俺は脇役
「ダッセェなぁ――俺」
薄暗い酒場のカウンターの中で、俺はそう呟く。
取り出した煙草にうまく火がつかなくて、諦めてライターをしまった。
今の状況は、文明崩壊前に流行っていたソーシャルゲームによく似ていた。
英雄がいて、美少女がいて、異能の兵装があって、空には要塞都市が浮かんでいる。
文明の崩壊と再興を経て、蒸気と鋼で組み直されたこの世界で、なぜか一人の男だけがやたらと強く、異性にも同性にも慕われ、行く先々で物語が起きて、その中心に立っている。
限定衣装。イベント。覚醒。最終決戦。
そういうワードが出てきそうなシチュエーションだ。
ただし、それが起こっているのはカウンターのこっち側ではなく、反対側だ。
カウンターの反対側では、いかにもな光景が展開されていた。
その男の両隣には女が座っている。
女の片方は軍服、片方はドレスを着ていて、どちらもとても顔がいい。
会話の内容までは聞いていないが、笑い声の間隔でだいたいわかる。
例えるのならば、あれは物語が進行しているような音だろう。
二人の間に座っている男のことは知っていた。
まず、顔がいい。
両隣の女たちが霞まない程度に、しかし確実に、あの席で一番いい顔をしている。
彫りの深さとか目鼻立ちとか、そういう部品の話ではなく、薄暗い店の中であそこだけ照明が一段明るいように見える。
噂では、この街で世界が崩壊しかねない事件を過去に何度も終わらせているらしい。
しかし表舞台には決して出ない、要するに影の実力者というやつだ。
今の現状を旧世代のソーシャルゲームで例えるのなら、彼はまず間違いなく主人公というやつなのだろう。
「マスター、いつものを頼む」
その主人公のような優男が俺に言った。
で、俺はカウンターのこちら側だ。
気がついたら、酒場の店主をやっていた。
ここに至るまでには、俺にも一人の人間としての人生があった。
生まれた場所があり、育てられた経緯があって、いくつかの選択と、いくつかの失敗があった。
ただ、それを気にするような人間はこの世界のどこにもいない。
履歴というのは、訊かれて初めて存在するものだ。
誰も訊かない以上、俺は周囲からすれば「気がついたら店主をやっていた男」で十分なのだろう。
顔立ちも、これがまたパッとしない。
不細工というわけでもないが、覚えるための取っ掛かりがどこにもない顔で、常連ですら店の外で俺とすれ違うと素通りする。
一度なんか、毎晩来る酔っ払いに昼の市場で「どこかで会いましたっけ?」などと言われた。
この店のカウンターという額縁に収まっていないと、俺は誰でもなくなるらしい。
まあ、店主なんてそれで十分だ。
客が覚えるべきは酒の味であって、注ぐ男の顔じゃない。
職業柄、物知りではある。
文明が崩壊する前のことも、それなりに知っている。
古い酒の作り方、古い銃の型番とか、それこそ古いソーシャルゲームのお話とか。
客に情報を売ることもある。この店の酒より、俺の話のほうが高くつくこともあった。
とはいえ俺は、あの主人公のような彼と仲がいいわけではない。
向こうは俺の本名も知らないはずだ。
常連と店主。それ以上でも以下でもない。
俺は彼が好むカクテルを作り、カウンターの反対側まで持っていった。
「軍のクローン運用が、また拡大するらしい」
軍服の女がそう言っているところだった。
「……いい話じゃないな」
と主人公のような彼が言った。
「少し前に一人、僕が施設から連れ出したことがある。番号で呼ばれていた娘だ。助け出したと思った矢先に消えてしまったんだ。軍に戻ったのか、連れ戻されたのか、今もわからない」
「まだ捜しているの?」
「ああ。あの子を見つけるまでは、僕はこの件から降りられない」
グラスを置くと、主人公が俺を見た。
「マスター、この件について何か知らないかい?」
主人公のような彼がそう訊いた。俺は少し考えるふりをした。考えるまでもなかったが、店主というのはそういう間を求められる仕事だ。
「そういえば確かに最近、軍用クローンの話はよく聞くな」
グラスを拭きながら、頭の中の棚を漁る。
酔った軍属の愚痴とか、港湾労働者の噂話に、運び屋が置いていった半端な情報。
バラバラだった断片が、口に出すことで勝手に整列していく。
