二話
肌を刺すような冷えきった風が吹いている。
馬車の中なので直接風は当たらないが、四人全員、防寒着をしっかり着込んでいる。
ただし馬車の中にいる女性陣の格好は、この土地を訪れる普通の商人や冒険者に比べれば、一段、あるいは二段は防寒が甘い。それは、太一がシルフィに力を借りて、馬車の中の空気を逃がさないようにしているため。外の風が当たらないのと、馬車の中に生じた熱が外に逃げないことで、この寒冷地帯を旅するにしては、快適な空間が確保されていたのだ。
結界のようなものが張られている、と考えれば話が早いだろうか。
シカトリス皇国に入って、首都に向かって北上していくにつれ、寒さが厳しさを増した。
帝国は冬にしてはかなり暖かかった。冬真っ盛りの季節に南下したため、過ごしやすい場所で寒さが一番厳しい時期を逃れたのだ。
エリステインを出発して帝国から帰国するまで期間にして数ヶ月。帰国すると、エリステイン魔法王国は、だいぶ寒さも和らいでいた。
けれども、シカトリス皇国は北国。そして、土地もおしなべて高地であるからか、国土のほぼすべてと言っていい割合で極寒。加えて豪雪地帯。比較的緩いのは、ガルゲン帝国との国境から多少北上して徐々に標高が上がるまでである。
寒さはまだまだ和らいではおらず、シカトリス皇国の冬としては平均的な、しかしこの国の人間以外の者には非常に厳しい寒さが続いていた。
現在は降雪のピークも過ぎているが、降らないわけではない。
これまでに降った雪もだいぶ減ってはいるが、平原はまだまだ真っ白である。街道は人の往来で通行しやすくはなっているが、地面は見えない。むしろ、踏み固められて滑りやすい街道よりも、平原の方を進む旅人や馬車の方が多い。
かくいう太一たちも、進んだ場所は街道ではなく平原だ。
なお、外を歩くクロは、寒さなどまったく堪えないとばかりに確かな足取りで進んでいた。さすがにAランクの魔物、人間よりも遙かにタフである。
一方、御者をしている太一は、この極寒の地を進むに相応しい、完全防備だ。もっとも、シルフィの力にて、寒さ自体はかなり緩和されているのだが。
「止まれ」
シカトリス皇国の首都プレイナリスの正門に並ぶことしばし。順番が来たため進めた馬車を、長尺の杖を持った門番が立ち塞がって制止した。
白色族。もちろん彼にも、その特徴が出ていた。
白色族とは大地に根付く強い魔力によって変異した人間のことである。アルビノではないが白い肌に白い髪を持つ。またエルフほどではないが、人間と比べると美形が多いと評判である。強い魔力にさらされてきた影響からか、魔術が得意な種族である。一方で身体能力は人間のそれよりも劣り、またタフさでも人間を下回る。美しく、はかない。そんな言葉がしっくり来るのが白色族である。
門番である彼が持つ武器が杖なのも、種族特性があるからだろう。腰には剣をはいており、また足運びも武人のそれではあるものの、あくまで主体となるのは魔術。その種族特性は、門番の装備からも伝わってきた。
それなりの大きさの馬車をひく馬が一頭であることにわずかに怪訝そうにしたものの、彼の意識はすぐに御者である太一に向いた。
太一はその視線に頷くと、即座に冒険者カードを渡す。
カードを受け取った門番は、内容を見て軽く眉を動かした。
「ほう……若いのに見事なものだな。目的は?」
身をあかす要素としては十分といえる、ランクB。
であるならば。国境をまたいだ理由も分かろうものだが門番は念のために質問する。お役所仕事ではあるが建前というものは大事だ。確認した、という事実が。
「ちょっと、知人の頼み事でな。仕事しに来たんだ」
太一の言葉に、門番は頷いた。
さもありなん。彼の想像したとおりの答えだった。冒険者が国を超える理由は仕事のためというのがほとんどだ。それが一時的にせよ、長期的な活動拠点の変更にせよ、国としては歓迎すべきことだ。優秀な冒険者は、どの国も確保に苦労しているからだ。とはいえ。
「今、この国は厳戒態勢が敷かれたところでな。他国からの訪問客は拒んではいないが推奨はされていない。街中も安全とは言えない状態だ。構わないか?」
厳戒態勢。その上で、安全ではない。
どの都市も、絶対の安全がないことは、太一も知っている。
国家が言う非常事態とは、戦争かそれに準ずる危機ということだろう。
が、分かっていたことだ。
危険があるということは。
門番は視線を太一から後ろの荷台に移す。
「荷台は?」
「仲間が乗ってる」
「そうか。では、検めさせてもらうぞ」
