第三十九話 連鎖する脅威と多難な前途
龍王国ドラグニアの王都のはずれに、その研究施設はあった。
一見何かの工場のように見える建物は、埃っぽい外観とわずかな獣の匂いも相まって、異様な雰囲気を醸し出している。
ルークは馬車の荷台からわずかに身を乗り出し、視界に映る寂れた建物に、そんな感想を抱いた。
「治るといいね、君の病気」
ルークは足元でうずくまるココアの頭を撫でる。
ココアは片目だけをぱちりと開くと、興味なさげに再び目を閉じる。
ここまでの旅路は、アイルと行動を共にしていたおかげもあって、体調は良さそうだった。
だがアイルと離れてから、時より不安そうに周囲を見渡す姿を見かける。
苦しみを取り除いてくれるあの子に、だいぶ懐いているようだ。
道中でもよくアイルを背中に乗せて歩いていたし、魔物から守るために立ち回っている様子は、護衛としても頼もしい。
そして錆びついた門をくぐって、施設の中へと入る。
寂れた外観からはあまり想像できなかったが、室内は意外と綺麗にしてあるようだ。
白衣を着た職員と通路で何度もすれ違う。
皆忙しそうに早足で歩く中、ルークはゆっくりと奥へと進み、案内された部屋の扉を開ける。
「ん? おじさん……?」
中には人がいた。
透き通る緑色の長い髪の女が、椅子に座って足を組んでいる。
研究員らしく白衣を羽織ってはいるが、その下に着ている服は、露出が多くアクセサリーも多数ぶら下げているため、とても研究員には見えない。
「——おじさん、かぁ。君も僕とそんなに変わらない年齢に見えるけど、君はおばさんなの?」
「はぁ? 違うし、超失礼なんだけど」
女は眉間に皺を寄せて、じろりとルークを睨む。
悲しいことにルークは、女性から睨まれることには慣れているため、特に意に介さない。
「そりゃ悪かったね」
「……別にいいけど、そーゆうとこだよルークさん。こっちもおじさんって言ってごめん。今はお兄さんだったね」
彼女の視線はこちらに向いているようで、どこか遠くを見ているように、焦点があっていないように感じた。
彼女の言葉の選び方にも違和感はあったが、それよりも気になったことを優先して尋ねる。
「僕のこと知ってるの?」
「え、ああ、うん。パールさんから聞いてた。猫連れてくるって、ココアでしょ、この子」
女はリードに繋がれたココアの頭を撫でる。
見た目はほとんど虎と変わらないココアに、女はなんの躊躇もなく触れる。
ココアも気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
「そうだけど、君、ここの人?」
「うん、まぁそんな感じ。臨時だけどね」
女は椅子の背もたれにもたれかかって、長く伸ばした爪をいじりだす。
ルークは腰を落として女の顔を覗き込むと、女は怪訝そうな目でこちらを見返す。
「……何? ——ああ、その子はここに置いていっていいよ。あとはこっちでやっとくから」
女はちらりとだけこちらに視線を向け、ひらひらと手を振ると再び手元に視線を落とす。
「——君さ、どっかで会ったことある?」
ルークの問いに女はぴくりと反応して、いたずらを思いついた子供のように笑う。
そして人差し指を口に当てると、囁くように言った。
「さぁ、どうかな。教えてあげない」
——————
アインスの拠点で一夜を過ごした一行は、その翌朝、出発の準備をしていた。
ライラの服装は結局クロウが選び、ラインナップの中では比較的地味目で、かつ機能性を優先した駆け出し冒険者風の装備となった。
食料と水も少し貰っていき、背負い袋に詰め込むと、ウラシマの背中にひっかける。
「ここの持ち主の方には、大したお礼もできませんが……」
そう言うとライラは右手にはめていた指輪を外し、そっとテーブルの上に置く。
「あやつに礼など不要だと思うが、大事なものではないのか?」
「いいのです。大事にするように、とは言われておりましたが、どなたからの贈り物なのかわからないので」
クロウはちらりと指輪を一瞥する。
宝石などがついているわけではないが、細かな細工がなされており、美しい龍の紋様が見てとれる。
「まぁ、お主がそれでよいのなら好きにしろ」
「ええ、では行きましょうか!」
ライラは扉を開けて、一行はまだ見ぬ世界へとその一歩を踏み出した。
——————
(えーと、まずは国境を抜けて、魔王の国……のエルドリア? に行くんだっけ、そっから、精霊の国か、夜の国へだったな)
ウラシマは視界の端に表示された地図を見る。
昨晩、地図を見ながら今後の方針について話し合っていた際に、この体はその世界地図を記憶したようだ。