「関係がある話かはわからないが、最近東の埠頭で夜中に輸送が増えたって話だ。積荷の正体は不明なんだが、下ろすときの音が軽いらしい。それと、旧市街の医療区画に軍の車が出入りしているっていう話を聞いたな。表向きは疫病対策ということになっているが……ここ最近は、疫病なんて流行っちゃいないはずなんだがなぁ」
「それは、いつからだい?」
「三週間前ってところだ。一体、なんなんだろうな?」
俺が言い終わる前に、主人公と軍服の女が顔を見合わせた。彼らの中で何かが繋がったらしい。
二人の間だけで通じる符号があって、俺の情報はその最後の一片だったのだろう。
彼はテーブルの上に代金を置いた。カクテル三杯と、俺の話を足しても、明らかに過分な額だった。金の使い方に迷いというものがなくて、金銭的な余裕を感じられる。
「助かったよ、マスター」
そう言うとき、彼はちゃんと俺の目を見た。
ついでのように言わない。店主への社交辞令にしては、まっすぐすぎる礼だった。
こういうところなのだろう、と思う。
この男が慕われる理由は、強いだけでも顔がいいだけでもなく、背景みたいな俺にまで、こうやってまっすぐ礼を言うからだ。
嫌味のひとつでも思いつければ楽なのだが、憎む取っ掛かりというものが全くないのでそれが余計にムカつくのである。
それから彼らは店を出ていった。慌ただしい背中だった。
店を出た彼らが、隣の建物の屋根に跳び上がるのが窓越しに見えた。
助走もなしに、三階分。
軍服の女の腕が一瞬、青白く発光していた。ああいうのを異能兵装と呼ぶらしい。
詳しい原理は知らない。知ったところで、俺の身体には絶対に載らないような代物だ。
彼らはそのまま、屋根から屋根へ跳んで夜に消えた。
……あれこそが物語の速度というやつなのだろう。
俺が全力で走ってついて行こうとしても、最初の屋根にすら届かないで地面に落ちる。
世界を救う側には、世界を救う側の身体と道具と速度があって、こっち側には酒とグラスと拭き終わらない汚れがある。
あの世界に入っていけないというより、そもそも立っている場所が違うのだ。
そして、彼らのあの慌てぶりは、たぶんこの街の危機とやらに繋がっているのだろう。
放っておけば、要塞都市が落ちるとか、旧市街が焼けるとか、最悪世界が崩壊するとか、そういう規模の話なのかもしれない。
だが、この世界の行末なんて、いつもここにいる俺には関係のないことだった。
俺は過分な代金をレジに入れ、グラスを下げた。
(きっとド派手な戦いがあるんだろうなぁ。あいつらの行く末には)
そんなことを思いながら、俺はカウンターの裏に手を伸ばした。
棚の奥、布に包んで置いてあるものを取り出す。
それは拳銃だった。High-mark S-7。
旧世代の量産型で、当時ですら安物の部類だ。
スライドは鋼ですらなく亜鉛合金の鋳物で、そのくせ図体だけ頭でっかちに分厚い。
構造は一番古臭い単純なブローバック。凝った機構は何ひとつない。
グリップの塗装は剥げていて、刻印は半分潰れて読めない。
安く作って、安く売るための銃だ。
当時の記録じゃ、不格好だの重いだの、冗談の種にされていたらしい。
ただ、撃てば当たるし、怒りに任せて連射でもしない限りは壊れない。
壊れても、メーカーが一生面倒を見た。金のない人間が最後に選ぶ銃としては、それで十分すぎた。
この時代、個人が銃を持つこと自体がまず難しいのだが、こいつは骨董品としてギリギリ見逃されている。
要するに、武器としては数えられていないということだ。
弾は入っていないし、撃ったこともない。
銃口を薄暗い店の壁に向けて、俺はそれを両手で構えてみた。
(……だめだなこりゃ。全然サマにならない)
腰は引けているし、腕の高さも合っていない。鏡に映すまでもなくわかる。
屋根を跳ぶ連中と同じ世界の道具には、どうやっても見えない。
俺は銃を布に包み直し、棚の奥へ戻した。
不意に、外で雨が降り始めた音がした。
予報では、降らないはずだった。ここ数日は晴れが続くと、要塞都市の気象局は言っていた。
珍しいこともあるものだ。
俺は時計を見る。
この時間にこの大雨なら、もう客は来ない。長くやっていると、そういう夜は音でわかる。
俺は、店の看板の灯りを落とすことにした。




