帝国立魔術師養成学園の騎士候補生 十八
――一方、コロシアムに残っていた凛とミューラは、ゲリラを制圧するために中心となり、獅子奮迅の活躍を見せていた。
「はっ!」
鈍い音が鼓膜を揺さぶる。
直後、カランと剣が床に落ちる音。
ミューラの目の前で、兵士が腕と足を抑えてうずくまっている。
土の魔術で生み出した石の鈍器で打ち据えたのだ。
刃を引いた剣の形をとっているのは、彼女がもっとも扱えるからである。
周囲を見渡す。常に気配を探っていたため、周りに動ける者が後わずかなのは分かっていたが、目視確認も大切だからだ。
『水砕弾』
鋭く弾ける音。そして、数名が床に倒れ伏す音。
ちょうど、ミューラが把握していた『後わずか周りに動ける者』が倒れた。
視線を向ければ、姿勢よく立つ凛と、その周りで呻くゲリラたちの姿。
「……終わったかしら?」
「うん。九割ってところ?」
凛とミューラは、同じ場所からコロシアムの観客席に乗り込んでゲリラの制圧に当たった。そこで別れ、ミューラは時計回りに、凛は反時計回りに進んだ。
そして、互いに半周したところで合流した形だ。
さすがに多数の実戦を経験している凛とミューラの戦いぶりはすさまじいものがあった。相手が、素人が付け焼刃の戦闘訓練を受けたレベルであったことも大きい。
学生たちも無茶はせずにそれぞれのできうる範囲でゲリラに抵抗し、時に打ち倒していたが、戦果という意味では比べるまでもないほどだった。
太一の置き土産は少し前に効力を失っていたが、その頃にはゲリラたちは戦力の七割を失っており、散発的な抵抗しかさせなかったのも大きい。
まだ多少ゲリラ員は残っているものの、その全ては戦闘中であり、一人で複数の生徒や警備兵、貴族の私兵を相手している者ばかり。防御に徹して何とか持ちこたえている者がいる一方で、敗北を悟って武器を捨てて投降する者の姿も見えた。
鎮静化も時間の問題。となれば、ゲリラの制圧よりも、ゲリラをここに呼び込んだ犯人を捜す方に意識をシフトした方がよいだろう。
方針が決まったら、話し込んでいる理由はない。
さっそく動こうとしたところで。
はるか彼方で、閃光が瞬いた。
「……っ!?」
驚愕は、凛とミューラだけではなかった。
コロシアムの先にあるなだらかな山の向こうに、空を伝播しているのが見えるほどの衝撃波を伴って、巨大な爆炎が姿を現した。
拡散した衝撃が空の雲を消し飛ばしたのが見える。
どれだけの威力なのかは、山の標高を超えるほどにまでのぼった黒煙が雄弁に語っている。
取り立てて高い山ではないが、決して低い山でもないのだ。
凛も、ミューラも、生徒も、観客も、ゲリラも。
全員が、その凄惨な光景に目を奪われる。
そして、後を追うように轟音がやってきた。
さすがに衝撃波は威力が減衰してしまっているようだが、爆音はすさまじいものだった。コロシアム全体が揺れているかのような、音が、巨大な建築物を揺らしているかのような。
各所から悲鳴が上がる。恐怖を覚えてもおかしくない爆発。
まるで火山の噴火のようだったが、そうではないことは分かっている。
あの爆発の直前、感じたのは高まった魔力。つまりあれは攻撃の結果だということ。
かつて凛はいくつもの魔術を組み合わせて広範囲を攻撃する爆発を引き起こしたが、今見えているのはその比ではなかった。
「太一……」
そう。
今黒煙が上がっている場所は、太一が飛び出していった方向だった。
戦闘が始まったのだろう。そしてあれは敵の攻撃。太一の攻撃に、あのような爆発を起こすものはなかったはずだ。
手は出せない。近寄れもしない。
だから、どうなっているのか分からない。
それにやることがある。ここを任されているのだ。
とはいえ、心配なものは心配だ。太一より強い者がいないと、誰が断言できるのか。
理解の及ばない現実に半ば呆然としながらもそんなことを考えていた凛。
「今よ! 一気に押しつぶしなさい!」
声をあげたのはミューラ。
パシッと背中を叩かれたように感じて、凛は前を向いた。
そうだ、あの爆発で気を取られたが、これはチャンス。
戻ってきた太一に「こっちはつつがなく終わった」と報告をしてあげるのが一番だ。
目の前のゲリラに意識を集中。
ミューラの声に、はじかれたように気勢をあげる味方と、必死に、慌てて応戦するゲリラ。
ターゲットを定めて魔術を唱えつつ、ちらりと先ほどの爆発が起きた方を見た。
「!」
そこで目にしたのは、黒煙を一息に消し飛ばす、これもまた目に見えるほどの波動。衝撃波。
先ほどの爆発のような派手さはないが威力などは勝るとも劣らないだろう。
瞬間かすかにほとばしった魔力は、凛にも覚えがあるもの。
知らず、ポニーテールの少女は口の端を上げていた。
今のは太一の攻撃だ、間違いない――