「ああ、頼む」
もちろん、荷台の検分も忘れない。Bランク冒険者が騙ることは事例として非常に少ないが、これもまた、先と同じ理由で必要なことである。
「どうぞ」
「ああ、済まないな」
馬車の後ろに回る門番より先に幕を開いた凛が、中が見えるようにしつつ三枚のギルドカードを門番に手渡した。
「ほう……君たちも……っ!」
凛、ミューラのギルドカードを見て。うら若き外見に見合わずBランクを冠する二人に目を見張ったのも束の間。
レミーアのギルドカードに大きく驚きをあらわにした。
そこに刻まれていたのは、冒険者としては最高峰のAランクであることを示す文字。
滅多に見ることのない文字を見て、門番は瞬間、固まる。
「通っていいか?」
その麗人からかけられた声に、門番はハッとして敬礼とともに応えた。
威風堂々としたレミーアの態度に、思わず敬語だったくらいである。
「ああ。助かる」
レミーアと門番のやり取りを眺めていた太一は、許可が下りてから鞭を打ち、クロを歩かせる。
鞭など打つ必要は無く、場合によっては目と目で多少ではあるがコミュニケーションを取ることもできるのだが、人目があるところでは普通にしていることに意味がある。黒曜馬を連れているなどと、露呈しない方がいいのだから。
「……そうだ。タイチ、停めろ」
「ん? 分かった」
歩き出して少し。
レミーアにそう言われ、太一は馬車を道の端に寄せつつ停めた。
停車したのを確認すると、レミーアは馬車から軽く飛び降り、門番の方に向かって歩いて行った。
そこで歩哨を行っている兵士といくらかやり取りをして、彼女は馬車に戻ってきた。
その歩哨は、レミーアの美貌にやられたのかほのかに顔が赤かったが、見なかったことにするのが彼のためだろう。
「タイチ。道案内をするから、まずはここをまっすぐ進ませろ」
「? おう」
レミーアに言われたとおり馬車を進める。
再び指示を受けて馬車を停めると、そこは大きな建物の前。
「商業ギルド?」
表看板にはそのように記されている。
まずは宿屋で寝床を確保し、その後冒険者ギルドに行って活動場所の更新、と思っていた太一は、建物を見上げて首をひねった。
「うむ。良いからついてこい」
馬車を規定の場所に停め、クロを預けると、レミーアはためらいなく商業ギルドの中に入っていく。
太一、凛、ミューラは、師匠の意図を読めないまま、その後ろをついていった。
商業ギルドの入り口から続く空間はロビーのようになっていた。太一と凛にとっては、どことなくかつての日本の銀行を思い出すつくりだった。
もちろん、どことなく、でしかないので、だいぶ違うのだが。
レミーアは空いているカウンターをみとめて歩み寄る。応対役である受付嬢は、きれいな営業スマイルでレミーアを出迎えた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でございますか?」
「うむ。短中期滞在用に、庭付きの一軒家を世話になりたい」
簡潔に、レミーアはそう告げた。
受付嬢は頷く。
「賃貸でいらっしゃいますね?」
「うむ」
「ご予算からお決めになりますか? それとも、条件からお決めになりますか?」
「条件優先だな。金額は二の次だ」
「かしこまりました。それでは、身分証のご提示をお願いいたします」
レミーアが何でもないかのように差し出したギルドカードは、門番の時と同様にこれ以上ない効果をもたらした。
さすがにさまざまな人間と相対することのある受付嬢。あからさまに表には出さなかったが、驚愕は伝わってきた。
商談などに使われる個室に案内され、待つことしばし。
受付嬢が、中年の男を連れて現れた。
「お待たせいたしました。不動産に強い商人をお連れしました」
「デルプスと申します。この街では、不動産についてはひとかどのものであると自負しておりますので、皆さまのご希望に添えるよう誠心誠意努力させていただきます」
かなり腰が低く、下にも置かない扱いである。
間違いなく、レミーアが持つAランクのギルドカードが理由だろう。
(Aランクで二つ名持ちの冒険者にそっぽを向かれたら、イメージダウンは相当なものよ)
極端な話をいえば、この商談で商人の側が多少持ち出しがあったとしても、良い評価を得られた方が後の商売にいい影響を及ぼすため、長期的な展望を見れば得をするくらいなのだ。
損して得取れ、ってとこかな? と、ミューラの小声を聞いた凛は思った。
