである。
「報告いたします! 北東方面、角度三〇に出現いたしました!」
「くそ、大波が来るところじゃないか!」
「沿岸に人はいないはずだな!?」
「命令を無視する者まで守り切れんぞ!」
怒号が飛び交う。
このところは常にこうだ。
王都の沿岸側は大波によって洗い流され、もはやボロボロである。当初は都度復旧しようとしたが、直す端から破壊されるため、今では放置されていた。
「避難誘導だけは確実にやれ! 人的被害が少なければ多少のことは構わぬ、行け!」
イルージアが指示を飛ばす。
天上からの命令を受け、各々が即座に動き始めた。
なおも続く震動が城を軋ませる。
玉座の肘掛けを掴む手に、知らずに力が込められていることに、イルージアは気付いていなかった。
悪態をつきたくなる気持ちを理性でこらえ、彼女は海の方に目を向けた。
「これはすごいな……」
空を飛んで海岸付近までやってきた太一。そこそこの高度を取っているが、視力を強化すれば距離は関係ない。全体を把握するには俯瞰視点がいいだろう、という考えだ。
陸地からそこそこ距離のある沖で三つ首の竜と長大な蛇のような竜がぶつかり合っている。
正確なところは太一には分からないが、波打ち際に立った人間の目からみて、水平線までは数キロの距離があったはずだ。まあ、それも地球での話なので、この世界では差分があるかもしれない。
それはさておき。
ここから見ても、二頭の竜はかなりの大きさであることが分かる。
巨体であるということ以上に、この世界の竜は、見た目以上のパワーを内包している。
故に、激しくぶつかり合った瞬間に周囲に衝撃波が散っていることが珍しくない。
断続的に太一の身体に届く衝撃が、ビリビリと身体を震わせる。
その衝撃からか、海岸線は高波に襲われていた。
「……あー……」
既に何度も被害に遭っているのだろう。
遠目に見える崖が切り立つところはいい。しかし真下にある港の被害は決して小さくはない。
人の影は一切見えず、がれきや木片が北の海の冷たい水をかぶり、洗い流されている様子が見えた。
痛々しい光景に適切な表現ができず、ただ少しうめいた。
「ん?」
海岸線から少し高台に上がったところには、多数の兵士達が見えた。波が届かないところから、更に安全マージンを取っているのが見える。
手慣れているのだろう。状況を見守るのと同時に、野次馬しようとする命知らずな民を通さないバリケードの役割も同時に果たしていた。
兵士も含めて彼らは太一に気付いていないようだ。海で事件が起きているのに、空にまでは目が行かないのも当然と言える。
と、その時。
強烈な魔力の波動を感じて、太一は視線を二頭の竜に向けた。見れば、三つ首竜の頭のうち、真ん中にある頭が、その口に膨大な魔力を圧縮していたのだ。周囲の海がわずかに泡立っている。それだけのエネルギー量があるブレスということ。
シーサーペントらしき竜がブレスを逸らそうと動いているが、間違いなく間に合わない。完全に想定外、という雰囲気だ。
ビリビリと感じる圧力に、考えるよりもはやく身体が動く。照準は、陸地。ちょうど太一の真下、兵士達が集合している場所。
竜がそこを狙っているのかどうかは分からない。分からないが、それは重要ではなかった。
ブレスが来る。
それにざわつき慌て、諦観の中ブレスに対抗しようとする兵士達の前に、太一は身体ごと躍り出る。
彼らに抗えるものではない。太一が右手に魔力を込めるのと、ブレスが放たれるのは同時だった。
迫り来る球状の塊がまばゆく輝くのを見て、反射的に込める魔力を強める。
集めた魔力に風と土の属性を混ぜ合わせる。見た目は思い切り金属バットだ。形はほぼバットだが、野球で使うわけではないことを考えればメイスと呼ぶのが良さそうである。
見た目はただのメイスだが、もちろんのこと見た目どおりのメイスではない。風を纏っているのもそうだし、そもそもこれを誰が造ったかを考えれば、だ。
風で設けた足場で右足を強く踏ん張り、風と土精霊謹製のメイスで竜のブレスを思い切り打ち返した。
激突の衝撃を辺りにまき散らし、竜のブレスは、太一のバッティングフォームのとおりにはじき返される。
絶望が迫っていた兵士達はもちろん、二頭の竜もまた驚きに一瞬動きを止めた。
「っし、完璧」
竜が誇る巨体の上を通過して、北の冬の海、水平線の向こうに消えていくブレス。それを、兵士も、竜も見送った。
海の向こうにまで広がる、雪をちらつかせる曇天が下からの強い光に照らされ瞬く。それから数秒後、重低音が効いた震動が届いた。
我に返るのは、蛇のような竜の方が一瞬早かった。長い胴を遠心力を効かせて振り下ろし、三つ首竜を上から激しく打ち据える。
激しい水柱が立ち、不意を突かれた三つ首竜は強打によって気を失ったのか、ゆらりと海面に横たわった。
蛇のような竜は太一を一瞥すると、三つ首竜に巻き付いてゆっくりと海の底へ沈んでいく。
向けられた視線から、なんとなく、三つ首竜を斃すのが目的ではないと太一は思った。
「失礼」
竜たちを見送っていた太一に、背後から声がかけられる。
かばった兵士達だろう。
振り返ると、統一性のある装備をまとった集団。その中で一段装備が上質な兵士が、一歩前に出ていた。
フルフェイスのヘルムを脱ぐと、あらわれたのは妙齢の女性の顔。他の兵士達に比べて、少し線が細い印象を受ける。
「私は第九騎士団中隊長、マルグリッド・ラミタールと申す。このたびは我々への脅威を退けていただき感謝する」
そう言って彼女が敬礼すると、後ろの兵士達も揃って敬礼した。これだけの部下を抱え統率していることを考えると、いわゆる女傑というやつなのだろう。
マルグリッドは眉尻を下げると、申し訳なさそうに告げた。
「……が、職務上、感謝だけして貴殿と別れる、というわけにはいかん。命の恩人に対していささか心苦しいが、少し話を聞かせていただいても?」
一糸乱れぬ隊列を組んだ兵士達からは、油断は感じられないものの警戒や敵意は見られない。
竜のブレスをはじき返した太一の技に込められた魔力。警戒など無意味だと肌で実感したからである。
太一はそのことについて特に考えもしなかったし、知ろうともしなかった。
そんなことは些細であり、気にしたところで仕方ないからだ。太一の方から、敵対する意思などないのだから。
「もちろん」
太一はそのまま着地すると、特に気負い無く、騎士の集団に近づいていった。




