第十二話 上等な死に方と闖入者
「ヴェルさん!!」
彼女が血相を変えてこちらへ向かって階段を駆け降りてくる。
ヴェルは今、自分が落下してきたのだと理解した。
そして横たわったままぼんやりと天井の方を見上げる。
(ふむ、あそこから落ちてきたのか)
ヴェルが見上げた天井には、先ほどヴェルが吸い込まれたものと同じ渦があった。
転移の罠か、彼女が巻き込まれなくてよかった。
「ヴェルさん! ヴェルさん! ああ……どうしよう」
セシルがヴェルの元へ駆け寄ると、手元をワタワタと動かし、泣きそうな顔で狼狽えている。
「騒ぐな、まだ死んでない」
「で、でも……!」
ヴェルは仰向けのまま、視線だけを動かして自分の状態を確認する。
(足がひしゃげている。それに、胸か背中が破けているのか出血が多いな……)
自らの状態を冷静に分析して、これは死ぬな、とこれまでの経験からヴェルは察する。
だが、その前に目の前で泣きじゃくる彼女に、伝えるべきことを伝えておかなければならない。
「俺はおそらくあと数分で死ぬ。この損傷だと1時間は動けん。それまでお前もここを動くな。それと、もし危険が迫ったならばお前1人で入り口まで逃げろ、いいな?」
「え、……でも、ヴェルさんを置いてなんて」
「ダメだ、必ず1人で逃げろ」
有無を言わさぬヴェルの物言いに、彼女は静かにコクリと頷き、その場に座り込む。
「……あと、できればこの折れた足をまっすぐに戻してくれ、その方が回復が早い」
ヴェルの平坦すぎる声に、彼女はギョッとした表情でヴェルの足を見る。
「……さ、触りますよ」
彼女はおっかなびっくりとヴェルの足をそっと持ち上げる。
「い、痛くないです……か?」
ひどく慎重に足を戻そうとするセシルに、ヴェルはピシャリと言い放つ。
「気にするな、いいからやれ」
セシルは、そのまま手に力を入れ一気にヴェルの足を伸ばす。
途中折れた骨が擦れて、ゴリッとかゴキッと耳を塞ぎたくなるような音が響くが、ヴェルはぴくりとも反応しない。
彼女はゆっくりと足を下ろし、深く息を吐いた。
「助かった。あとは言った通りにしろ」
「はい……あ、あの、手当てとかは……?」
「不要だ。包帯やポーションは持ってきているが、全てお前用だ。使うな」
それだけ言うと、ヴェルの意識は次第に遠のいていく。
彼女がまだ何かを言っているような気がしたが、もう何も聞こえない。
体の熱が血液と共に流れ出ていく。
体の先から次第に凍りついていくような死の感覚は、もはや日常だ。
(失血死ならば、死に方としてはまだ上等だな)
そんなことを考えながら、ヴェルの心臓は静かにその鼓動を止めた。
——————
目の前で、人が死んだ。
こんなにもあっさりと。
傷は再生する、止まってしまった心臓も、いずれ動き出す。
事前に聞いてはいたし、実際に目の当たりにもした。
彼がセシルの目の前で死ぬのは、これで二度目だ。
彼の命は彼にとって、とても軽い。
ダンジョンの罠一つ調べるために、その命を消費する。
そんな事実が、とても悲しい。
セシルは流れ出た涙を拭う。
彼は調査や探索のたびに、こうして死を繰り返してきたのだろう。
痛覚や味覚すらも失ってしまうほど、何度も、何度も……。
セシルはヴェルの隣で膝を抱えてうずくまる。
(こんなの……間違ってる)
セシルはヴェルと出会ってから、まだ一月も経ってない。
彼のことなど何も知らないし、どんなふうに生きてきたのかなど、想像もできない。
なぜ、なんでも屋などと名乗っているのか。
他人から言われたことを実行するだけで、彼の意思などまるで感じない。
ちゃんと血の通った人間であるのに、彼の存在はどこまでも無機質だ。
けれど、私は彼に命を救われた。
彼自身が言っていた『物のついで』という言葉に偽りはないだろう。
私など、死んでいても生きていてもどちらでもよかったのだ。
でも、たとえ気まぐれでも、誰かの命令だったとしても、水底に落ちていく私を、救い上げてくれたのだ。
だとしたら、今あるこの命の一部は、彼のものだ。
きっと彼は、そんなものは不要だというのだろうけど。
誰がなんと言おうと、貴方のものなのだ。
私は彼に……何を返せるだろうか。
この恩を、返してもいいのだろうか。
——————
ヴェルが目覚めると、体には毛布が掛けてあった。
体を起こすと、着ていたシャツはなく、上半身は裸の状態だった。
ぼんやりとする記憶を辿るように周囲を見渡すと、近くで火が炊かれており、そのすぐそばに彼女の姿があった。
「ヴェルさん! 起きたんですね」
彼女の姿を見て、記憶が一気に蘇る。
「ああ、状況は? どれくらい経った?」
彼女はポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認する。
「1時間と少しです。 その間は特に何もありませんでした」
「そうか、ならいい」
ヴェルはそれだけ言うと、立ち上がって自身の体の状態を確かめる。