もちろん、顧客である自分たちが最大限得だと思う条件を出しつつ、デルプスも利益は得るだろう。持ち出しは極論であり、あくまでも最終手段。利益を追い求めるのが商人であり、だからこそ信用がおけるとも言える。稼ごうとしない商人など、どのような裏があるのか疑ってかからねばならないだろう。
「そうか。では、頼むぞ……」
レミーアと商人デルプスの商談が始まる。
条件のすりあわせなどで時間がかかるかと思いきや。
その商談は打てば響くように、手札の出し惜しみを一切しないデルプスにより、トントン拍子にまとまるのだった。
シカトリス皇国の首都プレイナリスは、北東の海に面したところにある、なだらかだが巨大な丘の頂上にそびえたった城を中心に広がった都市だ。
横長の長方形の土地、その右上に位置する形である。
皇王が座す城が中心で、頂上に近い位置、大体八合目辺りまでが貴族街。そこから七合目辺りまでが、爵位を持たない者が住む上級市民街。上級市民は、このプレイナリスでは上級冒険者、大店を抱える大商人、軍の中で階級が高い者などが主に住まう。王家御用達の職人などもここだ。
七合目から五合目までが、中級市民街。中級の冒険者、中堅規模の商会、小隊長レベルの兵士などが。
五合目から下は下級市民街。下級冒険者、泡沫の商人、一般兵などが住んでいる。それぞれ城壁で区切られており、上から下の審査はかなり緩いが、下から上へ行くための審査は厳格だ。
下級とついているが、ここが主に一般市民が住む区画である。呼び方はどうかと思うが、それによって特に隔意があるわけではなく、便宜上の区分けということだ。
中央政府は便宜以上の意味はない、としているが、それが建前であることは周知の事実。とはいえ、下級だからと中級以上が権力を笠に着て幅をきかせようとすると、中央政府よりにらまれる。一度にらまれるとまず逃れられず、ハイリターンではあるが同時にハイリスクでもあった。
貴族街は人数は多くないものの、一軒一軒の規模が大きいため区画自体が広く取られている。上級市民街が一番狭いが、こちらも一戸ごとの規模はなかなかのものであり、閉塞感は一切感じさせない。中級市民街は、上級市民街の規模がそれぞれ二段ほど下がった形だ。そして下級市民街がもっとも広く、もっとも雑多で、もっとも人口が多い。
上に上がれば上がるほど、課税額も上がっていく。職種毎に額は決められているが、どの仕事に就いていようと決して安い額では無く、それを負担しても平気であるということ、つまりそれだけの財力を持っていることの証明になり、それは信頼へとつながっていく。
上級市民街に住む者と、下級市民街に住む者では、同じ職種でも税額は天と地の差だ。
けれども。そこはやはり母数の差がものを言う。中級、上級、貴族街を含めてもまるで太刀打ちなどできないほどに圧倒的に数が多い下級市民街からの税収は、プレイナリスでももっとも大きな額になっており、中央政府は「民は国家資産」と公言して保護する姿勢を明確に打ち出していた。
借りた家は、城まで続く大通りに面し、上級市民街の関所にほど近いところに建てられた、部屋数が一〇の庭付き一戸建てである。
区画は中級市民街。その中でも、なかなかに賃料が張る家だった。下手をすれば、上級市民街に建てられていても違和感がないほどの。
規模は平均以上を抜けるものではないが、何せつくりがよく格式が高い。貴族によっては、上級市民街に建てられていても不思議では無い家がなぜ中級市民街にあるのかと、首をかしげる者もいるという。
過去には、帝国から外交の会談のためにやってきた伯爵が気に入り、立地が中級市民街であることに目をつぶっても滞在したいと強く希望したこともあったという。その時は、警備上の都合から上級市民街に滞在せざるをえず、伯爵は残念そうなため息をついたそうだ。
今は上級市民街に住む大店の商人の先代が、中級にいる頃に懇意にしていた建築家に建てさせた家とのこと。
この家に住み始めてから、想定していなかった大口の取引が次々と舞い込んで荒稼ぎできた結果、そう時間を経ずに上級市民街に移れたため、この家を縁起物として売り払うことはせず賃貸物件としている。賃貸収入と管理費を天秤にかけると赤字だそうだが、その商人にとっては験担ぎであるため売却されることはないだろう、とデルプスは言っていた。一部の中級市民街の商人たちの間では、夢の象徴としてひそかにあがめられているそうだ。
規模はそこそこだが良質。であるため、広さの割に価格は高い。
「なんで、この家なんだ?」
