帝国立魔術師養成学園の騎士候補生 二十三
(ほう……)
アルガティの口から、感嘆の声が漏れる。
見つめる先で、太一が立ち上がったのだ。
攻撃を加えた際の手ごたえとかの少年の実力を加味すれば、簡単に立ち上がれるようなダメージではないと予測していた。
太一が復帰するのにかかった時間は、アルガティが想定していたよりもだいぶ早い。
それでも立ち上がってみせたことに、アルガティは内心で素直に称賛した。
(当初に比べてずいぶんと魔力が減ったな。回復に使ったのか)
これが夜なら。満ちた月が漆黒の空に浮かんでいたら、力は更に強まる。
昼間では、持ちうる力の全ては発揮できない。日光は克服したが、種族としての特性までは変えられない。
それを踏まえれば全力ではなかったが、全ての環境が整っていたとしても、アルガティにとって強敵なのは間違いない。
条件が完璧に整っていて、ようやくあのスピードについていける、というところだ。
今のままでは間違いなくついていけない。肉を切らせて骨を切る。ダメージを受ける前提でなければ、捕らえることができなかったのだから。
確かに太一は立ち上がった。
見る限り、ダメージもないように見える。
だが、彼の攻略法は、既にアルガティの中で確立している。
吸血鬼の再生能力に任せて肉体を囮にし、ダメージと引き換えに仕留める。
シンプルではあるが確実性は高い。術の撃ち合いで互角な以上、やはりきっかけを作るのは接近戦。その接近戦において、アルガティは圧倒的に優位な立ち位置にいる。
この戦法を攻略できない限り、太一に勝ち目はない。
いくらダメージが回復し、戦闘再開できたとしても。
大きく息を吸って、吐く。
その動作を一度。
太一の身体からは力が抜けた。
いい感じの脱力状態。
(さあ、どう出る?)
殺すつもりはない。
だからこそ、様子を見ていた。
決まったものだとは思っていたが、仮に立ち上がれるのだとしたら、その回復力は目を見張るものがある。
エレメンタルの一柱と契約するだけでこれだけの力を持つのだ。まだ三柱残っていることを考えると、今後が楽しみであり、末恐ろしくもあった。
(もっとも、その全てと契約できるとは、限らぬがな)
こちらを見上げる少年が契約しているのは、風のエレメンタル・シルフィ―ドだろう。
太一自身の資質に加え、風の精霊王の力。
スピードは目を見張るものがあるが、いかんせんパワーとタフさに欠ける。スピードだけで勝たせてやるほど、アルガティは甘くはない。
この状況で、果たしてどのようにして盤面を振り出しに戻すのか。
そんなことを考えていたからだろうか。
太一の姿がふっと消える。
それに、アルガティの反応がほんの一瞬遅れた。
次の瞬間。
目の前に太一が現れる。同時に届く、水が爆発する音。
バカな――
いつの間に、間合いに入った?――
太一の拳は引き絞られていて、ゆっくりとこちらに向けて突き出されている。
遅い。
否。
遅くなっているのは、アルガティが認識している時間だ。
現に、考えるよりも早く、アルガティの腕は太一の拳を受け止めるためにゆっくりと動いている。
身体に刻まれた経験が、彼の認識速度を上回って反応していた。
速度から考えて、恐らく防御は間に合う。
下を見れば、凄まじい勢いで水柱が吹き上がっていた。アルガティが滞空するところまで、ぎりぎり届かないくらいの巨大な水柱。
そこから、水面が割れて走っている。
太一は水面を平行に移動し、真下で一気に飛び上がったのだろう。
これだから、風の精霊王の力は油断ならない。
静止状態から一気にトップスピードに乗って、アルガティの反応を許さないのだ。
肉を切らせて骨を断つというが、何の準備もなしに受けていい攻撃はない。いくら試しているとはいえ、無防備に殴られてやる趣味もない。
間一髪、太一の拳がアルガティの顔を殴る前に、右腕を差し込むことができた。
さあ、先ほどと同じように、この攻撃をしっかりと受け止め、反撃に――
「……っっ!」
その瞬間、アルガティの全身を貫いた凄まじい衝撃は、しばらく忘れられそうになかった。
受け止めた腕の骨が、ミシミシと悲鳴を上げる。
パワーが。
攻撃力が。
倍では収まらないほどに強化されている。
強靭なアルガティの肉体。のはずだった。