そしていつのまにか、このようにいつでも表示できるようになっていた。便利だ。
だが現在地まで分かるわけではなく、この世界がどれくらい広いのかも不明だ。
慎重に行くべきだろう。
そうして森を出てしばらく歩くと、目の前に大地を叩き割ったような巨大な渓谷が現れる。
向こう側まで、およそ40〜50メートルほどの渓谷だ。
谷底までの距離は、目測で200メートル以上といったところか、下には水が流れているのが見える。
(うわ、高っけぇ。当然だけど、落ちたら死ぬな)
まぁ例え落ちても、この体は壊れたりはしないのだろうが、降りてみる気はしない。
その渓谷には石造りの橋がかかっており、幅も厚みもあり、頑丈そうに見える。
だが、手すりや柵などの最低限の安全策もとられていないため、現代人のウラシマとしてはまあまあ不安だ。
「安心しろ、魔法で作られた橋だ。お主が乗っても壊れたりはせん」
ウラシマの不安を感じ取ってか、クロウが吐き捨てるように告げる。
「わ、わたくしそんなに重くはありません!」
ウラシマと同じように、ビクビクとしながら谷底を見ていたライラの方が、クロウの言葉に反応してしまった。
「……違う、こやつのことだ」
「あっ……」
ライラは顔を赤くして俯き、ウラシマの方へ擦り寄る。
「ウラシマさんも、怖いのですか? ——で、でしたら手を繋いで一緒に渡りましょう」
ライラはそう言うと、ウラシマの腕にギュッと抱きつく。
ウラシマは、彼女の可愛らしい反応に内心キュンとしつつも、抱きつかれた腕に、柔らかい体の感触がないことを残念に思う。
そうして橋を渡ろうと足を踏み出すと、ウラシマの体が微細な振動を検知する。
(ん、なんだ? 揺れてる……?)
「どうされたのですか?」
一本踏み出した途端立ち止まったウラシマを、ライラは不安そうに見上げる。
森へ振り返ったウラシマは、そう遠くない場所で鳥たちが一斉に飛び立ち、砂煙が上がるのが見えた。
クロウも何かを察知し、ウラシマが振り返った方向を上空へ羽ばたき確認する。
「……何か来るな。ライラ、急ぎ橋を渡れ。向こう側で待っていろ」
「ひ、1人でですか!?」
「いいから行け!」
目の前の橋とクロウを交互に見て、ライラは若干目に涙を滲ませながらも、クロウの言う通り向こう側へと走る。
「……グオォォォォ……!」
すると何かの雄叫びが森中に響き、それは木々を薙ぎ倒しながら、こちらへと一直線に向かってくる。
大地を揺らす振動が、こちらに近づくにつれて徐々に大きくなっていく。
そう時を置かずして森から飛び出してきたそれは、全身が赤い毛並みで覆われ、血走しった目でこちらを睨む、巨大な熊だった。
(なんだこいつ……デカすぎんだろ!)
「赤い熊……変異種の類か、厄介な」
巨大熊は、ウラシマの身長の3倍はあろうかという大きさで、獰猛な牙と爪でこちらを八つ裂きにせんと迫ってくる。
「ウラシマ、こいつを向こう側へ渡らせてはならん。いざとなれば、貴様諸共落ちても構わん」
(でけぇ、怖ぇ……てか、俺の扱い雑くねぇ?)
クロウはどうせお前は上がって来れるだろ、とでも言いたげに、上空からこちらを見下ろす。
(まぁでも、そのために来たんだ。やってやる!)
ウラシマは迫り来る巨大熊を迎え撃たんと、拳を握り構えをとる。
巨大熊は、四足にて一直線にこちらへ肉薄すると、ウラシマの目の前に迫ると後ろ足で立ち上がる。
見上げるほどの大きな巨体から、鋭く凶悪な爪が振り下ろされる。
次の瞬間、鋼鉄の拳と熊の爪が正面から激突した。
ガァンッ!!
金属を巨大なハンマーで殴りつけたような轟音が森に響き渡る。
ウラシマの腕が大きく弾かれ、足元の地面がズズッと後ろへ滑った。
(——重っ!?)
想像していたよりも遥かに重い。
巨体から振り下ろされた一撃は、まるで丸太そのものが飛んできたようだった。
続くニ撃めの薙ぎ払いを、今度は身を屈めて防御に専念する。
地面を抉りながら、わずかに後ろに押されたウラシマが、反撃せんと体勢を立て直そうとする。
だがその時、間髪入れずに大口を開けた熊の顔面がウラシマの眼前に迫ってきた。
(うおぉいおいおい、喰われる!?)
ガチン!!
耳を塞ぎたくなるような音とともに、無数の鋭利な牙にそのまま噛みつかれる。
——痛くはない。痛くはないはずだ。
それでも、怖い。
無数の牙を突き立てられたという精神的恐怖と、生物としての本能的な畏怖から、ウラシマの体は一瞬硬直してしまう。
そして硬直して動けないウラシマを、巨大熊は上半身を咥えたまま持ち上げる。
(待て待て待て、ヤバいヤバい!!??)