傷は塞がっていて、意識もはっきりしている。
問題はなさそうだ。
だが一点だけいつもとは違った。
なぜか体が綺麗になっている。
いつもなら血だらけのまま再生するのだが、今はそれがない。
彼女がわざわざ体を拭いてくれたようだ。
そのためにシャツを脱がせたらしい。
「ヴェルさん」
呼ばれたヴェルは膝を折って座る彼女を見下ろす。
「なんだ?」
「座ってください」
「なぜだ?」
「座ってください」
「……わかった」
ヴェルは謎の圧力を受けて、セシルの言葉に素直に従う。
すると彼女はこちらに何かを差し出す。
「飲んでください」
「これは?」
「白湯です」
なにか彼女の雰囲気が変わったように思える。
先ほどまでは、はしゃいだり笑ったり泣きじゃくったりしていたが、今の彼女からは感情というものが読み取れない。
元々他人の感情の機微には鈍いが、彼女はだいぶわかりやすい方だと思っていた、だが今はよくわからない。
「いや、要らないが」
「飲んでください」
「…………わかった」
ヴェルは手渡された白湯を受け取り、わずかに湯気の立つそれを飲み干す。
「何がしたいんだ?」
「お話です」
「話し?」
「はい、探索を続ける前にこれだけは言っておきたいと思いまして」
彼女は俯いていて、その表情は読めない。
だが、なぜだか聞かなければいけないと思ってしまった。
「死なないでください」
「…………。」
「あなたが死んで、危険なダンジョンの中で私一人だけ残されて……とても心細い思いをしました」
「……それはすまなかった。だが、ここには調査に来ている。一番効率のいい方法を選ぶのが、最短の攻略につながる」
謝罪は単に口から出ただけの、ただの言葉でしかなかった。
ついでに言い訳までが勝手に口から出てしまった。
「あなた一人の時は、ずっとこうやって来たのかもしれませんが、今は私もいます。探索も鍵開けも罠の解除だってまだまだ未熟ですけど、頑張ってお役に立ちますから。だから……勝手に一人で行かないでください」
彼女は震える声で、でも確かな意志を持ってヴェルへ懇願する。
「……気をつける」
「ふぅ。……はい! お説教は終わりです! 勝手なこと言ってすみませんでした」
「いや、いい」
「一人でいる時、悲しくて辛くて寂しくて、最後にはなんだか腹まで立ってきたので、一言言いたくなってしまいました」
普段の彼女に戻ったようだ。
ヴェルは、そうかと言って小さく息を吐く。
そして干してあったシャツを羽織り、立ち上がって荷物を背負う。
「でも、間違ってるとは思ってませんから」
「ああ」
セシルは、ふんと鼻息を荒げると、ヴェルの横に並んで歩き出した。
——————
その後順調に探索を続け、最深部に近づいてきたころ。
セシルは見つけてしまった。
ダンジョンならではの、あれを。
「——ヴェルさんヴェルさん! 来てください!」
「なんだ?」
「あれ、見てください!」
セシルが指差す先には、鍵のついた扉があった。
先ほどまで、セシルが格闘していた錠前はすでに外されている。
その先にあったのは、セシルが夢にまで見た豪華な宝箱であった。
「宝物庫か、中身が入っているとは限らんが」
「でも鍵はかかってたんです。きっと何か珍しいものが……あっ」
セシルは宝箱に目が眩んでいる。
ヴェルはそのまま中へ踏み込もうとするセシルを、首根っこを掴んで静止する。
「危ない、よく見ろ」
「——え?」
セシルのすぐ横に、先ほど下で見た渦と同じものがそこにはあった。
扉の影になって、見えていなかった。
セシルは背中にゾッと冷や汗をかき、ゆっくりと後退する。
ヴェルのため息が聞こえた瞬間、恥ずかしくて顔から火が出そうであった。
ヴェルは足元にあった瓦礫を、渦の中に放り込む。
渦に対しては、自ら飛び込むのは禁止にされてしまったため、先ほどから、適当なものをこのように突っ込んでいる。
瓦礫はギュルギュル渦へと吸い込まれていき……
「痛っ!!——なんだこれ!? 誰だ石を投げたのは!? 出てこい!!」
すぐ近くから、悲痛な叫び声が上がった。
セシルはビクッと緊張し、天井を見る。
声の発生源は、この部屋のすぐ上。
セシルとヴェルは物音を立てないように気配を殺す。
声の主はなおもその場にはいない襲撃者を探す。
次第にバタバタと騒がしくなり、床を何かで叩く音が聞こえてきた。
その度に天井から砂埃がパラパラと落ちてくる。
「くそ! どこだ!?——ここか!」
天井から一際大きな音が響き、男の悲鳴とともに天井が崩れて落ちる。
「いったぁ、何がどうなって……」
天井から落ちてきた男は、砂埃の中でケホケホと咳をしながら立ち上がる。
そしてこちらの存在に気づく。
セシルはすでに剣を抜いている。
ヴェルも拳を構えて、セシルの前に立つ。
そして瓦礫をかき分けて男が立ち上がる。
砂埃の向こうで、男が顔を上げる。
ヴェルゆっくりと拳を下ろし、男の顔を見て呟いた。
「ここで何をしている? ——ルーク」