骨が、あまりにもあっけなく、情けない音と共に折れた。
拳が、アルガティの頬に突き刺さる。
首を持っていかれるほどの衝撃に、刹那、意識が白くなった。
そのまま、アルガティは吹き飛び、岩山に突っ込む。
桁が上がったパワーによって、標高三〇〇メートルはあった岩山は一瞬たりともその姿を保てず、砂塵とともに崩れ落ちた。
吹き飛んだアルガティの様子を探ることなく、太一は右手に魔力を集中する。
先ほどまでは得られなかった明確なチャンス。これを逃すつもりはなかった。
ミィの力によって攻撃力が上がったのは間違いない。今の一撃の手ごたえはこれまでとは一線を画している。
が、どれだけダメージが入ったのかは未知数。なにより、相手は再生能力を持つ吸血鬼。
今の攻撃で負ったダメージも、回復していくのは間違いなかった。
『エアロスラスト!』
周囲への被害を慮るばかりだったこれまでとは違う。
全力で放ったエアロスラストである。
撃つためには瞬間的な間が必要な魔法だが、アルガティを相手にするとその間が致命的。よって、これまでは使えなかった魔法だ。
こうして隙を作りだして撃つ。それがもっとも単純で確実だった。
無数の刃が、崩れた瓦礫の大小も一切関係なく、大地に凄まじい爪痕を次々に刻む。
収まった砂塵が、『エアロスラスト』によって再び上がった。
魔法が終わってもすぐに動きはなかったため、間髪入れずに次の攻撃の準備を開始する。
と。
瓦礫と砂塵が吹き飛んだのと。
太一の魔法の準備が終わりかけたのは同時だった。
アルガティが現れる。
右腕と左足が吹き飛び、脇腹が半ばまで切られ、頭から、目から、鼻から、口から。紅の液体をだらだらとこぼしている。
これまでは考えられなかった大ダメージだ。
「く、くくく……ずいぶんと変わったな」
けれども、喋りは流暢。ダメージはそこまで影響を及ぼしていないようだ。
この程度でどうにかなるなど、太一も思っていない。
「気を失っている間に、何があった?」
アルガティの傷が再生していく。それに合わせて、消費される魔力。
魔力を消耗させることができる。これまでとは格段に効率が違う。
やはり、通常攻撃で相手にダメージが行くというのは戦況に凄まじい影響力を及ぼしていた。
これまではほとんど見えなかった勝利の可能性が、今はだいぶはっきりと認識できる。
「勝者の特権を使うなら、口を割ることもやぶさかじゃない」
アルガティの言葉をそのまま返す。
すっかり傷を再生したアルガティは一瞬目を丸くし、愉快そうに笑った。
面白い、とでも言わんばかりに。
ゆっくりと上昇するアルガティ。時間をかけて、太一と同じ高さまで昇ってきた。
彼我の距離は、およそ数メートル。
これまでのような焦燥感は、太一にはない。
一方、アルガティからも一定の余裕は失われていない。
ミィの力で回復したからこそこうして戦えているが、彼女が明確にデメリット、と言ったのは確かだ。
ごっそりと失われた魔力が、それを証明していた。
魔力の配分と采配に細心の注意を払わなければ、あっという間に状況は悪くなる。
アルガティの魔力も、傷を治すにあたって相応に減っている。
とはいえ、イーブンとはいいがたい。
「そうか。では仕切り直させてもらおう」
激しく吹き上がるのは魔力。アルガティのギアが上がったと、太一は直感で悟った。
魔力の配分と采配。重視しなければと思っていたそれを、太一はあっさりと投げ捨てた。
シルフィの力とミィの力。その二つを合わせて、太一もまた、今操れる限界の力を使って己を強化する。
二人の莫大な力を前に、空気が、大地が、悲鳴を上げる。
太一の目の前に迫るのは拳。
いつ動いたのか、まるで認識できなかった。
右。左。右。
三発の拳打が直撃。
一発ごとに大気を震わすほどの轟音が響き渡る。
太一は数メートル下がった。
二人の間に、つかの間の静寂。
はねあげられた顔面を戻す太一。
口の端から流れる血を手の甲で拭い、笑う。
一方的に殴られたというのに、その効果は先ほどと比べて歴然。
アルガティがギアを上げる前の状態で大ダメージを受けていた太一が、ギアを上げたアルガティの攻撃をまともに受けて唇を切る程度でおさまっている。
「実に興味深い。パワーだけではない、タフネスまでも見違えたではないか」