突然の浮遊感に、ハッと気を取り直すウラシマをだが、熊はウラシマを咥えたまま、首を左右にブンブンと振り回し、鋼鉄の体を食いちぎらんとする。
ウラシマは、振り回されて目が回るような視界の中、万力のように、ギリギリと体を締め上げる牙の一本に手をかける。
(なんか……掴んだ!?)
ウラシマの鋼鉄の指が、牙を握りしめミシミシと音を立てて軋む。
そして無我夢中のまま、さらに力を込める。
ぐらりと牙の根本が揺れる。
(いける!!)
ウラシマは全身を使って、その牙を根本から強引に引きちぎる。
巨大熊はグオォォとその痛みに絶叫し、ぼたぼたと口から大量の血が流れ落ちる。
そして咥えていたウラシマを谷底へ向かって放り投げた。
(ちょっ、落ちるーー!!)
ぐるぐると回転しながら落下していくウラシマは、訳がわからないまま悲鳴をあげる。
その時、ゴーレムの自動姿勢制御が働き、足裏と背中のスラスターが起動する。
(危ねぇ、ビビったぜ)
なんとか持ち直したウラシマは、グラグラと揺れる視界の中、巨大熊が橋を渡り、向こう側で待つライラへ迫ろうとするのを捉える。
(させるかよー!!)
スラスターを全開に起動し、橋の中ほどまで来ていた熊に全力の体当たりをぶちかます。
ぐしゃりと肉を潰し、骨を砕く手応えと共に、巨大熊は大きくよろける。
そして足を踏み外し、谷底へと落ちる寸前、鋭い爪を突き立ててなんとか落下を阻止する。
足場もなく宙にぶら下がった状態で、巨大熊は腕の力のみでなんとか橋の上へ這い上がろうとする。
だが、その熊の眼前に、鋼鉄のゴーレムがずしんと重たい音を立てて降り立つ。
「ウラシマ……落とせ」
ウラシマは言われるがまま、両手の指を組んで、天高く振り上げる。
そして何の慈悲もなく、その両腕を振り下ろす。
ドゴォォォォン!!
橋が崩れる轟音と共に、巨大熊は真っ逆さまに谷底へと落ちていき、谷底へ叩きつけられた時、数秒遅れて衝撃と轟音が再び響き渡る。
ボロボロと崩れゆく橋の上で、タタラを踏みながらウラシマは無事な方の橋へと飛び移る。
谷底へと沈んだ赤い熊を覗き込むが、それはうずくまったままぴくりとも動かない。
死んだだろうか。
「——誰が橋まで崩せと言った?」
空から降りてきたクロウは、ウラシマの肩に止まると、深いため息を一つこぼす。
(あ、ごめん、つい頭に血が昇って……)
「……まぁよい。やってしまったものは仕方ない。放っておけ。それに奴は変異種だ。このくらいでは死なぬ。また登ってくるやもしれん」
(マジかよ、あれまだ生きてんのか……)
この世界に来てまだニ日目だというのに、二度と会いたくないものが二つに増えてしまった。
こんなにも危険な生物だらけで、この世界の人間は一体どうやって生きてるというのだ。
(こうも危険な世界なら、お姫様を城に閉じ込めておきたくなるのも、ちょっとわかる気がする)
「ウラシマよ」
(あん? 何すか先輩)
「貴様、慎重になるのはいいが、いい加減その体の耐久性もわかっただろう。ちょっとやそっとじゃ壊れはせん」
(……はぁ、そーすね)
ウラシマは戦闘を終えたばかりの自分の体を見渡す。
熊の唾液と血でベタベタはしているが、損傷どころかこの漆黒の鎧には、傷のひとつもついていない。
「慎重ゆえに窮地に陥り、頭に血が昇って暴走するのでは、奴らと変わらんぞ。お前はもっと己の力を知れ」
(……うす)
確かに窮地に陥った時、機械が自動的に判断して実行していた。
手から出た衝撃波や、吹っ飛ばされた際にスラスターが展開したのもそうだ。
それらを任意で操れるようにならなければ、今後の戦闘でまた同じことを繰り返すかも知れない。
「石橋を叩いて壊すのは、これっきりにせよ」
(ふふっ、何だよそれ。冗談のつもりかよ、先輩)
面白くねーなと思いながら、向こう側で待つライラの元へと歩く。
ライラがこちらに向かって手を振っている。
旅立ちから早々前途多難な予感に、ウラシマは小さなため息をつく。
だがそれと同時に、次なる未知との出会いに、ほんの少しだけ心を躍らせるのだった。




