落選の日、光の駅で
ライブ会場の最寄駅は、平日の昼間だというのに、妙に明るかった。
いや、正確には、明るいというより、主張が激しかった。
壁にも、柱にも、デジタルサイネージにも、本日の絶対的主役――『光』が、これでもかと貼りついている。
巨大な瞳。完璧に設計された輪郭。作り物みたいに整った笑顔。
この駅一帯が、もはや半分、光の体内である。
そんな光まみれの空間を歩きながら、言葉は、顔を上げられなかった。
理由は単純。
落選したからである。
たった二文字。
されど、その二文字が重い。
昨夜から、応募ページを何回開き直したか、本人にもわからない。
メールも見た。抽選結果の画面も見た。閉じて、また開いた。
何かのバグで当選に変わっていないかと期待した。
当然、変わるわけがない。
世の中、そんなに都合よくできていない。
それでも、家にいるのは無理だった。
今日は、光のライブの日。
会場の中に入れなくてもいい。せめて外の空気だけでも吸いたかった。物販袋を持った人間の顔を見るだけでもよかった。遠くからでもいい。同じ時間、同じ場所で、光が歌っている世界の輪郭に、ほんの少しだけでも触れていたかった。
光。
バーチャルと現実を融合した二次元アイドル。
――などと、一言でまとめると簡単だが、実態はかなり面倒くさい。
スクリーンの中だけの存在ではない。
かといって、ただの生身の人間でもない。
ライブでは、拡張現実の演出とリアルタイムのモーション同期が合体し、観客の視界には、『そこにいるはずの理想』として光が現れる。
現実の肉体を持ちながら、二次元として設計された美しさをまとい、誤差すら魅力に変える存在。
要するに、現代技術と偶像信仰が全力で結婚した結果、生まれたバグみたいなアイドルである。
言葉は、その光が好きだった。
好き、という雑な単語では足りない程度には。
歌い方の息継ぎの位置。
サビ前で、右肩がほんのわずかに沈む癖。
ターンの際、左足のつま先が少しだけ外へ開くこと。
映像を止め、戻し、また見て、踊って、録画して、自分の体に叩き込んだ。
誰に見せるためでもない。
ただ、近づきたかった。理解したかった。
憧れを、自分の骨と筋肉にまで写し取りたかった。
つまり、わりと重いファンである。
そんな言葉が、人波に流されながらホームから階段へ向かっていた、その時だった。
悲鳴が落ちてきた。
いや、もっと正確に言うと、人間が落ちてきた。
「っ――!」
考えるより先に、身体が動いた。
階段の途中で足をもつらせた少女が、そのまま前のめりに転がり落ちる。
言葉は駆け上がり、両腕を伸ばし、その身体を受け止めた。
衝撃。
背中に鈍い痛み。
少女の体は軽かったが、勢いはまるで軽くない。
二人まとめて数段滑る。
周囲がざわつく。
当然である。駅で人が降ってきたら、そりゃざわつく。
「大丈夫ですか!?」
叫んだ。
少女は答えなかった。
顔をしかめ、呼吸は浅い。
キャップが脱げ、長い髪が乱れて頬に張りついている。
足首の角度がおかしい。
手のひらには擦り傷。
白いパーカーの袖口には血が滲んでいた。
「駅員さん! 救急車――」
そう叫びかけた、その時だった。
床に散らばった鞄の中身が、言葉の視界に入る。
スタッフ用らしいパスケース。
喉のケア用品。
台本の束。
細かなメモがびっしり入った譜面。
そして、ケースから半分飛び出した、小型のモーションセンサー。
言葉の呼吸が止まった。
譜面の表紙には、見覚えのある曲名が並んでいた。
今日のライブのセットリスト。
まだ公開されていないはずの曲順まで、赤字で細かく書き込まれている。
少女が、うっすら目を開けた。
焦点の定まらない目が、言葉を見る。
「……ひか、り……?」
言葉の口から、勝手に声が漏れた。
近くで見ると、映像の中の完璧な輪郭とは違う。
当然だ。生身なのだから。
だが、口元の形も、目尻の下がり方も、声の響きも、間違えようがない。
光本人だった。
言葉の頭は、見事に真っ白になった。
なんで。
どうして。
今日ライブなのに。
こんなところで。
こんな怪我で。
疑問が一気に押し寄せる。
しかし、光は、そんな混乱している言葉の袖を弱く掴んだ。
「お願い……」
「しゃべらないで、今救急車を――」
「お願い、聞いて」
細い指先が、ありえないほど強く食い込む。
瀕死側の握力ではない。
「あなた……知ってる。わたしの、踊り」
言葉は、言葉を失った。
「見たこと、ある。ファンが上げた動画……駅前のイベントで、真似してた子」
言葉の顔から血の気が引く。
数か月前の地方コラボイベント。一般参加のダンス企画。
勢いで出てしまった自分の映像が、短く切り抜かれて流れていたことを思い出す。
まさか本人に認知されているとは思わない。
オタクにとっては、だいぶ心臓に悪い事実である。
「あなたなら……できる」
「何を……」
光は息を詰まらせ、痛みに顔を歪め、それでも言った。
「今日のライブ。わたしの、代わりに出て」
意味がわからなかった。
「……は?」
いや、本当に、は? である。
「顔は出ない。いつも通り、システムで隠せる。動きが合えば、成立する……お願い」
「無理です!」
反射で言い切った。
当然だ。
相手は光。
自分はただのファン。
部屋で完コピしていただけの素人。
そんなものが本物の代わりになるわけがない。
「お願い……今日だけでいいの」
光の瞳には、単なる焦りではないものがあった。
ライブを飛ばしたくない、だけでは済まない切迫。
何かから逃げたいような、何かに潰される寸前みたいな、そういう色。
「スタッフに言って……。わたしが頼んだって」
そこまで言って、光は意識を手放した。
駅のアナウンスが、やたら遠く鳴っていた。