「ああ。おかげさまでな」
ぐっと構えを取る太一。
そして、おもむろに口を開いた。
「さっきは、そっちが勝ったら教えるって言ったけどさ」
「む?」
念じて、具現化する。
「隠したまま勝てる相手だとは、思ってない訳よ」
太一の周囲に浮かぶのは、輝く透明な宝石。
七色の光を放つそれは切っ先はもちろん、その周囲も鋭利なナイフのごとくカットされている。
「……金剛石、か」
ダイヤモンド。地球上ではもっとも硬い宝石。
この世界でも、その硬度は有名である。
アルガティの力であれば、砕くことは別に難しくはない。が、それはあくまでも自然物として存在するものに対してだ。
太一ほどの力を持つものが、魔法としてそれを操った場合。粉砕するには、当然ながらその難易度は指数関数的に跳ね上がる。
それそのものも厄介だが。
アルガティは、これですべてを理解していた。
宝石。つまり、地面、大地に関するもの。
「土の精霊王、ノーミード、というわけか」
広大な大地。その化身の力を借りれることができるとなれば、爆発的に向上した攻撃力と防御力も納得だ。
風、空気という要素一つだけでも厄介だった。
自然そのものの相手など、力があるとはいえ一個人のアルガティにどうにかできる範疇ではない。
だというのに。
さすがのアルガティも、正確な規模すら把握できない大地そのものが相手というのは、あまり考えたくないことであった。
これからは、空気と大地という、あまねく生物が恵みを享受する自然を相手取らなければならないということだ。
あくまでも操るのが太一という人だからこそ、どうにか形になっている、というのが正確なところである。
「正解っ!」
ダイヤモンドで放つランチャーとでもいうべきか。
太一の周囲に浮かぶダイヤモンドが、猛烈な速度でアルガティに迫る。
もっとも速く到達した初弾を、手の甲で捌いて軌道を変える。
油断はしていなかった。魔力をまとい腕を強化していた。なのに、肉を抉り取っていった。
走る痛みと共に悟る。
一瞬でも動きを誤れば、防御を突き破って深々と突き刺さるであろう速度と威力だと。
受けるのは愚策。避けるのが正解。
けれども、その矢じりに追いすがるように接近する太一を前に、それにばかり神経を集中するわけにはいかなかった。
無数のダイヤモンドの矢じりが飛ぶそこへ、太一がためらいもなく飛び込んできた。
「ぬうううっ!」
ダメージは免れない。むしろ甘んじて受ける。
右胸、左手首、首、左太もも、右わき腹。それらの部位を、ダイヤモンドの矢はたやすく貫いていった。
安くはない、高い代償。
それを支払ってアルガティが買ったのは、突っ込んでくる太一を待ち構える状況。
逆に太一は、カウンターを放とうと手ぐすね引くアルガティに突っ込んでいくという状況を買い取らされた。
アルガティの無事な右手拳に、紅い濃密な魔力が宿る。
(やべぇ!)
いくら防御力が上がっても、あれの直撃はさすがに不味い。
ならば、迎撃である。
同じく右腕に風をまとい、更に拳を魔法で作り出したミスリルで覆った。
「おおおおっ!」
アルガティの拳と、太一の拳が激突した。
爆炎の生まれない爆発。衝撃波が拡散する。
お互いの渾身の一撃。二人は弾かれて吹き飛ばされた。
そして、両者ともにそれではひかない。
ひくわけがない。
右腕には痛みがある。ちらりと見れば、ところどころの皮膚が裂け、血が流れている。
ダメージ覚悟で待ち構えたアルガティと、急きょそれへの対応を迫られた太一とでは、準備段階で差が生じていた。
けれども。
太一は減速しつつ岩山の山頂に右足から降りた。遠目からは鋭く尖っているように見える山頂も、いざ着地してみると、人が二人位立てるほどのスペースがある。
速度はもちろんだが、機動力についても風を操る太一の方が有利だ。
何せ、精霊王シルフィードのアシストを得られるのだから。
両足が岩山についた瞬間。
太一は地を蹴って飛び出す。
その勢いで岩山の頂が破砕し、標高が五メートルほど下がった。
(戦闘に支障はない!)
最大速度。あっという間にアルガティの眼前まで到達。吹き飛んで盛大に離れた間合いを一瞬で詰める太一の速度に、アルガティが目を見開いた。
蹴り?
拳?