つまりあの山の向こうで、超常の戦闘が開始されたということ。
迷う暇も止まる暇もない。
既に照準を済ませていた敵へ、狙いあやまたず『水砕弾』を撃ち込む。
昏倒するゲリラを確認し、ちらりと視界の端で動いた影。
舞台で体力の回復に努めているアクトと、その護衛をする黒服へ迫る四名のゲリラを捉えた。
ゲリラ兵と戦闘して、あの黒服たちが後れを取ることは万が一にもないだろう。
それだけの実力差がある。
では、よりその差を広げるとしよう。
『ドライブステーク!』
間合いまであと数歩。
ゲリラがそこまで迫った瞬間、彼らの行く先一メートル先に、石で出来た槍が複数本突き刺さった。
それに目を剥いて思わず足を止めたゲリラたち。
そんなあからさまな隙を黒服たちが逃すはずがない。
飛び出したのは一人だがあっという間に四人を叩き伏せて戦闘不能にした。
最後の仕上げともなれば、全員の士気も高い。ゲリラたちを全員地に伏せさせるため、凛もまた飛び出した。
「……」
目の前で起きた光景を、女は動じた様子を見せずに見つめていた。
これほどの危機的状況においてこの落ち着き。はたから見れば、そのたたずまいは淑女そのもの。貴族にふさわしいものである。
けれども気付くものは少ない……否、ほぼいない。
彼女の目が、物騒な色をたたえていることに。
結論から言ってしまえば、この作戦はこうなることを前提としたもの。成功するのならば御の字だが、この程度でどうにかなるならば苦労はしない。つまり、失敗するところまで作戦通りである。
ちらりと視線を別のところにやれば、悔しさを抑えきれずに渋面を浮かべる少女の姿。
その姿は貴族の子女にあるまじきものだったが、まだまだ未熟な年齢。広い心で許容すべきものだ。
この失敗が想定通りであることは、手違いからかあの少女には伝わっていなかったようだ。
それは申し訳なく思うものの、本命はこちらである。
それぞれの作戦の指揮系統を別にしたのも、リスク回避のためだ。
本命をカモフラージュするための隠れ蓑は大きい方がいい。
ゲリラ行為、テロであれば罪状も重くなるため十分だ。
さて、そろそろ十分だろう。
勝利が見えてきた時、心に余裕が生まれる。その余裕に未熟がかけ合わされば、容易に油断へと変化する。
彼女は横に立つ男を見た。
男が小さく目礼する。
慣れていなければそれがやり取りであると気付かないようなさりげないもの。
貴族として社交界という戦場を生き抜いてきた彼女にとっては、息を吸うように当たり前にできることだった。
合図を受けて男が指示を出す。
事態は、急加速を始める。
「ゲリラのおかわりが来たぞ!」
真っ先に気付いた生徒が声を上げる。
ほどなくして、それに気付いた者は指数関数的に増えていく。
凛とミューラもまた、敵増援に目を向ける。
コロシアム、客席中ほどに設けられた入り口のうち、ちょうど東西南北の四方向。
そして、コロシアムの中心、舞台の南北に設けられた選手入場用の入り口。
その十か所から、灰色の鎧を身に着けた男たちがなだれ込んできた。
得物はオーソドックスな片手剣と盾から、両手剣、槍、斧など多岐にわたる。
彼らの得物、そして鎧は血塗られている。動きに遅滞がないことから、恐らくは返り血。
最初のゲリラたちが突入してきた時は、警備を担当した兵を残してそれ以外の者はほとんどが観客席、または関係者として内部にいた。
今は、襲撃を受けて建物の内部にもゲリラ討伐隊がなだれ込んでいるため、観客席の人口密度は当初よりも下がっている。
つまり、増援部隊は観客席を目指して進むさなか、立ちはだかったゲリラ討伐隊を返り討ちにしてきたのだろう。
「くそっ、まだ残ってやがったのか!」
切りかかる生徒。
彼は学園でも上位の成績を残している剣士。将来騎士を志望し、それに見合う努力を重ねて実力をつけてきた者。
その実力は確かなもので、学園を卒業するころには騎士になるに足る実力になっているだろう、と評価されている。
足りなかったのは経験。
増援に対して、たった一人で切りかかったこと。
新たな敵の実力を測定する前に、勝ち筋の勢いに乗って攻撃してしまったことだ。
剣が盾で受け止められる。
しっかりと受け止めるのではなく、そこから外に向かって勢いをさほど殺さずに受け流した。
「なっ!?」
力の流れを逸らされて体勢が崩れる。
そこを逃さない。間髪入れずにわき腹を薙がれる。
「がっ!」
即死には至らない。
だが傷は深い。
ダメージにたたらを踏んだ生徒。
続く剣に、袈裟懸けに斬られた。
「ぐはっ……」
二撃目は確実に致命傷。出血量が尋常ではない。
その生徒は、これまでの奮闘むなしく、血の海に沈んだ。かろうじて動いているが、致命傷なのは間違いないだろう。
生徒たちの足が止まる。
意図せず発生した、膠着状態。
(こいつ……!)