賃料を支払い、ここに滞在するにあたって必要なものをざっくりと揃えて、夜。
人心地ついたところで、太一はレミーアに質問を投げかけた。
確かに良い家である。寝泊まりをぼろ家でしたくはない。寝床や食費は、良い仕事をするための必要経費。そこに異論は無い。
けれども、あくまでもある程度だ。この家の賃料は、そこそこの割合が贅沢といってもいい金額だ。
金に困っているわけではない。
が、別にそこまでの値段である必要は無かったのではないか。
デルプスが出した候補には、もっと安くてしっかりとした家はいくつもあったのだ。
レミーアは読んでいた本にしおりを挟んでからそれを閉じた。
「お前たちの旅について聞いてな。ひとつ指摘しておきたいことがあったからだよ」
彼女はそういうと、ぐるりと部屋を見渡した。
華美ではない、むしろ地味だが、見る人が見れば分かる質の良さ。見る者の審美眼を試すような調度品。
壁紙も安物ではないが、値段が高いことをことさらに強調してもいない。
割高な家賃も、価値が分かりその値段を払ってもいいと思える者だけを対象にしているからだろう。
このセンスの良さは、レミーアにとっても好ましいものである。
「指摘しておきたいこと、ですか?」
「ああ」
首をひねる凛。
レミーアは、視線を三人に合わせる。
「大したことじゃない、と言えば、その通りのことだがな。今後、可能な限り、寝泊まりは厩舎がある一軒家にしろ」
「……!」
そこまで言われれば、クロを指してのことであると気付かないほど、三人は鈍くはなかった。
その反応を見て、レミーアは満足そうに少し笑う。
「そうだ。お前たちの馬は普通じゃない。配慮が要るのだよ」
「そうですね……言うことを聞くとはいえ、黒曜馬ですからね……おとなしくても、Aランクの魔物であることに代わりはありません」
ミューラは顎に手を当てて呟く。
「それもあるがな。憚ることなく肉を食わせてやるべきだ。雑食だから肉でなくてもそう問題はないのだろう。だが、黒曜馬がそのずば抜けたポテンシャルを発揮するには、やはり肉が必要だ。だからこそ、こいつらは肉食なんだからな。
理解のある宿もあるだろうがな、全部が全部そうだと思わんことだ。クロは人に劣らぬ賢さだな? だが、その賢さに甘えるな、と言っている。その能力のおかげで多大な恩恵に与っているんだ。多少の不便さやコスト高は享受すべきだと思わんか」
それに対するレミーアの指摘は厳しかった。
宿の方が利便性に優れる傾向にあるのは間違いない。立地を生かした利便性を売りにしている宿は多い。
それに対して、借家は宿に比べて利便性に劣るところも珍しくない。ある程度の期間滞在する場合、利便性の分、宿に泊まり続けるよりも安上がりになることが多い。コストと利便性を天秤にかけ、コストを重視する場合も多々ある。
ただし。借家で利便性も重視すると、コストは節約になるどころか高くつく。厩舎つきの家ともなれば、むしろ跳ね上がる。
太一たちは金には困っていない。レミーアの指摘は、だからこそでもあった。
「なるほど……言われてみると、その通りだな。クロには悪いことしたな」
「気にすることはない。ただ、心にとどめておけ。それだけで良い」
「はい。分かりました」
レミーアの指摘を受け止めた、その時である。
空気を震わす轟音と、衝撃。
「……っ」
この国に来た理由からすれば穏やかには済まないことは分かっていた。
どうやら、ここからが本番のようである。
「あそこ」
素早く窓に駆け寄ったミューラが声を上げ、凛が外を指さす。
一拍遅れて彼女たちの後ろについた太一とレミーアは、その光景を見て目を見開いた。
この都市は、海に面した丘に築かれている。そして、借りた物件はある程度高台にあるため、海面を見下ろすこともできる。
立ち上る巨大な水柱が海からたちのぼっているのを見ることもできた。
家の外が大騒ぎになっている。
無理もない。少々桁の違う衝撃だったのだ。
これか。シルフィとミィが言っていたのは。予想はしていたが、やはり洒落になっていない。
「タイチ」
レミーアの呼びかけが何を意味するのか。皆まで聞かずとも理解した太一は窓を開け外に出ると、ひょいと屋根の上に飛び乗った。
まずは様子を探る。近くまで行っていいのか。この場に残って守る必要はあるか。
飛び出したい気持ちを抑えて、太一は視力を強化して海を見据える。
漆黒の海に見えたのは、のたうつ三つ首の竜と、それと激突する長大な蛇のような竜が、魔力の波動を輝かせてぶつかり合う光景だった。