違う。そのまま頭突きで、アルガティの額に激突した。
今度は、自分からぶつかりにいった太一と、ぶつかられたアルガティとで、ダメージに差が出た。
ミィによるパワーの底上げが、アルガティに耐えることを困難にさせる。
「ぐうっ!?」
うめき声と共にまたしても吹き飛ぶアルガティ。
右腕を突き出す。その動作に合わせて血が舞うが、構わない。
『トールハンマー!』
決め技の一つ『雷神の槌』を、瞬間的に放てる範囲で、最大威力。
雷の柱が、天と地に橋をかけ、アルガティを呑み込んだ。
「っ!」
自然現象では間違いなく起こりえない巨大な落雷の中から、紅の槍が飛ぶ。
避ける、という隙を見せれば追撃に何が来るか分からない。そう判断し、右腕にシルフィとミィの力をまとわせて、がしりと掴んだ。
じゅう、と手のひらが焼ける。傷ついた右腕が悲鳴を上げた。
走る激痛を奥歯を噛みしめて耐え、力を込めて握りつぶした。
シルフィの力だけであれば、このようなことはできなかっただろう。受けてみて、防御力の劇的な向上を改めて認識させられる。
ただでさえダメージを負っていた右腕が更に痛めつけられたが、左腕が無事であればいい。
今は回復に使う魔力も惜しい。
状況によっては右腕を差し出して隙を作り出すこともいとうつもりはない。
「握りつぶされた、か。本当に見違えたぞ」
落雷が収まる。
空中に煙る黒煙の中からアルガティの声が聞こえた。
全身のあちこちが焼け焦げ、ダイヤモンドに貫かれた傷から血が蒸発している。
更に身体の半分が頭も含めて完全に焼失しており、生きているのが不思議なくらいだった。
さすがは吸血鬼の生命力、とでもいうべきか。人ならざる者だから、ということでしか説明は不可能である。
「そんな状態でも、喋れるんだな」
太一の言葉は、心からの疑問である。
アルガティは笑った。
「この程度で死ぬような脆弱な人間と吸血鬼を同列にするな」
「ああ……化け物だもんな」
「吸血鬼の祖である我にここまで傷を負わせる人間がいるとでも思うのか?」
太一に言われる筋合いはない、心外だ。
そんな内心が見えるアルガティの言葉に、太一はごもっともだ、と苦笑した。
化け物と言われても反論できないような力を持っていることは、太一自身認識していることである。
再生を始めているアルガティであるが、傷口が完全に焼け焦げているためか、その速度は遅い。
チャンスである。けれども、太一は踏み込むことができなかった。
アルガティから、完全に戦意が消えていたからだ。
あれだけ激しく闘った後に、ここまで完全に気を抜いた姿をみせられ、かえって追撃ができなくなっていた。
「さて。ここまでとさせてもらおう」
「……ケリはついてないぞ? それに、逃がすと思ってるのか?」
太一としては、この強敵をここまで追い詰めたのだから、決着をつけたいという思いが強い。
けれども、アルガティの方にはその意思はないようだった。
「くくく……この勝負は貴様の勝ちでよい。我の敗北である」
アルガティの周囲に闇が生まれる。
その闇が放つ圧倒的な圧力に、太一は二の足を踏んだ。
「我が主の命令でな。強制帰還と相成った」
闇がアルガティを下から舐めていく。闇に呑まれたところから、アルガティの姿が消えていっている。
「知ってのとおり、吸血鬼は月夜に最大の力を発揮する。次は敗者として、万全な状況を整えて貴様に挑戦させていただくとしよう」
攻撃の一つでも加えられたら。
けれども、身体が動かない。
シルフィとミィの力を借りられるようになった太一をして、気おされてしまっている。
「おい……俺が勝ったんだ。説明はしていけよ」
気おされながら、せめてもの抵抗として、勝者の権利を主張する。
アルガティが敗北を認め、太一が勝利したのだ。
勝者の権利を主張するのは間違っていない。
「それについては……喜べ、我が主が、直々に貴様に説明すると仰せだ」
「何……?」
予想外の展開。
太一は、二の句を継ぐ暇を奪われた。
「次に会う時まで壮健であれ。我に勝利したのだ、敗北は簡単には許されると思うな」
そう言い残すと、アルガティの姿が闇に完全に呑み込まれる。
かの吸血鬼を呑み込んだ闇は渦を巻くように凝縮すると、ビー玉ほどの大きさとなった。
漂いながら、一定の間隔で明滅する闇。
間違いなく光を呑み込む闇である。けれどもその明滅は光を放っているように錯覚してしまう。
「……」
太一は、その闇がここに残ったことに意味があるように感じている。
相変わらず猛烈な威圧を振りまいているビー玉ほどの闇を、太一は油断なく構えつつじっと見つめた。
知らずに少し距離を開けていたのは、無意識故の行動。
結果論から言えばそれは不要な行動だった。
けれども、太一の感覚で言えば間違っていなかったと断言できる。
突如、ぶわっと拡散した魔力。ついで闇が爆発的に広がっていく。
触れても特に影響がないのはすぐに分かった。避ける隙間もないほどに広がった闇にすぐに触れることになったからだ。
特に力が奪われたり、ダメージを受けたりはしなかった。
それだけでは、なんの慰めにもならなかったが。
実際に触れることになって分かった。桁が違う、と。
敵ではないのだろう。
この闇が内包する尋常ではない魔力に攻撃性を持たせれば、太一はダメージを免れなかった。
或いは、そのようなことをしなくても敵にすらならないということなのかもしれないが。
広がった闇が吹き飛ぶように晴れた。
爆発にも似たそれ。その中心点に。
ストレートの黒い髪を足首まで伸ばした、絶世の美女が佇んでいた。