ミューラは警戒を引き上げる。
これまでの、素人に毛が生えたようなゲリラたちとは一味も二味も違う。
学生という格下相手に一撃で仕留めようという色気を出さず、まずは動きを鈍らせ、二撃目で確実に倒すというその油断のなさ。
剣筋から感じる、体系化された剣術の気配。
「リン!」
「うん!」
打てば響くリアクション。凛も既に、強い警戒態勢に入っていた。ミューラは急ぎ魔術師の少女と合流した。
「ミューラ」
「ええ」
これまでの、素早く数を仕留める戦い方では難しい。
騎士レベルは間違いない。
凛とミューラは問題ない。勝算はあるだろう。
問題は、二人以外だ。
今戦っているのは生徒と貴族の私兵、会場の警備兵に大別される。貴族の私兵はまだいい。警備兵も、負けない戦いの方が得意だろう。
けれども、生徒たちは厳しい。片手剣と盾を持つ兵の戦いを見れば分かる。実戦を経験し、人を斬ることを一切躊躇わないことが。
翻って生徒たちは、実戦は高学年が魔物相手にこなした演習がせいぜいだ。貴族の私兵や警備兵のように、ある程度の実績を積んでいるわけでもない。むしろ、先ほどまでのゲリラを叩き伏せるのが人相手の初実戦、という者も少なくないだろう。
ゲリラたちは、先述したとおり、素人に毛が生えたレベルでしかなかった。訓練とはいえ、常に戦闘技術を磨いてきた生徒たちが後れをとることはなかった。
だが今度の相手は、人を斬る経験を積んだ相手。その技量も騎士に迫るとなれば、大国が誇る正式な軍属を相手にするのと同義だ。
生徒たちの腰がひけてしまっているのも仕方ない。
私兵や警備兵がすべての敵を引き受けられれば良いが、敵兵たちも分かっているだろう。生徒の方が、与しやすいと。
それに。
「あいつら、ちょっと違うのよね……」
ミューラがぽつりとつぶやく。
「違うって?」
「うん。剣がね。確立された流派を感じるのだけれど、エリステインとも、帝国とも違うのよ」
「そう……なんだ」
敵を前に思考の海に完全に沈み込む、という失態をおかすことなく、凛は頭を回転させる。
エリステインの軍で正式採用されている剣術とも、帝国で正式採用されている剣術とも違う。
つまり、まったく別の組織ということだ。
それも、決して小さい規模ではない。
「やっぱり、そう思う?」
「ええ。そう考えるのが自然でしょうね」
色は違えど、軍が正式採用する剣をはじめとした武術はけれんみや奇抜さが少ないものが多い。
得手はなくとも、不得手もなく、また対応力が高い。
国軍のもっとも重要な任務は国を、民を護ること。そのためには、不得手があっては困るのだ。
あの片手剣の剣士が繰る剣と盾も、そういった対応力の高さと、オーソドックスさを見せていた。
「そうすると、どこ、っていうのが気になるところだけど……」
「それを気にするのは後ね」
そう、これまでよりも数段大きな脅威。
即座に適切な対応をしなければ、被害は一気に拡大する。
何より。
「これで終わり、っていうのは楽観的過ぎるかな?」
「そうね、更に来る、って考えておいた方がいいわね」
増援がこれで終わりだなどと、誰が保証するのか。
そう考えておいた方が、追加が来た場合の心構えが違う。
「そろそろおなかいっぱいだよ」
「まだまだ皿は来るわよ」
「じゃあ、もっと動いて消費しないと」
「そうね。……リン」
「うん……」
膠着状態はいまだ続いている。それぞれの方向には強者がいるため、にらみ合いになっているのだ。
腰がひけている、きっかけがつかめない、など理由は複数だが、総じて、動きたくても動けない、が正解だった。
そこに、一石を投じる。今は、指示がある方がいいだろう。
凛は、声を拡声する風魔術を使った。
『……敵は推定正規軍騎士レベル! 一対一は避けて、複数人で当たること! 勝てないと思ったら守りに専念! 私かミューラが行くまで耐えて! 作戦開始!!』
最後まで一気に言い切り、凛とミューラもまた即座に行動に移る。
きっかけを作ったのも、行動の指針を示したのも、凛とミューラである。
少女からの、お願いの皮をかぶせた命令だったが、逆らう者はいなかった。
ゲリラたちを叩き潰す際の獅子奮迅の活躍が、ここにいる誰よりも強者であることを雄弁に語っていた。
そして、こういう場合、強さこそが上に立つために必要な要素。
二人が指揮を執ることに、誰も異論を覚えすらしなかった。
2019/07/17追記
書籍に合わせて、奏⇒凛に名前を変更します。